2011年1月24日月曜日

米国とイギリスの大学の軍事研究とグローバル軍産学複合体、その他

米国とイギリスの大学の軍事研究とグローバル軍産学複合体、その他

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米国とイギリスの大学の軍事研究とグローバル軍産学複合体

 「武器と市民社会」研究会の連続公開セミナー、「「ロボット戦争」はどこに向かうのか?」が先週の土曜日(2011/1/22)に行われた。今回が最後だということで参加するつもりでいたが、どうしても都合で参加することができなかった。(研究会の事務局は、昨日、早速セミナーのレポートを送ってきてくれた。担当者が週末を潰して作成したものである。なかなかできることではない。私は誰よりも事務局の労をねぎらいたいと思う。)以下、ちょっとした情報として、この研究会にも関連することを最初に紹介しておこう。

  「武器と市民社会」研究会は、「2007年5月にNGO関係者や研究者などによって設立された」。「会合開催、研究会メンバー有志による学会でのパネル報告、セミナー企画などを行って」きた。研究会は、無人戦闘・爆撃機やロボット兵器の登場など、対テロ戦争時代における「戦争」と「兵器」の形態変化の中で、これと日本の「市民社会」との関わりを考えようとするプロジェクトである。その中には、当然、「ミッサイル防衛システム」の日本配備、日米共同研究・開発、武器輸出三原則の規制緩和・撤廃問題も含まれる。
 私もまたこの問題意識を共有する者のひとりである。2007年1月に出した拙著『大学を解体せよ』は、まさにそうした状況と時代変化に日本の大学研究が深く関わっているという認識の下に書かれたものである。

 いろいろ詳しい説明を省略して言えば、「武器と市民社会」プロジェクトの問題意識を共有しつつも、私はこのプロジェクトには、日本における軍産学複合体の形成を問うという視点が非常に希薄なのではないか、という思いをずっと抱いてきた。研究会の過去の発言者の中では、唯一「核とミサイル防衛にNO!」キャンペーンの杉原浩司氏がこの問題を提起している程度である。しかし、無人戦闘・爆撃機やロボット兵器の登場、ミサイル防衛システムの日本独自の研究・開発を考える場合、グローバルなレベルにおける軍産学複合体の形成とそこにおける日本の大学研究が果たしている/果そうとしている役割の検討は欠かすことのできないテーマである。

 米国やイギリスにおいて、軍産学複合体を問う運動は広がりつつある。すでにこのブログで紹介してきたものに加え、新たに二つの資料を紹介しておこう。

そのひとつは、International Peace Bureau (IPB) とThe Institute for Policy Studies (IPS) が創設したdemilitarize.org が1月14日に公表したFact Sheet: The Pentagon and the Universitiesである。調査結果の一部を引用してみよう。

・Pentagon support totals $3 billion a year, about 12% of all university-sponsored R & D. The Pentagon also sponsors research at two Federally Funded Research and Development Centres (FFRDC): the MIT Lincoln Laboratory, which receives about $650 million, and the Software Engineering Institute at the Carnegie Mellon University at about $70...All told, Pentagon support for university research totals about $4 billion.

・The top recipients of Pentagon research funds in 2007 were Johns Hopkins University ($511 million), Pennsylvania State University ($172 million), Georgia Institute of Technology ($99 million), Utah State University ($62 million), University of Hawaii ($54 million) Washington ($58 million), and MIT ($53 million).

 調査の記述の中で特に注目したいのは、Apart from direct Pentagon support, many university professors through their consulting business receive funds from corporations, who in turn receive R&D funds from the Department of Defense, which are not reflected in the NSF figure. である。 つまり、ペンタゴンからの直接資金援助という形ではなく、米国の多くの大学教授が「コンサルタント」という活動を通じて企業から助成を受け、その企業がペンタゴン発注の軍事技術の研究・開発を行っている、しかしそれはNSFの統計の中には含まれていない(実際の額はもっと高額になる)、という分析だ。

 もうひとつは、2007年に公表された、オックスフォード大に拠点を置くFellowship of Reconciliation (FoR)と、Campaign Against Arms Trade (CAAT)がまとめたイギリスの大学の軍事研究の実態調査、Study War No More: Military Involvement in UK Universitiesである。その「主な調査結果」は、次の通り。

•between 2001 and 2006, more than 1,900 military projects were conducted in the 26 UK universities covered by the report.
•the total value of these projects to be a minimum of £725 million.
•Out of the 26 UK universities, those conducting the largest number of military projects were, in descending rank order: Cambridge, Loughborough, Oxford, Southampton and University College, London.
•Three powerful multinational companies were involved as the sponsors/ partners of over two-thirds of identified military projects: Rolls Royce, BAE Systems and QinetiQ.

