2009年4月30日木曜日

中央即応連隊と集団的自衛権の行使

中央即応連隊と集団的自衛権の行使

中央即応連隊を派遣 ソマリア
陸自 哨戒機警護40人、編成後初の任務

2009年4月24日 東京新聞

ソマリア沖の海賊対策に関連して、アフリカのジブチに派遣される陸上自衛隊の部隊は海外活動を専門とする中央即応集団直轄の中央即応連隊(宇都宮駐屯地)となることが二十三日、分かった。二〇〇八年三月に新規編成されて以来、中央即応連隊が実任務に就くのは初めて。

五月にジブチ空港に派遣され、アデン湾の洋上監視を開始するP3C哨戒機二機の機体を警備する。派遣されるのは中央即応連隊の一個小隊(約四十人)。〇七年十二月、自衛隊の海外活動が本来任務に格上げされたのを受けて、優秀な隊員ばかりを集めた「オールスター派遣」(陸自幹部)をやめ、常設部隊を送り込むことになった。

持参する武器は駐屯地警備で使用するのと同じ小銃、拳銃のほか、機関銃も検討。「正当防衛・緊急避難」を根拠に武器使用し、P3C哨戒機を防護する際の発砲は、自衛隊法九五条の「武器等を防護するための武器使用」を適用する。

ジブチ空港には米軍のほか、フランス、ドイツ、スペイン軍の哨戒機も置かれているが、自前で機体警備を行わない軍もある。火箱芳文陸上幕僚長は二十三日、「陸上自衛隊には海外活動の知見があり、海上自衛隊を補完できる」と派遣の意義を強調した。

中央即応連隊はテロ・ゲリラに対応する中央即応集団の直轄部隊として〇八年三月、宇都宮駐屯地に編成された。隊員は約七百人。本部管理中隊のほか、三個中隊がある。隊員は格闘術や体力に優れた精鋭を集めた。
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麻生首相 集団的自衛権行使の解釈変更を本格検討へ
4月24日産経新聞

麻生太郎首相は23日、安倍晋三首相(当時)の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)で座長を務めた柳井俊二元駐米大使と首相官邸で会談し、集団的自衛権の行使を違憲とする現行の政府解釈について意見を聞いた。北朝鮮の長距離弾道ミサイル発射や、海上自衛隊による海賊対策の本格化を受け、集団的自衛権を行使できるように解釈変更が必要な状況が差し迫っていると判断したとみられる。首相が解釈変更に踏み切れば、日米同盟の強化や国際貢献に向け、大きな一歩を踏み出すことになる。

会談には、柳沢協二官房副長官補(安全保障担当)も同席した。柳井氏は安保法制懇の議論の経緯をたどりながら、解釈変更が喫緊のテーマであることを説明したという。会談後、首相は記者団に対して、「安保法制懇の話がそのままになっているので話を聞いた。長い文章なので勉強しなければならないと思っている」と解釈変更に前向きな姿勢を示した。再議論の必要性については、安保法制懇が平成20年6月に報告書を福田康夫首相(当時)に提出していることを踏まえ、「きちんとした答えは作られており、内容もまとまったものがある」と述べた。

安保法制懇の報告書は、
(1)公海における米軍艦艇の防護
(2)米国を狙った弾道ミサイルの迎撃
(3)国際的な平和活動における武器使用
(4)国連平和維持活動(PKO)での他国部隊の後方支援-の4類型について、集団的自衛権の行使を認めるなど政府解釈を変更すれば、現憲法のまま実施できると結論づけた。

しかし、福田首相(当時)は記者団に「(解釈を)変える話などしたことはない。報告は終わったわけだから完結した」と語り、解釈変更を否定。安保法制懇の報告書は封印されたままとなっていた。

一方、麻生首相は首相就任直後の平成20年9月26日、米ニューヨークで「基本的に解釈を変えるべきものだと言ってきた。大事な問題だ」と述べ、いったんは解釈変更に前向きな考えを表明したが、10月3日の参院本会議では「解釈について十分な議論が行われるべきだ」と答弁し、早急な変更には慎重な姿勢を示した。

現行の集団的自衛権に関する政府解釈は、昭和47年10月の田中角栄内閣で「わが国は集団的自衛権を有しているとしても国権の発動としてこれを行使することは許されない」という政府見解で示された。

■集団的自衛権 同盟国など密接な関係にある他国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていなくても、自国への攻撃だとみなして実力で阻止する権利。国連憲章51条で、主権国家の「固有の権利」と規定され、国際法上の権利として広く認められている。
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容認論が再浮上 集団的自衛権行使
2009年4月30日 東京新聞朝刊

政府・自民党内で、憲法解釈で禁じられた集団的自衛権行使を認めるべきだとの議論が再浮上している。党内のタカ派議員が北朝鮮の弾道ミサイル発射を機に仕掛けたもので福田政権以降“お蔵入り”になっている解釈改憲を再燃させたい思惑が見え隠れする。

仕掛け人は、首相在任中に集団的自衛権行使問題に取り組んだ安倍晋三元首相。安倍首相時代に設置された「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」で座長だった柳井俊二元駐米大使が二十三日、「憲法九条は集団的自衛権行使を禁ずるものではないと解釈すべきもの」とした懇談会の結論を麻生太郎首相に説明。同日夜には安倍氏自らが首相に対し、憲法解釈を変えることを自民党マニフェストに盛り込むよう進言した。

集団的自衛権とは、同盟国などへの武力攻撃があった場合、自国が直接攻撃を受けていなくても、その攻撃を実力で阻止する権利。政府は国際法上、権利は持っているが、憲法解釈上、行使は許されないとしている。米国を狙った弾道ミサイルの迎撃も違憲とされ、自民党の国防族議員を中心に集団的自衛権の行使を認め、日米が連携して「北の脅威」に対抗すべきだとの意見が出ている。

