2012年2月17日金曜日

「廃墟となった大学」

「廃墟となった大学」


 受験シーズンたけなわ、である。
 昨日、とある大学の教授からメールをいただいた。メールには、昨日報道された「全国大学共通テスト」の記事が添付されていた。
 教授はこのように書いていた。「記事を目にして、深い絶望と怒りがこみあげてきました。何もわかっていない連中、現場を知らない連中が、国の意思決定に関わり「改革」だの「維新」だのと愚民を煽る。すぐには無理かもしれませんが、廃墟となった大学のそとで、学問をするための市民的公共空間が必要だと思っています。」 

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大学生に成長度テスト検討 「勉強しない」汚名返上へ
 日本の大学生は勉強しない――。そんな汚名を返上しようと、文部科学省は、現役学生向けの「共通テスト」を開発する検討に入った。入学後と卒業前に2度受験すれば、在学中の学習成果の伸びが客観的にわかるようにする。結果を分析してカリキュラムの改善に役立てたい考えだ。
 大学生の「能力測定」と位置づけ、年に1回、読解力、論理的思考力、批判的な思考力、文章表現力などを問うことを想定。大学の講義にどれくらい主体的に参加しているかといった学習態度のアンケートも課す。同じ学生が2度受ければ、成長度(?)を「可視化」できると期待する。
 対象は全国の大学。大学として参加するかどうか、何人の学生を受験させるかなどは、各大学の判断に任せる。文科省は、伸びが著しい大学の取り組みを公表するよう促すなど、成果重視の仕組みを作る。文科相の諮問機関である中央教育審議会の大学教育部会で具体的な検討を進める。
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 ほとんど、「何かの冗談?」と思わせる記事だ。
 しかし、「現場を知らない連中」は本気である。あるいは、「現場」を知らないから本気になれる、と言うべきか。
 私がここに見るのは、「国際競争力の低下の原因=学生の学力低下」という"Disaster"(と「現場を知らない連中」が定義するもの)に「便乗」し、制度的・機構的「自己革新」を図りながら、制度的・機構的な「自己増殖」を企てようとする「教育行政官僚機構」の姿である。
 大学にこだわる人たちは、これから「現場」でどこまでこれに「抵抗」するだろう。いや、今、大学を「廃墟」と捉えている大学人、「大学のそとで、学問をするための市民的公共空間」の創出をめざそうとする人々はどれくらいいるのだろうか・・・。
 そんなことが、ふと頭によぎったメールだった。


 日本の大学が「廃墟」になったと認識するか否かは、大学関係者や部外者それぞれの主観の問題である。しかしもしも「廃墟」というなら、「廃墟になる前」の大学像があったはずである。日本の大学は、いつ、「廃墟」に向かって歩み始めたのか。

 「行政改革会議」の「最終報告」(1997年12月)。ここで現文部科学省が、当初の構想では「教育科学技術省 」となっていたことに注目したい。どうやら大学の「廃墟化」の起源は、このあたりに辿れそうだ。「失われた10年」の真っ只中、国立大学の(独立行政)法人化の7年前である。
 「報告」の「Ⅳ 行政機能の減量(アウトソーシング)、効率化等」。そこに国立大学「改革」の基本的指針が述べらている。
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① 国立大学
ア 国立大学改革の基本的な方向

 国立大学は、国際化、少子化、高齢化、情報化、産業構造の変化など社会が大きく変化する中で、教育研究の質的向上や組織・運営体制の整備、各大学の個性の伸長、産業界、地域社会との有機的連携、教育研究の国際競争力の向上等に積極的に取り組むことが必要になっている。
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 と、 「現場を知らない連中」は言った・・・。以下、同じ。

イ 具体的な大学改革の方策
a 国立大学の自主的改革の推進と情報公開、評価システムの充実
 国立大学の多様性にかんがみれば、各大学が主体性と責任を有し、競争的な環境の中で、特性を生かしつつ諸課題に取り組んでいくことが求められる。このためには、各大学ごとの情報公開と透明性の確保、評価システムの充実をさらに推進する必要がある。
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 大学の「主体性と責任」とは何か? 

b 組織・運営体制の整備
 各大学が主体性と責任を有し、組織として適切な意思決定を行い、実行に移すためには、組織・運営体制の整備が不可欠である。
 具体的には、外部との交流促進も含めた人事制度及び会計・財務面での柔軟化を図る必要がある。この際、高等教育行政と各大学の関係を見直し各大学の自主性を高めるための方策として、外部資金の積極的導入、国費投入・配分基準の明確化・透明化、競争的資金の充実等についても早急に検討を行う必要がある。