 「続・大学を解体せよ--人間の未来を奪われないために」で述べたように、産軍学複合体は、
①軍事(に転用される)テクノロジーと産業部門の「イノベーション」のための/それに転用されるテクノロジーの境界線が「融合」し、
②その「融合」領域に対して、大学と研究者が自己資金を確保するために能動的に関与することによって形成される。 米国やイギリス、フランス、中国、ロシアにイスラエル等々の核軍事国家においては、軍産学複合体は完璧に制度化されたシステムとして存在するのである。

 こうした核軍事国家の軍産学複合体との日本の軍事産業と大学や独法系研究機関の「連携」や「融合」に対して、「憲法九条があるから日本の大学は軍産学複合体とは無関係である」と考えることは、「「護憲」を貫くことが軍産学複合体の形成を阻む」という考えと同じくらいナイーブであり、無力である。事態は憲法九条問題とは次元の違うところで進展してきた/いるのだ。

 今、非常に重要な研究領域は、上の二つの資料が行ったような実態的な研究調査を日本の軍事産業と東大・京大を筆頭とする日本の大学研究・開発に引き付けて、具体的に行うことだ。その意味において、「武器と市民社会」研究会の「プロジェクト」のスコープはきわめて自己限定的であり、弱点を持っている。


大学研究の可視化と規制

 一昨日の「武器と市民社会」研究会では、「グローバル軍産学複合体の中の東京大学、そして日本の大学(1)」の中で紹介した、国立大学法人千葉大学の副学長が率いる「ロボット工学」研究のことが触れられた。「米軍マネー、日本の研究現場へ 軍事応用視野に助成」という2010年9月8日の朝日新聞の記事をベースにしたものだが、とくに新しい事実の暴露はなかったようだ。去年の記事では、次のようなことが書かれていた。

「大学や研究所など日本の研究現場に米軍から提供される研究資金が近年、増加傾向にあることがわかった。研究に直接助成したり、補助金付きコンテストへの参加を募るなど、提供には様々な形がある。背景には、世界の高度な民生技術を確保し、軍事に応用する米軍の戦略がある。軍服姿の米軍幹部がヘリコプター型の小型無人ロボットを手に取り、開発者の野波健蔵・千葉大副学長(工学部教授)が隣で身ぶりを交えて説明する。そんな様子が動画投稿サイトで公開されている。 米国防総省が資金提供し、インド国立航空宇宙研究所と米陸軍が2008年3月にインドで開いた無人航空ロボット技術の国際大会の一場面だ。

 千葉大チームは「1キロ先の銀行に人質がとらわれ、地上部隊と連係して救出作戦に当たる」というシナリオのもと、自作ロボットで障害物や地雷原、人質やテロリストの把握などの「任務」に挑んだ。入賞はならなかったが、その性能は注目を集めた。参加は、組織委員会に日本の宇宙航空研究開発機構の研究者がおり、出場を誘われたからだという」・・・。

 実は、2008年に開催した「戦争マシーンを止めよう! ~「産軍学複合体」の現実に迫る~」 の準備過程において、「ロボット憲章」を起草しながら上のコンテストに参加した「千葉大チーム」の責任者、野波健蔵氏に講座での発言を依頼したことがある。千葉大の事務局(総務課)を通して行ったその要請は、当然と言えば当然なのだろうが、丁重に断られてしまった。

(つづく)

2011年1月18日火曜日

こんなはずじゃなかっただろ? 歴史が僕を問い詰める・・・

こんなはずじゃなかっただろ? 歴史が僕を問い詰める・・・


 The Blue Heartsの「青空」。『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』の「テーマソング」である。歌詞の一節を、「まえがき」の後、本文の冒頭に引用させていただいた。もちろん、著作権料を払ってのことだ。自分の脳の小さなキャパシティではとても処理できない巨大なテーマを追いながら、ときおり激しい頭痛に襲われたときに、この唄を聴くことで精神の均衡を保っていたことを思い出す。