ただ、麻生政権がこの問題に本腰を入れれば、近隣諸国の反発は確実で、北朝鮮問題での中韓両国との連携にはマイナス。党内には保守色の強い政策を前面に出し、負けた二〇〇七年参院選の記憶も残る。首相も「よく勉強させていただきます」と述べるにとどめている。 (荘加卓嗣)
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参考ブログ⇒「憲法九条の死文化と安保---国家と「自衛権」をめぐって」

『永遠の安保、テロルな平和』の目次へ

2009年4月23日木曜日

再び、「海賊対策」は「海賊」対策にあらず

再び、「海賊対策」は「海賊」対策にあらず

 「海賊新法」の衆議院通過が決定的になった今日、「海賊対策」と称した陸上自衛隊の「中央即応連隊」の「派遣」方針が明らかにされた。

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ソマリア沖海賊:「中央即応連隊」派遣へ 会見で陸幕長毎日新聞 2009年4月23日
 陸上幕僚監部の火箱芳文・陸上幕僚長は23日の記者会見で、東アフリカ・ソマリア沖の海賊対策で、派遣予定の海上自衛隊のP3C哨戒機の警備や拠点施設の管理のため、緊急事態や国際平和維持活動(PKO)に対応する精鋭部隊「中央即応連隊」(宇都宮市)を派遣する方針を明らかにした。同部隊の海外派遣は初めて。
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 日本政府、麻生自公政権は、ソマリアの「海賊」問題を最大限に政治利用し、一方で改憲論議を回避しつつ憲法九条体制を「守り」ながら、他方で憲法九条の規範原理の最終的解体に向けた動きを加速している。航空自衛隊による空爆や海上自衛隊による砲撃の前段階として、自衛隊の海外における武力行使の実戦部隊が「中央即応連隊」であるからだ。

 今回、陸上幕僚長は「中央即応連隊」の派兵理由を「海上自衛隊のP3C哨戒機の警備や拠点施設の管理」としているが、ゲリラ戦や対テロ戦に備えて特殊訓練を積み重ねてきたこの連隊を、なぜあえて出動させる必要があるというのか。明らかにこれは、アフガニスタンの「軍民協力」部隊=PRT(地域復興チーム)、国連スーダンミッション(PKO)、あるいは今年中にも組織される可能性がある再度の「国連ソマリアPKO」など、陸上における「治安維持」部隊への自衛隊の「派遣」を念頭に置いた動きとしてみるべきである。

 ぼくは、二〇〇六年の年末に出版した『国家・社会変革・NGO』の中の「人間安全保障・植民地主義・NGO」と題した論文において、ブッシュ-小泉政権による安保体制の再編の本質が「対テロ日米共同作戦態勢の構築」にあると述べたが、麻生自公政権の下の「新日米安保宣言」構想において、これがいま「海賊対策」という大義名分によって実戦化されようとしているのである。

 「海賊新法」をめぐる国会論議や新聞ジャーナリズムの「社説」において決定的に欠如しているものこそ、主権者の意思を問うことなく「永遠の安保」の下で着々と進むこうした「安保のグローバル化」の実態なのである。

2009年4月17日金曜日

「オバマの戦争」と「新日米安保宣言」

「オバマの戦争」と「新日米安保宣言」

 いよいよ、自衛隊の海外派兵一般法制定の動きが具体化してきたようだ。

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防衛相、新日米安保宣言を提案 自衛隊派遣一般法へ布石
2009年4月17日

浜田靖一防衛相が2月に訪日したクリントン米国務長官と会談した際、対テロなど世界規模の課題や台頭する中国に対する日米協力強化を念頭に、新たな日米安保共同宣言の策定に向けた協議を提案していたことが分かった。複数の政府関係者が16日、明らかにした。米側は回答を保留した。防衛省は日米安保条約改定50年に当たる来年の発表を模索している。

関係者によると、新安保宣言は国際平和協力活動などで自衛隊の海外派遣を随時可能にする一般法(恒久法)制定に向けた布石とも位置付けられる。自衛隊の随時派遣が可能となった場合、米軍とどのような協力が可能かを調整し、世界規模での日米協力を打ち出したい考えだ。具体的にはテロ、海賊など新たな脅威に加え、台湾海峡有事も視野に入れた対中国戦略も検討されそうだ。

浜田氏はクリントン氏との会談で「アジアの安定と世界規模の課題への対処に向け、自衛隊と米軍の協力強化と役割分担の明確化を図りたい」と新安保宣言を提案。クリントン氏は「アジアの平和と安定に強固な日米同盟は重要だ」と述べたが、新宣言に関しては返答しなかった。(共同)
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マスコミはなぜ野党に対してフェアーな報道をしないのか

マスコミはなぜ野党に対してフェアーな報道をしないのか

 最近、どうしても見逃せない新聞記事があった。民主党に関する読売新聞の社説である。
 その社説とは、四月十六日の「海兵隊移転協定 民主党は「反米」志向なのか」である。この社説は、
①「在沖縄米海兵隊のグアム移転に関する日米協定承認案の衆院採決で民主党が反対した」こと、
②「インド洋での海上自衛隊の給油活動の中止や、在日米軍の思いやり予算の見直しも唱えている」こと、そして
③小沢代表が「在日米軍は第7艦隊で十分」と発言したことなどを指摘しながら、次のようにいう。

「これでは、日米同盟を重視するどころか、「反米」志向と受け止められても仕方あるまい。米国に注文すること自体は悪くない。だが、民主党の重大な欠陥は、要求するだけで、同盟強化のため自らどんな負担をするのか、何も具体的に語らないことだ。」

 ぼくは無党派で、民主党の支持者ではないばかりか、民主党の安保・外交政策に対して少なからず疑念を持っている人間であるが、そういう立場からみたとしてもこの社説は「議会制民主主義」の基本原則をわきまえない、あるいはその原則を意図的に歪曲して論じているという意味において、大きな問題をはらんでいる。