 「こんなはずじゃなかった」ことが、この世界には多すぎる。
 拙著を批評してくださった天木直人氏は、これを一昨年の政権交代に引き付けて理解されたようだ。それも確かにある。確かにあるが、しかし私は「1945年8月15日以後」という、もっと広いスパンでこれを使った。
 私の「戦後」認識は、60年前の1951年9月8日を節目としている。日本が「個別的または集団的自衛の権利」を保有することを認めたサンフランシスコ「平和」条約と旧安保条約を同時に署名したこの日を、憲法九条が死文化した日として理解しているからだ。

 なぜ、憲法九条が1951年9月8日に死文化したか。その憲法解釈上の根拠については拙著を読んでいただくしかない。しかしこの認識にいったん立つなら、「憲法九条を守れ/憲法九条を世界に」という「護憲」派の思想と論理のみならず、「集団的自衛権をめぐる憲法解釈を変更せよ/憲法九条を改廃えよ」と主張してきた「改憲」派の思想と論理のいずれとも与(くみ)し得ないことは明白になる。
 と同時に、「戦後・以後」を20年前の湾岸戦争・以後とするような加藤典洋流の「敗戦後論」、その歴史認識とも袂を分かつことになる。当然のなりゆきとして、日本の言論空間においてそのような「戦後」認識はoutcastになり、私はoutcasteになる。本が売れるはずもない。自分がoutcast/outcasteであることを、どこまで引き受けながらモノが言えるか? 前田朗氏が言う「非国民」になる/ならないというより、これが私個人の人生のテーマである。

 「非国民」と言えば、前田氏と並ぶ「非国民」(?)たる鹿児島大学の木村朗さんから、遅ればせの献本への礼状と年賀の挨拶を兼ねたメールを先週いただいた。木村さんにも「共感をもって読ませていただきました。新しい知見をいただき、感謝しています」と言っていただいたことに大変感謝し、恐縮もしているが、私より年配の木村さんは、次のようなことを書かれていた。

 「今の気持ちは、「暗転する時代状況のなかで自分を見失わずに、戦争犯罪と人権侵害を許さないために、いま出来ること、やるべきことを一つずつやっていくつもりである」ということに尽きます」・・・。私も自分を見失わないようにしたい。
 

 2011年の「世界の学生運動、日本の大学の今」
 因みに、『大学を解体せよ--人間の未来を奪われないために』の「テーマソング」は加川良の「教訓Ⅰ」だった。

 命はひとつ人生は1回 だから 命を捨てないようにね
 あわてると ついフラフラと「御国のためなの」と言われるとね
 青くなって尻込みなさい 逃げなさい 隠れなさい

 7年前の国(公)立大学の法人化、その後の私大の「制度改革」が、「御国のためなの」と言われながら行われ、「壊れる大学」を続出させてきたからだが、今年に入っても「世界の学生運動」のうねりは衰えることがなさそうだ。 (今日(1月18日)、ドイツのフライブルグでは300人の学生が学内集会を開き、その内40人が学生センターを占拠した、と伝えられている。)

 世界各地でこれから予定されている運動を紹介している上のサイト。その右上のビデオの中にも出てくるピンクフロイドのAnother Brick in the Wall. 『学校のない社会への招待---〈教育〉という〈制度〉から自由になるために』のテーマソングである。

We don't need no education  教育なんていらない
We dont need no thought control  思想統制なんていらない
No dark sarcasm in the classroom  気分が落ち込む皮肉を授業で聞かされるのはもうまっぴらだ
Teachers leave them kids alone  教師どもよ、子どもたちを解放せよ
Hey! Teachers! Leave them kids alone!  そこの教師どもよ、子どもたちを解放せよ
All in all it's just another brick in the wall.  何もかも
All in all you're just another brick in the wall. 誰も彼も単なる〈壁〉の一塊に過ぎない

 1979年にリリースされたThe Wallでは、Another Brick in the WallはPartⅠからⅢまである。そのⅢには、こんな詩がある。
I don't need no arms around me 武器なんていらない
And I dont need no drugs to calm me. 気を静める/正気を保つために(麻)薬なんていらない
 教育と武器と(麻)薬で〈壁〉はつくられる。教育・軍事・医療-薬剤の三つの産業が世界と人間を支配し、〈壁〉をつくる。世界は教育、兵器、(麻)薬に溢れ、人類は教育、兵器、薬漬け人間にされる。
 青くなって尻込みなさい 逃げなさい 隠れなさい・・・。

 そのピンクフロイドのギタリスト、デビッド・ギルモアの息子がイギリスの戦没者記念碑の壁によじ登り、国旗を引きちぎって逮捕されたのは先月のことだったが、それにしても気になるのは、相変わらず日本の大学人や学生たちがこの世界的な教育‐大学闘争のうねりのネットワークに参加していないのはなぜか、ということだ。学生や大学人自身によって、情報がもっと伝えられるべきだと思う。

 壊れゆく日本の大学事情の中で、目にとまった記事がある。長周新聞の「独法化で崩壊する下関市大」という昨年11月の記事だ。この新聞の「党派性」が何であれ、下関市大の現状に興味が引かれた。
 記事の執筆者は言う。

①「下関市立大学の場合、市立だからといって下関市から運営交付金をもらっているわけではなかった。2000人に及ぶ学生の授業料・受験料で大学運営のすべてをまかなうという、全国的にも異例な経営事情が以前から問題になっていた。下関に公立大学があり、2000人の学生が学んでいることに対して、下関市には国から毎年約五億円の地方交付税交付金が配分される。30年間で換算すれば150億円にもなる。ところがそのお金は大学運営のために回った試しがなく、市の箱物事業などに消えていった。むしろ2000万円の黒字(授業料・受験料)が出た年には市財源に巻き上げられたことすらあった」・・・。

②「この数年間で下関市立大学への志願者は激減し、国公立で最低水準にまで転落した。2010年度の入試実施状況を見ると、国際商学科でとくに激しく、志願者は141人で前年度(442人)の3分の1まで減った。そのうち実際の受験者は126人。定員は60人だが、80~90人程度を合格させることから実質倍率は1・5を切っており、ほぼ全入に近い。
 その要因として語られるのが学費の大幅な値上げだった。来年度の初年度納入分は91万8000円。授業料は年年値上げされ来年度は53万5800円で、4年前と比べて6万円以上もアップする。全国平均よりも約2万5000円程度安かった魅力が薄れたことで「庶民の大学」とは縁遠い存在と映り、優秀な苦学生たちが敬遠し始めたと指摘されている。

 利潤を得るためにてっとり早く学費を上げた結果、学生が集まらない。そこで受験者の数を増やすために基礎学力がなくても入学できるよう、入試では推薦枠を拡大して面接だけで通す「固定客」を確保したり、受験生の苦手な科目は選択しなくても合格できるような制度を取り入れてきた。
 このため、英語や数学が中学生程度の学力がなくても、また高校で日本史や世界史を学んでこなくても入学でき、大学の語学、経営学や東アジア史の授業をきょとんとした表情で受ける学生が多く存在するようになっているという。「学生がまったく本を読まない」「漢字が読めない」「琵琶湖の位置を岡山県とこたえる学生がいた」など学力の問題が危惧されてきた。低学力の学生の補習を制度として確立することが真剣に論じられ、通常の試験でも合格できるように、ノートなどの「持ち込み方式」をとり入れるようになった」・・・。

③「独法化と同時に報酬1600万円の「理事長」ポストが新設され、そこに江島前市長のブレーンだった松藤水道局長が退職後スライドして天下り。さらに植田市大事務局長が退職して事務局長(兼理事)にも就いた。かれらが学長をしのぐ権力者となって采配を振るうようになったことが、大学の空気を様変わりさせた。教授会との鋭い対立の激化となって、処分や反駁、訴訟沙汰の応酬が始まった。

「理事長」と「学長」が分離され、学長は銀行関係者など外部も交えた理事会の一理事となった。国公立大学において大学トップの「理事長」と「学長」は同一人物が兼務するのがほとんどで、わざわざ1600万円を与えて「理事長」を据える大学も稀である。理事長になると1年ごとに100万円の退職金が加算されていく仕組みにもなった。

 独法化直前、学長選挙で教授会が投票で選出した候補者が理事によって拒否されたのを皮切りに、安倍(元首相)代理の江島市政側すなわち政治が手を突っ込むのとセットで、つぎつぎと教授会の権限がなくなる過程をたどった。経営審議会と教育研究審議会という2つの組織でことが決まり、トップダウン方式で押しつけられるようになったのも特徴だ。現場での予算配分を一手に請け負う事務局長の権限が絶大となり、教授会は事務局が提起する方針を単に受諾する機関に成り下がったこと、反発する教授への処罰や事務職員の降格、丸坊主にさせたりといったことが日常茶飯事でまるで田舎ヤクザが人を脅すような手法が持ち込まれたと指摘されている」・・・。