 読売新聞が社としてブッシュ・小泉政権が打ち出した「世界の中の日米同盟」路線を支持し、その実効的な推進のために憲法九条第二項が障害になっていると判断し、改憲=九条改廃を主張することは、自由である。
 しかし、そうした社としての方針に基づきながら、民主党が自公政権の安保・外交政策の見直しをはからんとしていることに対し、「反米」志向というレッテルを貼ることは、第一に政治的に偏向しすぎているし、第二に政権政党の政策を批判する立場にある野党の正当な役割を踏まえていない愚挙である。むしろ、読売新聞が社説を通じて与党の立場にたった「世論形成」をはかろうとする意図が透けてみえてしまう。要するに、読売新聞は社説を政治的プロパガンダ機関に自ら堕落せしめているのである。

 なぜ、読売新聞はそこまで「親米」志向になるのか? なぜ、日米「同盟強化」が既定の方針になり、そのために自社の論陣を張ろうとするのか? 問いは、読売新聞に対してこそ向けられるべきではないか。

 もしも政権交代が実現されるなら、新政権が旧政権が行ってきた安保・外交政策全般の見直しをはかり、それによって予算配分をも見直すことは、当然のことである。民主党は、無前提的に日米「同盟」を「強化」するとはいってはいないのである。この点において、読売の社説は明らかに客観性を喪失しており、フェアーではない。

 また、民主党に限らず、野党は一般的に選挙前に「包括的な政策をきちんと明示すべき」といえないし、それが「政権交代を目指す政党として最低限の責任」でもない。むしろ、「ネジレ国会」の出現によって、上の①から③のような、自公政権の安保政策に代わる個々の対案が野党サイドから出るようになってきたことが、大局的には日本の「議会制民主主義」の一歩前進とみるべきなのである。少なくとも、公的言論機関としての新聞ジャーナリズムがそこを評価せずして「ネジレ国会」の何を評価するというのだろうか。

 ぼく自身は、安保条約に基づく日米関係は「同盟」関係とはいえないこと、にもかかわらず日米首脳会談、安保協議(2+2)などで、主権者を意思を無視した恣意的な「同盟」宣言がなされ、そのことが米国の対テロ戦争に日本政府が「主体的に」引きずり込まれる状況を生み出してきたと考えている。米国の世界戦略を「後方支援」したり、あるいは側面から補完したりする形での外交・ODAの「バラまき政治」が行われてきた根拠もそこにある、と。

 いまぼくたちが直面しているのは、ブッシュ政権八年のアフガニスタン・イラク戦争を中心とした対テロ戦争を抜本的な見直し、再検討抜きに、アフガニスタン、イラクからさらに戦場をパキスタン、ソマリアへと拡大してよいのか、対テロ戦争をこのまま継続してよいのか、という問いである。それが日本や「国際の平和と安定」を本当にもたらすのか、という問いである。

 読売新聞をはじめとした新聞ジャーナリズムの社説にも、同じことが問われている。各紙はまず、この八年間、アフガニスタンやイラク戦争に対して、破産したブッシュ政権の対テロ戦争に対して自社がどのような論陣を張ってきたのか、その内省をすべきだろう。そしてそうした主体的な内省に基づき、これからもアフガニスタンやパキスタンにおいて対テロ戦争を激化させようとしているオバマ路線とこれに追随する麻生政権に対して、ジャーナリズムがジャーナリズムとして、いかに自律的な立場に立った論陣を張れるか、論説委員と記者ひとりひとりが考え直してみるべきだと思うのである。

(⇒参考ブログ。「「日米同盟」の呪縛――「日米同盟」とマスコミ」

2009年4月16日木曜日

「海賊対策」の戦争化は事態を悪化させるだけである No.1

「海賊対策」の戦争化は事態を悪化させるだけである No.1

 先週から米国では、「マースク・アラバマ号」事件を契機に、ソマリア沖の「海賊」問題が、またにわかにマスコミの脚光を浴びている。いわゆるオルタナティブ・メディアでは、三大ネットワークをはじめとした巨大メディアが報道しない論点を整理しながら、客観的かつ問題の本質に迫るような記事がいくつか発表されている。

 たとえば、AlterNetは、四月十四日、カナダに難民として移住したソマリア人アーティスト、K'Naanの"Why We Don't Condemn Our Pirates in Somalia"(なぜぼくらはソマリアの海賊を非難しないのか)という記事を転載している。要するに彼がこの記事で書いていることは、三月にぼくが「ソマリアと「海賊」---新介入主義の破産」の中で書いたようなことである。すなわち、

「ソマリアの海岸(近海ではない。海岸である)へのドラム缶にコンクリ詰にされた核廃棄物や産業廃棄物の直接投棄、またそれらのソマリア沖への海洋投棄、そしてグリーン・ピースいうところのpirate fishingがソマリア近海でくり返されてきたことについては、少しずつではあるが情報は広まりつつある。犯人は誰か。「海賊」撲滅のために艦隊を派遣した国連安保理常任理事国を中心とする国々である」(引用、終わり)。

 だから、K'Naanは、まずEUや米国などのグローバル水産業がソマリア沖での不法操業を停止し、それと同時に産業・核廃棄物の不法投棄をやめるのことが先決ではないか、という。ぼくもまったく同感である。(⇒K'Naanのオフィシャルサイト

 ところが、NHKから民放、新聞ジャーナリズムでは、「海賊」問題の背景にあるこうした現実に目が向けられる気配が一向にみられない。さらに悪いことには、先述した「マースク・アラバマ号」事件をめぐる「報道」では、米国政府が発表した内容を、何らの検証も批判的吟味もなく、ただそのまま垂れ流し的に翻訳しているだけなのだ。

 AlertNetが配信した別の記事に、四月九日付のJeremy Scahillの"'Pirates' Strike a U.S. Ship Owned by a Pentagon Contractor, But Is the Media Telling the Whole Story?"がある。「「海賊」がペンタゴンとの契約関係にある軍事企業所有の船舶を攻撃」、しかしメディアは真相を報道しているのか?」という記事である。