 青くなって尻込みなさい 逃げなさい 隠れなさい・・・。 
 下関市の行政が、公的サーヴィスを次から次に切り捨ててきた行政、市長以下の職員の給与アップと「箱物」‐公共事業を第一に考える「市民不在」の代物であることは、以前から指摘されてきたことであるし、私自身も知っていた。そうした地方自治体主体の「公立大学」経営が抱える問題とその矛盾を下関市大が最も集約的に表現している、ということだろう。
 ではその他の「公立大学」は今どうなっていて、教職員や学生たちはいったい何をしているのだろう。

 世界の国々は「超」がつく緊縮財政の中、公教育と大学教育の「受益者負担」を高騰させ、これに対して「世界の学生運動」は怒っている。ところが、「超」がつく「就職氷河期」の中で、日本の受験生や学生たちは、怒ることをせず「内向」し、自己防衛に走っている。就職先が決まらない学生たちは、ある者たちは「保護者」の金を目当てに、またある者たちは借金をしてまで専門学校に通い、来年のセカンド・チャンスに未来を託そうとしている。また、受験生たちは文系よりは理系に、首都圏や京阪神よりは地元に、資格取得と就職を第一に考え大学を選択する傾向を強めているという。そしてそういう学生や受験生たちを、大学と行政が一体となり「ケア」する態勢が構築されるようになっているという。

 けれども、そういう学生や受験生、「保護者」に納税者が決して自問しようとしないのは、「そこまでして大学に行くことに本当に価値があるのかどうか」という問いである。いや、多くの人々は実は自問し始めているにもかかわらず、エリート主義の牙城であるこの国のメディアがそれを取りあげず、「大学ボッタクリシステム」を温存させる役割を担っているだけなのかもしれないが、いずれにせよ確実に言えることは、日本の学生・受験生のサバイバルをかけた営みが既存の教育・大学制度の在り方を問うものには、いまだなっていないことである。

 『大学を解体せよ』の「知識社会の教育社会学」の中で、私は「教育の社会的資本の過剰」を論じているが、階層化された社会的資格を取得し、それをもって就職するために大学なんていう制度はいらないのだ。人間が自分の人生の進路をじっくり考え、そのために準備することができる「モラトリアム」の時代を人生の間に数回、数年単位で持たねばならないと私は考えているが、その「場」が今の「大学」「大学院」「専門学校」であらねばならない必然性は何もない。大学をはじめとする教育産業という〈壁〉こそが、私たちを生き急ぐ、病んだ動物にしているのである。 


 で、改造菅内閣は「普天間問題」をどうするのか?
 人気が凋落し、倒壊寸前の政府にとって「最良」の政策は、「何もしない」という最悪の選択である。時間を潰し、問題を先送りしている間に、ある政策をめぐる「民意」の関心が薄れたり、意見が変わるのを待つ、という「戦略」である。
 菅内閣は、すでに「普天間問題」を当面(最長3年程度?)棚上げにする合意を米国と交わし、3月の日米首脳会談における「日米同盟の深化」のための日米共同宣言の内容をめぐる調整に入っている。その一方で、日米両政府は、在沖米軍基地の新たな「負担軽減策」として、嘉手納基地のF15戦闘機訓練の県外移転先を、グアムまで含めることで基本合意した。

 これに対し、「パッケージ論 実効性のない空論やめよ」と題された1月16日付けの琉球新報の論説は、とてもまっとうな事を述べている。曰く、

①「普天間飛行場を県内移設しなければグアムへの訓練移転はない、という論法は典型的なアメとムチではないか」
②「これまで日米合意は(1)普天間飛行場の移設(2)海兵隊のグアム移転(3)嘉手納より南の基地返還―がパッケージと説明されてきた。F15訓練のグアム移転をその対象に追加することは、ゲームのルールを変えることに等しい。一方の当事者である日本政府は、ルール変更に異議を挟む場面ではないか」
③「米国の言いなりになってゲームを続けるのなら、最初から勝負はついているようなものだ。そもそもグアムへのF15訓練移転が負担軽減につながるというのは、現状を見れば空論にすぎない」
④「県や名護市が反対する名護市辺野古崎への移設は現実的ではない。海兵隊の「抑止力」と同様に、パッケージ論は破綻している。無効にすべき代物だ。
⑤「非現実的な日米合意を盾に、県内移設を押し付ける民主党政権は滑稽(こっけい)ですらある。日米両政府こそ現実を直視すべきだ」。