 「マースク・アラバマ号」事件では、米国人船長が人質に取られ、ペンタゴンは四月十二日に船長を「無事救出」と発表したが、その際、米海軍特殊部隊「SEALS」が「海賊」を「急襲」した。そして海賊四人のうち三人を射殺、残る一人を拘束したとされている。
 日本の新聞各紙では攻撃を先に仕掛けたのは「海賊」の方で、海軍の特殊部隊は船長の身に危険が迫ったから「急襲」したと報道された。それも米国政府が発表した内容をそっくりそのまま引用したものであるが、果たして本当にそれが真相なのか、乗組員のインタビューを詳細に分析するなら事実関係に不明な点が多い、と筆者は問うているのである。

 ともあれ、この事件を節目として、ソマリアの「海賊」問題をめぐる事態は急変してしまった。一言で言えば、「海賊対策」の戦争化である。「海賊」側は報復宣言を発した後に、実際に米国の船舶への攻撃をしかけ、さらには「アラビア半島のアルカーイダ」を名乗る武装勢力も報復戦を扇動しはじめた。一方、これに対し米国政府は「海賊対策コンタクト・グループ」による国際会議を呼びかけ、「海賊」に対する非和解的・非妥協的な姿勢を貫くことを表明するに至っている(詳細は資料ブログを参照)。

 こうして折りしも、日本の国会で「海賊新法」の審議が本格的に始まったまさにその時、ぼくが当初より予想したように「海賊対策」はアルカーイダやソマリアのイスラーム武装勢力をも巻き込んだ、対テロ=「海賊」戦争へと変質してしまったのである。

2009年4月9日木曜日

制裁の徹底化は、拉致問題の解決と朝鮮半島の非核化に何もつながらない

制裁の徹底化は、拉致問題の解決と朝鮮半島の非核化に何もつながらない

 四月五日、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が三段ロケットを発射したころ、ぼくはPAC3が配備された首都圏のある地点から一〇キロも離れていない公園にいた。花見をしていたのである。

 公園は、ぼくが住んでいる界隈では花見の名所になっていて、家族連れで賑わっていた。こぼれ落ちそうな満開の大きな桜の樹の下でお弁当を囲む家族、駆け回る子どもたちのはしゃぎ声、酒宴に興じるおとなたち。少し離れたグランドでは少年野球の試合、その隣ではテニスコートを独占していた年配の人々・・・。何とも「平和」な、春爛漫の、最高の日曜日だった。

 ロケットに通信衛星が載っていたのかどうか、真偽の程はわからないが、韓国政府は飛翔体を「軌道から判断して、通信衛星用のロケット」と定義した(毎日新聞)。中国やロシアも同じ立場である。これに対し、日本政府は断固「弾道ミサイル」と言い張っている。読売・朝日・毎日・東京・産経・日経新聞などマスコミ各紙も政府に同調し、「弾道ミサイル」と表現している。ぼくは、北朝鮮が公表した映像を見た上で、韓国政府の定義が妥当だと思っている。

 日本政府は、ロケット発射直後から、これが二〇〇六年一〇月の国連安保理決議に違反した行為だとして、再決議を上げ、北朝鮮に対する制裁の徹底化をはかろうとしてきた。米国やイギリスを頼みの綱にしながら、安保理での政治工作にいまも余念がない。衆議院でも参議院でも、自民・民主・公明・国民新党の絶対多数で非難決議も上がってしまった。

 日本でも韓国でも、北朝鮮のロケット発射を良しとする人は、もしいたとしてもごく少数だろう。圧倒的多くの人は反対であり、たとえ「通信衛星」の打ち上げのためであったとしても、これ以上、北朝鮮がミサイルや核開発をすることを支持しないだろう。朝鮮半島と「東アジア」の非核化、そして両国の拉致被害者の帰国に始まる拉致問題の全面的解決を切に望んでいるだろう。ぼくも、その中の一人である。

 では、北朝鮮にミサイルや核開発をやめさせ、拉致問題を解決をはかるために、いま以上の制裁措置が有効だろうか? 答えは歴然としている。否である。制裁をいくら強化したところで、この間、事態はどれひとつとして何の進展も改善もはかられなかったのである。日朝間の金の移動はこれまでの制裁の結果、実に九億円程度にまでなっており、仮に制裁を徹底化したところで、実質的に何の効果もない。これが真実である。
 たびたび指摘されるように、北朝鮮は世界の一四〇ヶ国以上と国交関係を樹立しており、日本との貿易関係は北朝鮮の現政権と体制が生き残るにあたり、もはや必要不可欠の存在とはいえないのである。これも真実である。

 いまこそはっきりさせねばならないのは、主に拉致問題の解決のためと称して正当化されてきた北朝鮮に対する制裁こそが、拉致問題を解決はおろか、朝鮮半島の非核化という、そもそもの六カ国協議の基本目的の実現をも著しく困難にしている元凶だということではないか。
 日本政府をはじめ、何かといえば拉致問題を引き合いに出しながら、北朝鮮への制裁の強化を主張してきたマスコミ・新聞ジャーナリズムは、制裁政治の政策的破綻を自覚しながら、現実を真摯に見据え、政策の誤りを誤りとして総括しようとしない。むしろ、自らの無策ぶりを隠蔽するために「制裁の徹底化」を主張しているとしか思えない。

 もう一度確認しておきたいが、日本でも韓国でも、圧倒的多数の人々は、拉致問題の解決と朝鮮半島と「東アジア」の非核化を望んでいる。しかし制裁政治は、これまでがそうであったように、それに向けた道筋をつくらない。何の問題解決にもならないのである。このことを基本認識とすることが、二〇〇九年四月段階の「北朝鮮問題」を論じる出発点でなければならないとぼくは考えている。「いやそうではない、制裁の徹底化だ」という日本政府、議会政党、マスコミは、拉致問題の解決はおろか、朝鮮半島と「東アジア」の非核化を本気になって考えてはいないとしかいうしかないだろう。

 実は、一年半前、ぼくは⇒『制裁論を超えて--朝鮮半島と日本の〈平和〉を紡ぐ』の中でも同じ事を書いている。状況は、あれから悪化の一途を辿っている。では、どうすればよいのか? まず、
①制裁政治を外交に置き換える政策的誤りを正視し、次に、
②北朝鮮との二国間のチャンネルを復元することである。そして、
六カ国協議と「日朝平壌宣言」の枠組みの中で
④ミサイル・核開発問題を解決し、
⑤日朝国交正常化を実現することである。

 正規の国交関係抜きに、北朝鮮自身が認めた国家的組織犯罪たる拉致問題を解決することは不可能である。北朝鮮の正式な「調査報告書」に基づき、日本の外務省および警察が北朝鮮国内で独自に調査することも不可能である。いくら米国を巻き込もうとしても、米国が拉致問題を解決してくれるわけではない。

 これと同じことがミサイル・核開発についてもいえる。「約束対約束」の六カ国協議の原則を反故にしてきたのは、日本政府に言わせれば一方的に北朝鮮だとなっているが、北朝鮮に言わせれば日本の側である。そして、その主張には十分な根拠がある。なぜなら、「拉致問題の解決なくして経済援助なし」のスローガンの下、現に日本はエネルギー支援も経済援助も、植民地支配の清算も、何もしていないからである。

 今回のロケット発射に至るこうした経緯、つまり六カ国協議の膠着状態の原因は日本の側にもあるということ、そして実際に制裁強化は何の問題解決にもならないということを、マスコミや新聞ジャーナリズムは日本政府に対して提言すべきだったのではないか。にもかかわらず、今回もまた日本の政治と「言論」は、まさに体制翼賛的にそれとは真逆の方向へと、大きくブレてしまった。

 くり返される日本の政治と「言論」のダブル・スタンダード

 日本の政治と「言論」のダブル・スタンダード(二重基準)の根っこには安保がある。安保がある限り、何をやっても、何を言ってもダブル・スタンダードになる。

 「核廃絶」を政府として主張しながら、安保によって「米国の核の傘」に庇護されるのは「日本の防衛のため」だという。にもかかわらず、世界最大最強の軍事大国米国の核戦力や中国、ロシアの核戦力、そして日米安保と韓米安保に包囲された北朝鮮が核を持つことは絶対に許さない。米国の核軍事力に庇護されているという国が、それを自国の主権と安全保障に対する最大の脅威と捉え、「防衛的・対抗的核」を持とうとしている国を批判するのはダブル・スタンダードの極みというしかないだろう。

 けれども、日本社会の中では、これはダブル・スタンダードだとは見なされない。日本政府が安保と米軍基地を永続化させ、それを「日本の防衛のため」だと正当化し、それによって朝鮮半島と「東アジア」の核軍事バランスを著しく不均衡化させてきた現実に対し、「北朝鮮脅威論」と拉致問題を前にするとマスコミも「世論」も目をつむってしまうのである。この矛盾を矛盾として意識しなくなる矛盾・・・。まさしくこれこそが「戦後日本」が自らの内にすっぽりと抱え込んでしまった最悪のダブル・スタンダードとはいえだろうか。

 『制裁論を超えて』の中のぼくの文章のひとつ⇒「安保を無みし、〈平和〉を紡ぐ」で書いたのも、要するにそういうことであるが、ここで話を「オバマは「核のない世界」を実現するか?」の内容に引き付けて、もう少し問題の所在を整理してみよう。

(つづく)  

2009年4月6日月曜日

オバマは「核なき世界」を実現するか?

オバマは「核なき世界」を実現するか?

 ぼくは、何でもかんでも米国のやることに反対する「反米主義者」ではないし、皮肉屋でもない。けれども、米国政府のいうことを簡単にまに受けるほど、ナイーブな人間でもない。
 昨日報道された、オバマの「核なき世界」構想は、それを実現する意思を本当に米国が持つとしたら大歓迎ではあるが、ぼくにはどうもそうとは思えない。

 もちろん、米国が戦略核兵器をある程度削減することは十分ありえるだろう。しかしそれは、未曾有の経済危機に見舞われ、ブッシュ政権の核軍拡路線の戦略的かつ財源的な見直しを迫られたオバマ政権が、軍事戦略全体の方向転換をはかろうとする中から出てきた既定の方針であり、米軍自体の軍縮を推進しようというものではない。
 「使えない核」「必要がなくなった核」を米ロ協調路線の下で、できればイギリス、フランス、中国をも巻き込んで「処分」しようとしている程度のものでしかない。一基でも戦略核がなくなること自体は良いことであるが、だからといって大きな期待を抱くほどことは何もない、といわなければならないだろう。

 その証拠に、オバマ政権は二〇一〇年度のペンタゴンの予算において、前年度比3%増の予算案を策定し、連邦議会で通そうとしている。オバマの米国は軍縮に向かっているのではないのだ。
 では、どこに向かっているのか。ワシントン・ポストの"America at War"の記事を読んでみよう。その中に、"Gates Planning Major Changes in Defense Programs, Budget"という記事がある。そこでは、オバマ政権がロシアや中国などとの「伝統的なライバル国との大規模な戦争から、counterinsurgency programs(叛乱撲滅作戦)」、すなわち対テロ戦争に全面的にシフトし、それに応じた米軍の再編成と予算配分をすると書かれている。
 要するに、使えなくなった、維持するだけで財源を浪費する金喰い虫の核は処分するが、その分、アルカーイダとタリバーンの徹底抗戦派に対しては予算を増やし、今まで以上に対テロ戦争にまい進する、と言っているのである。この世界経済危機と米国の財政赤字の時期に、である。

 日本のマスコミも、こうした事実をきちんと踏まえ、オバマの「核なき世界」構想がはらんでいる問題点を分析した上で報道する義務があるのではないか。そうでないとオバマ政権と核軍縮に対する根拠なき、過剰な幻想を振りまき、人心を欺くことになるだけである。

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オバマ氏「核なき世界」へ新構想 世界核安保サミット主催へ
【プラハ5日共同】

オバマ米大統領は5日、チェコの首都プラハで演説し、公約に掲げる「核兵器のない世界」の実現に向けた包括的構想を初めて示した。1日の米ロ首脳会談の合意に基づき、両国の戦略核をさらに減らす新条約を年末までに策定、これをてこに大胆な核軍縮を進める。核拡散の防止策を探る「世界核安全保障サミット」を米国が主催する意向も表明。