 「まったく、その通り」と言うほかない。
 また、沖縄タイムスの15日付の「日米合意推進を懸念 名護市長 方針変更望めず」という記事では、稲嶺進名護市長が、改造内閣において内閣官房長官と沖縄担当相が兼務されることなどについて、「首相が日米合意を踏襲すると言っているなかでは方針は変わらないし、表だけ沖縄を大切にすると言っても中身が変わらなければ前には進まない」と述べたことが報じられている。

 「日米合意の見直し」が「世論」の多数派の意思であるというのに、「普天間問題」解決のなし崩し的な引き延ばしと、沖縄との合意なき「パッケージ」が米国主導で行われていることに対し、「本土」のジャーナリズムはこれらを正面から取り上げず、沈黙を決め込んでいる。「本土」の私たちが、「無情報」という情報操作によってまた騙されてしまうことがあったとしても、沖縄の人々は二度とそうなることはないだろう。

 朝日新聞が行った先月の世論調査。全国3000人の有権者を対象に4、5日に行われ、回答率は67%だったという。結果は以下のようなものだった。
・昨年5月の日米合意について。
 「見直して米国と再交渉する」が59%、「そのまま進める」は30%。
・支持政党別の結果。
 民主支持層の61%、無党派層の62%が「見直し」、自民支持層では「見直し」が47%だったが、「そのまま進める」の41%を上回った。
・「日米合意を見直す」と答えた人への「どうしたらよいと思うか」という質問。三つの選択肢から選らばれた。
 「国外に移設する」が51%、「沖縄県以外の国内」が32%、「沖縄県内の別の場所」が12%。
・沖縄に米軍の基地や施設が集中している現状について。
 「おかしい」48%、「やむを得ない」45%。
・「おかしい」という人のなかでは、日米合意を「見直して米国と再交渉する」と答えた人が76%、「やむを得ない」という人のなかでも、「そのまま進める」と「見直し」がそれぞれ45%と46%。
・沖縄の米軍基地などを整理縮小するため、一部を国内の他の地域に移すことについて。
 「賛成」57%、「反対」28%。

 民主党支持者の6割以上が「見直して再交渉すべし」と回答しているのに、菅政権はその民意に応えようとしない。また自民支持層にも半数近くが「見直し」派であるのに、自民はその民意を汲み取ろうとしない。既存の政党政治の枠組では日米合意の見直し、米国との再交渉さえできない、ということになる。
 問題はめぐりめぐって、「民意を反映しない「議会制民主主義」を、私たちがいつまで容認し続けるのか?」、ここに行き着くことになる。

2011年1月3日月曜日

2011年の始まりに---「戦後」批判の精神を継承する

2011年の始まりに---「戦後」批判の精神を継承する

 去年以上に慌しくなりそうな年が始まった。多忙な中、わざわざブログを訪問して下さったみなさんに、新年の挨拶を送りたい。


 年賀状の中に、一通の封書がまぎれていた。『日米同盟の正体 迷走する安全保障』(講談社現代新書)の著者、孫崎享さんからの手紙だった。
 孫崎さんは、拙著『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』を「労作」と評価し、出版を祝してくださった。そして、拙著で示した論点や「データ」などを「多くの人々に紹介し」、日米同盟や安保について人々が「正しい認識が持てるように努力したい」とまで書いてくださっていた。とても、ありがたいことである。

 孫崎さんも天木さんも、ともに外務省出身である。もちろん考え方に違いはあるだろうが、両氏に共通しているのは、小泉政権の時代に「世界の中の日米同盟」路線の下で進展した日米安保体制の再編に対する批判である。その両氏と私は、政府がとるべき安保・外交・防衛政策に関する見解や、考え方そのものに大きな違いがある。だからこそ私は、両氏から拙著に対する多大な評価をいただいたことを、とても嬉しく思うのである。
 と同時に、孫崎さんの手紙を読みながら私は、「現役の外務・防衛官僚(や国会議員)がこの本を読んだとしたら、どんな印象を持つだろう?」と、ちょっと考え込んでしまった。安保・外交を専門とする元官僚の人々が、それなりの論を提出していると評価する本を、現役の外務・防衛官僚ならどのように読むだろうか、そんな好奇心が湧いたのである。

 定年退官しても、中途で辞めたとしても、孫崎・天木両氏のように既存の政府批判を主張する、それができる元官僚は稀である。もっとも、現官僚の立場から言えば、組織を離れてしまった者が、組織の外部から何を言おうと、いちいち取り合っている精神的・時間的・立場的余裕など無いのは一般企業や政党組織と同じ、ということになるのだろう。 とりわけ官僚機構の場合には、いくら過去の政策や現在の政策が誤っていると批判され、そこに理を認めたとしても、一般企業や政党組織などより、組織全体の中に「官僚の無謬性神話」によって武装された/自縄自縛状態になった「前例主義」が「慣性の法則」となって強烈に作用しているのであるから、個人が個人としてなしうることにも限界があるだろう。まして、その組織の中で生き延びてゆくことを考える人々にとっては、なおさらのことだ。しかし個人としての限界があるとしても、何もできないということはないはずである。