核拡散防止条約(NPT)は非核保有国の核開発を禁じるのと引き換えに、核保有国である米ロなど5大国に「誠実に核軍縮交渉を行う義務」を課している。保有国側が守らなければ、非核保有国が核開発に乗り出す口実を与え、NPTの弱体化に拍車を掛けることから、模範を示した形。

大統領は新構想を「既存の核兵器を削減し、究極的には廃絶する」ための提案と位置付け、米ロなどが真剣に核軍縮に取り組めばイランや北朝鮮に核開発断念を迫る上で説得力を持ち、核拡散防止に寄与すると期待。しかし、北朝鮮は演説直前に「人工衛星」名目で長距離弾道ミサイルを発射、出ばなをくじかれた。大統領はこのほか、多国間条約に後ろ向きだったブッシュ前政権の政策を転換、包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准や、核兵器原料の生産を禁止する「兵器用核分裂物質生産禁止(カットオフ)条約」の交渉開始を目指す。

NPT強化策としては
(1)国際原子力機関(IAEA)の査察権限強化
(2)国連安全保障理事会への即時付託などNPT違反国への罰則導入
(3)核物質を国際的に一元管理する「核燃料バンク」支持-などを提案。

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米、軍事費8兆円追加へ イラク・アフガン大統領、議会に要請
2009年4月10日東京新聞【ワシントン=嶋田昭浩】

オバマ米大統領は九日、米国が取り組んでいる軍事、外交、情報活動のため、総額八百三十四億ドル(約八兆三千四百億円)に上る追加支出の承認を議会に求めた。

特に、アフガニスタン・パキスタン国境の治安状況は「緊急」な対応が必要と強調し、追加支出額の約95%(七百九十億ドル)はイラクやアフガン・パキスタン国境方面の軍事作戦に充てるとしている。厳しい財政事情を踏まえ、六日にはゲーツ国防長官が、前政権で聖域だった兵器調達の見直し計画を発表したばかり。大規模な追加軍事支出は、米国内から反発も受けそうだ。

オバマ大統領は、ペロシ下院議長あての手紙で「(アフガンの反政府武装勢力)タリバンは復活し、(国際テロ組織)アルカイダはアフガン・パキスタン国境の根拠地から米国に脅威を与えている」と指摘した。

米の国防予算案4%増、対テロ戦重視に組み替え【読売新聞・ワシントン=小川聡】

米国防総省が7日発表した2010会計年度(09年10月~10年9月)の国防予算案は5338億ドル(53兆383億円)で、09会計年度に比べて4%増加した。

沖縄に駐留する海兵隊約8000人のグアム移転に伴うグアム基地の強化費用3億7800万ドル(375億5800万円)も初めて盛り込まれた。今回の予算案は、ゲーツ国防長官が4月6日に発表した主要な兵器システム調達の見直しを反映し、アフガニスタンなどでの対テロ戦を重視した内容に「組み替えた」(国防総省)のが特徴だ。

これに伴い、最新鋭ステルス戦闘機「F22ラプター」や新型護衛艦の調達を取りやめる一方、ヘリコプターや無人偵察機への支出を増やした。共同開発中のステルス戦闘機「F35」の購入も加速させる。ミサイル防衛関連は、前年度比約13%減の78億2600万ドル(7775億9100万円)。多弾頭型の迎撃ミサイル開発など、不急の事業を廃止・縮小する一方、イージス艦6隻をミサイル防衛用に新たに改修するなど、北朝鮮やイランを念頭に、中短距離ミサイルへの対応策を強化した。

海外での対テロ戦の予算案は、本予算案と別に前年度並み(補正予算含む)の1300億ドル(12兆9168億円)を要求した。(2009年5月8日 読売新聞)

2009年4月4日土曜日

オバマの対テロ戦争と日本---アフガン「包括的新戦略」を検証する No.2

オバマの対テロ戦争と日本---アフガン「包括的新戦略」を検証する No.2

3 試される日本の開発戦略と開発「援助」

 昨日のニューヨークタイムズの記事によると、米国はオバマの「包括的新戦略」に基づき、パキスタンに対する向こう五年間にわたり三〇億ドル、ざっと三〇〇〇億円の軍事援助を計画しているとのことである。パキスタン国内のアルカーイダとタリバーンの本格的な掃討戦に向け、パキスタン軍と警察をメイドイン・アメリカの武器で武装させ、米軍が訓練するのだという。

 すでに米軍は、アフガニスタンと国境を接するパキスタンの領土において、タリバーンの拠点(と米軍が判断する)地域に対し、無人(無線による遠隔誘導)爆撃機による空爆をくり返している。
 米国のパキスタンに対する本格的な軍事介入、つまりは「包括的新戦略」の直接的目的は、イラク戦争と同様に、アフガニスタンとパキスタン両国の軍隊と警察の「アメリカナイゼーション」にある。その背後には、石油・天然ガス・鉱物資源開発問題や、アフガニスタンからパキスタンを経てインドに通じるパイプラインや道路網の建設などのインフラ整備と開発問題がある。アフガニスタンには、旧ソ連による占領期からタリバーン政権の時代にわたって開発計画中だったものが内戦によって実施されず、未開発のままになっているプロジェクトが数多く存在するのである(⇒この問題については別の機会に改めて述べることにしたい)。

 ソマリアの首都モガディシュ(モガディシオ)からイラクのバグダッド、パキスタンのイスラマバードを経て、アフガニスタンのカブールを線でつなぎ、この地域の歴史を数世紀さかのぼり、長いスパンで捉えてみる。すると、そこから浮かび上げってくるのは、かつてイギリスを中心にしたヨーロッパ列強が植民地支配し、その後「独立」した国々を、第二次世界大戦に一人勝ちした米国が、徐々に徐々に、今度はかつての植民地宗主国を従え、自らの手で実態的な「再植民地化」を果たしてきたという、そんな構図である。

 もちろん、戦後の米ソ「冷戦」体制の下で、これらの地域に旧ソ連が入ってきた時期もあった。しかしそのソ連も崩壊し、旧ソ連から独立した諸国と自国の「イスラム原理主義」から激しい抵抗を受けている。中国もしかり。チベットのみならず東トルキスタン(新疆ウイグル)問題をかかえている。もはや、国連加盟国の中で米国の対テロ戦争の遂行に歯止めをかける国家は存在しない。現代世界でそれと対峙している最も強力な政治勢力とは、他でもないイスラム武装勢力なのである。

 だからといって、ぼくはイスラム武装勢力を支持しているわけでも賛美しているわけでもない。彼/彼女らの思考と思想は、その教義とともにぼくの理解力を超えている。ただし、ぼくは彼/彼女たちの政治的主張と戦いには、否定しがたい正当な根拠があるとは考えている。とりわけ、自分たちの国、領土が米軍や外国軍によって支配されていることや、トランスナショナルなメジャー資本によって天然資源が略奪されているという主張は、ぼくにも理解することができる。
 また、西洋版「自由と民主主義」イデオロギーと統治制度を人類普遍的な「価値」とし、米国がその絶対的な軍事力を背景に、これを外部から移植しよとすることに対し、彼/彼女らが強烈な拒否反応を示していることも理解できるような気がする。どれだけ彼/彼女らの宗教的教義や行為に同意できないものがあるにしても、そのことが彼/彼女らを抹殺する理由には到底なりえないし、彼/彼女らの政治的主張の根本には、「テロ集団」と一言で断罪し、切り捨てることはできない一片の真実と正論が含まれている、少なくともぼくはそのように考えている。

 実は、このような徹底抗戦派のイスラム武装勢力と和解し、和平合意をまず結ばなければならないのは、アフガニスタンのカルザイ政権でもソマリアの暫定連邦政府でもない。誰を置いても、まず米国である。米国と、米国が「テロ集団」規定する武装勢力の両方を、その和平交渉のテーブルに引きずり出す力と意思を国連が持たない/持てないことが、ブッシュが始めたグローバル対テロ戦争を永続化させ、世界各地のテロルな「国際の平和と安定」を永続化させる根拠になっているのである。

 ぼくらはこのような観点から、今一度、対テロ戦争時代における日本の安保・外交戦略と開発戦略、とりわけアフガニスタンに対する「復興支援」「開発援助」のあり方と、これらに対する日本のマスメディアの「言論」のあり方、さらには国際NGOを含む「市民社会」が果たしている役割を捉え返す必要があると思うのである。

①「復興支援」という表現の問題性

 さて、報道されているところによると、米国は今年の年末までに、アフガニスタンに駐留する米軍の規模を現在の三万八〇〇〇人から六万八〇〇〇人へと増強する計画を明らかにしている。イラク戦争のせいで米軍がイラクに集中し、その結果タリバーンの復活を許してしまった、だから再度米軍と「文民」部隊を大量に投入し、アフガニスタンとパキスタンの二正面作戦でアルカーイダとタリバーン「強硬派」を殲滅するという戦略である。一言で言えば、「アフガニスタンのイラク化」である。

 イラク戦争がイラクの人々にどのような凄惨な戦禍を残したかは、ここでは触れない。「国際社会」はすでにそのことを忘却しかけているが、ここでの問題は、今後、このような状況の中でアフガニスタンにおいて取り組まれる「プロジェクト」を「復興支援」プロジェクトと呼ぶことが適切かどうか、ということである。

 アフガニスタンにおける対テロ戦争への日本の「後方支援」は、米軍とイギリス軍を中心とした「有志連合」による空爆の開始から始まった。タリーバン政権の転覆後、直ちに旧テロ特措法を制定し、アフガン「復興支援」の国際会議の主催国にもなった。また政府と国際NGOの「パートナーシップ」の名の下に、ジャパン・プラットフォームも結成され、「官民共同」の「復興支援」プロジェクトの体制も構築された。

 しかし、二〇〇二年春から本格的に始まる「復興支援」とは、タリバーンが政治勢力としては解体した、という前提の上に立っていた。「有志連合」による対テロ戦争は、ごく一部のタリバーン「残党」に対するもので、それもいずれ近いうちに終わると想定されていたのである。
 また、NATO軍の国際治安支援軍(ISAF)の投入は、タリバーン掃討戦の勝利を前提に、アフガニスタン軍の再建と警察を支援しながら、国連の活動が円滑に進むように「治安維持」にあたるものと位置づけられていた。そして、国連のミッションも、タリバーンやアルカーイダの復活などはまったく想定していない、対テロ戦争とは一線を画した「非軍事」の一年間のミッションとして、あくまで「復興」のための「緊急」かつ「人道」的な支援として構想されていたのである。

 もっとも重要なことは、国連としてのアフガニスタン「介入」には、「内戦状態ではない」という大前提があったことだ。それは、日本政府やジャパン・プラットフォームにしても同じである。
 しかし、その大前提は根底から崩れ去ってしまった。当初の「復興支援」の構想は、タリバーンの頑強な抵抗が続き、挙句の果てに全土に復活するという事態に直面し、破綻する。「有志連合」、ISAF、国連、いずれのレベルにおいても、二〇〇五年あたりからその矛盾が露わになってくる。米軍は空爆を激化させ、「治安維持」のためのISAFはタリバーンとの地上戦を戦うようになる。「復興支援」「治安維持」活動は、一般市民、農民を巻き込んだ再度の内戦状態へと舞い戻っていったのである。

 これに輪をかけたのが、絶えることのない腐敗と汚職にまみれたカルザイ政権に対する民衆の不信の高まりだった。政権は軍閥政治の延長で、米国とEUに操られたカイライ政権に過ぎないと多くの人が見るようになった。こうしてタリバーンを当初批判していた人々や、タリバーンから一度は離脱した人々の中にも、米軍と外国軍の存在自体が内戦を泥沼化させ、一般市民の犠牲を激しくしている最大の理由だという認識が広まり、タリバーンへの再転向への動きが加速化していったのである。けれども、米国はいうまでもなく、イギリスもドイツも、カナダも日本も、「国際社会」=国連全体がこの事実を黙殺し続けてきた。内戦状態にあることを正式に認めてしまえば「復興支援」といい続けてきた矛盾が露わになってしまうからである。