 この正月、菅政権は「日米同盟の深化」なるものを巡り、三月にオバマ政権と「共同声明」を発表することを明らかにし、前原外相は「日韓同盟」云々を語り始めた。だから私は、孫崎・天木両氏のような元官僚の人々には、現役の官僚が官僚機構内部で、「世界の中の日米同盟」路線の下で進展した日米安保体制の再編、その政策的誤り(「政策」と呼べるものの不在)から何をどう総括し、個人として何をどうすべきなのか、そのことを積極的に発言していただきたい、と思っている。私としては、これからの両氏の発言に注目しながらも、『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』を出発点とし、現政権の諸策に対する私なりの主張、批判を述べてゆきたいと考えている。

 知人の、とある大学教授は「文部官僚にとって、一介の大学教授など鼻クソのような存在に過ぎない」と、右手の親指と人差し指で輪を作り、「ピン!」とはじく仕草までして語ったことがあるが、大学教授が鼻クソに過ぎないなら、私などはさしずめ、ハウスダストのような存在に過ぎないことになる。サイバー空間に浮遊する、しかしモノを言う「ハウスダスト」ならぬ「サイバーダスト」として、今年もここから発信してゆくつもりである。
 

「戦後」批判の精神を継承する、ということ

 安部公房と並んで、私の好きな小説家に高橋たか子という作家がいる。
 正確な表現は忘れたが、その高橋たか子が昔、内容としては「戦後文学を継承する」という意味のことを言ったことがある。私が理解していた彼女の作風や文体からは、とても意外な表現に思えたので記憶に強く残っているのだと思う。

 高橋たか子は、1932年生まれである。だから、戦争体験や戦後体験を作品化した「戦後文学」の第一世代とは、一世代以上年が離れている。その彼女が、「戦後文学を継承する」と言うその意味が、私にはよくわからなかったし今でもわかったとは言えない。それでも、わずかながら自分が書いたものを世に問うてきた人間として、「もしかしたら、こういうことなのではないか」と思うことがある。
 自分が不特定多数の「読者」を想定しながら、ものを書き、発言しようとするとき、私の中にはすでに何人かの人々が存在し、その人々のことをどこかしら自分が意識していることに気づくことがある。とは言っても、私が意識するのは特定の世代の人々や特定の思想ではない。彼/彼女らが「戦後」という時代に向き合ってきたその精神、「戦後」を批判的に論じたり、表現しようとしたその精神に感応するのだ。私は「昭和30年代生まれ」の一人として、未完の「戦後」批判の精神を継承するのである。2011/1/4

2011/1/8

 未完の「戦後」批判の精神を継承する、とはどういうことか。
 私は「日米同盟という欺瞞」や「日米安保という虚構」を既定の事実のように語り、流布する政治的言説のすべてに冷たい敵意のようなものを感じてきた。しかし敵意や憎悪という否定的情念だけでは一冊の本を書ききろうとするまでの原動力にはなりえない。私を執筆に駆り立てたのは、私がものを書き、発言しようとするときに私の中に存在する者たちがその「欺瞞」や「虚構」を捉えきっていないと思え、そのことを伝えなければならないと考えたからである。

 ここで言う「人々」の中には、たとえば作家/評論家で言えば大江健三郎や故江藤淳、加藤典洋という人もいる。丸山真男や吉本隆明という名前をあげてもよい。護憲論者もいれば改憲論者もいるし、「論憲・加憲」論者もいる。政党で言えば、日本共産党や旧日本社会党、さらには新左翼の党派を代表していた論客もいるだろう。
 およそこれらの人々は、特定の世代や思想の下に括ることは不可能な人々だ。私はこれらの人々が書いてきたものや発言に、意識する・しないにかかわらず強い影響を受けてきた。しかし、私にとっての問題は、これらの人々による「戦後」批判がきわめて不十分なものに終わっているか、誤っているということにある。そのことを日米同盟論や日米安保論に引き付けて示そうとしたのが『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』だったのである。