 内戦状態へと舞い戻った時期を、早くも二〇〇二、三年とする専門家もいるが、どんなに遅く判断しても⇒「アフガニスタン・コンパクト」と呼ばれる現在の「国際社会」のコミットメントが決定された二〇〇六年にはそうなっていたといえるだろう。日本を含む「国連アフガニスタンミッション」に関与してきたどの国家も、事実を事実として、現実を現実として受け止めようとせず、カルザイ政権とタリバーンとの和平交渉を真剣に仲介する意思を持とうとしてこなかったことが、内戦の激化と一般の人々の犠牲をここまで悪化させてきた最大の理由なのである。

 無益な内戦によって殺されてしまった人々、その遺族の立場に立つなら、総括なきアフガニスタンへの介入を続けてきた「国際社会」の犯罪的責任性は、いっそう明白になるのではないだろうか。

2009年4月1日水曜日

米軍はイラクから撤退しない


 米軍はイラクから撤退しない

 日本の新聞各紙、マスコミは、今年9月末までのイラク駐留米軍1万2000人の撤退問題に関連し、これが2011年末までの「完全撤退」に向けた「第一弾」であると報道している(「資料ブログ」を参照)

 しかし、米軍がイラクから「完全撤退」しないであろうことは、米国では周知の事実である。日本のマスコミは米軍のイラクからの撤退問題に関して、どのような議論が米国国内でなされているかを独自に調査・分析し、もっと事実に即した記事を書いてほしいものである。
(上の地図はイラクとアフガニスタを中心に、中東から中央アジアに広がる米国(および有志連合)の対テロ戦争地図。globalresearch.caより。) 

 この問題についてネット上で公開された二つの文章を紹介しておこう。
 その一つは、二月末にAlternetに掲載された、Jeremy Scahill"All Troops Out By 2011? Not So Fast; Why Obama's Iraq Speech Deserves a Second Look"、もう一つは、Institute for Policy Studies に掲載されたPhyllis Bennis"Obama to Announce Iraq Troop Withdrawal"である。

 これら二つの論考を要約すると、だいたい次のようになる。
 「たしかに、オバマは選挙前からイラクからの米軍撤退を公約にしてきたし、先日のノース・キャロライナにおける演説でも、一見したところでは、同じことを言っているように思える。しかし、実はオバマの演説にはブッシュがやったようなレトリック上のトリックがあり、そう簡単には事は運ばない。事実は、無期限駐留の可能性さえあることを示している」・・・。

 その証拠の一つとして、ある米軍の指揮官がNBCのペンタゴン付記者に「かなりの数の米軍が今後十五年から二〇年にわたりイラクに駐留することになるだろう」と語ったことが紹介されている。

 米国は米軍の完全撤退をイラク政府とすでに合意している。そのための協定も結ばれたというのに、米国が協定に違反することが許されるのか、という疑問がわいてくる。
 しかし、ぼくらは米国という国が、国際法に違反しようが国際的な非難を受けようが、自国の「国益」と「安全保障」戦略、対テロ戦争のためなら何だってやる、できる国だということを知っている。ブッシュがオバマに変わったところで、そういう米国という国の性質が変わるわけではない。ブッシュ政権の時代が「生ける悪夢」の時代であったことが確かだとしても、ぼくらはオバマ政権に対する根拠なき、過剰な幻想を払拭し、これからオバマと米軍がイラクとアフガニスタン、そしてソマリアや「アフリカの角」で何をするかを慎重にモニターする必要がある。

 問題になっているのは、大統領就任後のオバマの主張が微妙に変質してきていることだ。イラクからの米軍撤退問題に関していえば、注意すべき二つの表現がある。
 その一つは、"conditions on the ground"、もう一つは、"upon request by the government of Iraq"である。つまり、全面撤退の協定を結びはしたが、イラクの「治安」状況が今後どのように改善されるか、その「条件」次第によって、「イラク政府からの要請」があるなら二〇一二年以降も継続駐留する、ということである。
 間違いなく、現実はそうなるだろう。そうならないためにこそ、声をもっと上げなければならない・・・。二人の著者は米国国内と世界に向けて、そう呼びかけているのである。

 Democracy Now!というネットメディアでも、同じことが報じられている。三月二六日付けのニュース、、「オバマの誓約に反し、イラクの米軍戦闘部隊は残留する」を見てほしい。関連サイトとしては、Inter Press Serviceのこちらがある。

 要するに、米軍はイラクから撤退しない。100%撤退しない。これは確実である。
 ただし、駐留の継続にあたり、その呼び方が変わる。"combat brigades"(戦闘部隊)ではなく、 "Brigades Enhanced for Stability Operations" (BESO)、イラクの「安定化作戦のために高度化された部隊」とでもいったものに。

 この部隊が「移行部隊」と呼ばれ、当初の撤退期限、来年の八月以降も無期限にイラクに残留することになる。米軍は、「期限がいつになるか未定の最終的撤退」に向けた過程を「移行期」と呼んでいるのである。
 「移行部隊」数は、少なくとも三万五千から五万人規模!といわれている。米軍のイラク司令部は、「移行司令部」と名前を変え、"advisory and assistance brigades"(助言・支援部隊)も上のBESOとは別に残留する。イラク政府軍と警察の反政府武装勢力との内戦を「助言・支援」する部隊として。
 ニューヨーク・タイムズが報じたところによると、米軍関係者の中には二〇一一年以降もイラクに七万人規模の米軍が駐留する可能性もあると発言した者もいるという。

 大統領が選挙期間中に何を公約しようが、就任後にどのような発言をしようが、関係ない。少なくとも、米軍に関していえば。これが「民主主義」国家、「文民統制」が取れた国家だといえるのだろうか?

 ソマリア、イラク、パキスタンにアフガニスタン。
 永遠の米軍基地と米軍駐留とともに、対テロ戦争も永遠に続く気配をますます濃くしている。