 特定の誰か、特定の政治組織を批判することは私の問題意識にはない。自分が生きてきた「戦後」という時代への批判に対する批判的検証を通じ、「戦後」批判を試みようとした者たちの精神を継承すると同時に、未完の「戦後」批判を継続してゆかねばならないと考えている。サンフランシスコ平和条約と旧安保条約の締結から60周年を迎える今年、今まで以上にそのことを意識化しなければならない、そう思っているのである。


 サンフランシスコ-安保体制を問う、ということ

 未完の「戦後」批判を継続する、とはどういうことか。それはたとえば、次のようなことである。
 琉球新報は、1月8日付の電子版、「講和条約説明を是正 歴史民俗博物館」という記事の中で、国立歴史民俗博物館(歴博、佐倉市、平川南館長)が、現代展のパネル展示「米軍基地と戦後沖縄」の中の、サンフランシスコ講和(平和)条約の解説文を是正し、5日からその公開を始めたことを報じている。

 これは、元の解説文では「沖縄の占領継続は日米両国の政治的外交過程を経てサンフランシスコ講和条約第3条によって決定された」となっていたのを、同条約で予定された国連の信託統治を米国が提案せぬまま、軍事占領を続けたとする解説文に改めたというものである。琉球大学の高嶋伸欣名誉教授らが「基本的事実に反した説明」と、昨年4月に是正を求める要望を提出し、それに歴博が対応したという。

 言うまでもないことだが、沖縄の占領継続を「サンフランシスコ講和条約第3条によって決定された」とする歴史認識は、「同条約で予定された国連の信託統治を米国が提案せぬまま、軍事占領を続けた」とする歴史的事実を歪曲し、沖縄の占領継続が何かしら国際条約的に正当化されたものであったかのような誤った歴史観を植えつけてしまう。
 つまり、この条約によって敗戦後の占領統治を終了し、「主権」と「独立」を回復したとされてきた「戦後」に関する誤った歴史認識のみならず、「軍事占領を続けた」米国という国家とそれを容認/黙認した日本という国家の両方に対する誤った認識を正当化し、固定化してしまうのだ。

 琉球新報によれば、高嶋名誉教授は次のように語っている。
 「この提案が実行されていれば、米国は国連憲章や世界人権宣言下で沖縄の人々を虫けら扱いできなかった。しかし、72年の施政権返還まで米軍は沖縄で人権侵害の限りを尽くしてきた」・・・。
 「3条後半の、提案が可決されるまでの軍事占領を認めるとした暫定措置の規定を米国が悪用したばかりか、国連への提案期限が明示されていない異例の条約だった」・・・。

 日本政府はこの条約の締結を正当化するために、条約と史実に基づかない誤った条約観を戦後教育において流布し、私たちはそれを学んできた。だから私たちは、もう一度「講和」条約の内容とその解釈に立ち返り、「「戦後」を考え直す」という作業がここでも問われていることになる。
 一方、この「講和」条約を、たとえば旧社会党や丸山真男などの戦後知識人がどのように捉え、どのように賛成/反対し、その後の「反戦・平和」運動にどのような思想上の遺恨をもたらしたのか。そのことの批判的検討を含む〈総括〉が、今を生きる私たち自身にも突きつけられている。

 右翼/左翼、保守/革新、改憲/護憲の立場から「戦後」を批判してきた者たちと、その彼/彼女らの言説に埋め込まれていた誤謬。誤謬はあまりに多く、その根はあまりに深い。
 たとえば、「講和」条約に対して、「全面講和か、それとも片面講和か」といった観点から議論を立てたヤマトの右翼/左翼、保守/革新、改憲/護憲論者の言説には、琉球に対する米国の占領継続、「北方領土」に対する旧ソ連の実効支配、要するにヤマトの「辺境」-先住・少数民族問題を切り捨てた、という共通の陥穽がある。それはヤマト/倭人の知識人が戦前からそっくりそのまま引き継いだ陥穽だった。

 私は自分が生きてきた時代について知らないことがあまりに多い。未完の「戦後」批判を継続することは、そのような戦後知識人の「陥穽」から決して自由ではない自分の「戦後」認識を洗いなおす作業にもなるはずだ。

2010年の「パレット」から

2010年の「パレット」から

『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』
『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』のご案内と著者自身による広告
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「保護する責任」にNO!という責任--人道的介入と「人道的帝国主義」
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対テロ戦争と自衛隊のアフガニスタン「派遣」--民主党のアフガン政策を批判する
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2010年の終わりに---こんな世界、日本に誰がした