 大学組織の権限と責任の明確化、事務組織の見直し
 学長、学部長などの執行機関の管理運営機能の強化を図るとともに、評議会や教授会などの審議機関についての在り方を見直し執行機関との間の権限と責任の明確化、意思決定手続の明確化を早急に行う必要がある。また、事務組織の簡素・合理化、専門化についても、早急に整備する必要がある。

ウ 大学改革の進め方
 国立大学については、上記のとおり、高等教育行政の見直しも含めた、組織・運営の在り方の改革を早急に推進する必要がある。
 さらに、独立行政法人化は、大学改革方策の一つの選択肢となり得る可能性を有しているが、これについては、大学の自主性を尊重しつつ、研究・教育の質的向上を図るという長期的な視野に立った検討を行うべきである。また、大学の機能に応じた改組・転換についても、併せて積極的に検討する必要がある。
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 私はこのブログで、国家・産業との関係において「自治(autonomy)なき大学は自壊する」と書いたことがある。今、この大学「改革」の「基本的方向性」を読めば、「学力低下」が叫ばれる現役の受験生だって大学が「廃墟」になってきた「法的根拠」とその軌跡が理解できるのではないか、改めてそう思う。

 問題の核心は、国の「高等教育行政」を司る「教育科学技術省」の、大学との関係における機能や権限とは何かを、大学の側から定義しきれないまま、大学が「独立行政法人化」の道を歩んでしまったことにある。
 日本のほとんどの自治体の首長が、「首」を市民ではなく霞が関に向けているように、大学の総長(学長)室・評議会・理事会も霞が関に向けている。「現場を知らない」天下りの「理事」「事務方」が霞が関との「パイプ役」となりながら、目を光らせている。 つまり、大学が学生・「保護者」・納税者に議論を開放し、「官製版大学解体粉砕」を掲げ、国と全面的にたたかう姿勢を見せなかったことが大学の「敗北」→「廃墟」化の根本原因なのだ。(⇒「団塊の全共闘世代」の大学人は何をしていたのだろう。「昇給・身分保障・定年引き上げ」の三点セット?)

 各大学は「産学連携」における「利益相反」のガイドラインを、一応、まとめてきた。しかしそれ以前に、大学の「研究・教育」と「教育科学技術省」の大学行政との間の「利益相反」、言わば「官学連携」における「利益相反」を、国大協・各大学(各学部・学科、各研究室、各大学人)の側から定義すべきだったのである。私大協、各私立大学にしても。

 ここで、昨年来の、たとえば南米チリやコロンビア、欧米各国の国立大学の学生・教員のゼネストをも含めた「民営化」に対するたたかいを、その分析をもまじえて紹介できればよいのだが、その余裕がない。「全国大学共通テスト」に戻ろう。


 公立の小学校や中学校じゃあるまいし、国公私立を網羅した「全国大学共通学力テスト」なんて「ありえない」としか思えない私には、これが具体的にどのように実施されるのか、まったくイメージできない。しかし中教審が「検討」に入ったということは、すでに方針化されていることと同義である。 一部大学で「実験」が行われ、数年後には、「九月入学」のように、徐々に徐々に「右にならえ」が増えるだろう。
 日本の大学は、いやこの国はどうなってしまうのだろう?

 『大学を解体せよ』にはいくつかの論点があった。ここで三つだけあげると、それらは、
①「教育の社会的資本過剰」(⇒マクロレベルの「教育投資過剰」)、
②「大学研究と教育の分離」(「統合」ではなく、徹底した「分離」)、そして、
③「大学教育の社会化」である。
 大学人が「その気」になれば、つまり大学研究者・教育者が自らの「主体性と責任」、自治と自律を賭けて、「教育科学技術省としての文部科学省」と「たたかう気」になりさえすれば、①を踏まえた②と③は実現可能であることをこの書の中で述べた。しかし、歴史の教えるところは、そうはならなかった。その結果の一つが、今、「全国大学共通学力テスト」となって現れているのである。これから、「これって冗談?」と思うようなことが次から次にやってくるだろう。「不幸なるかな」は子どもたちだ。

 けれども、これは非常に逆説的な事態である。なぜなら、「全国大学共通学力テスト」の導入検討は、「大学教育の社会化」が実は可能であることも示しているからだ。「全国大学共通学力テスト」にしても「大学教育の社会化」にしても、「大学教育における「シヴィル・ミニマム」とは何か?」の定義とその内容抜きには不可能である。、「全国大学共通学力テスト」の内容は、この「大学教育における「シヴィル・ミニマム」」抜きに確定することはできないのである。

 『大学を解体せよ』でも提起しているが、要は、「大学教育の社会化」のために、これを研究者・教育者がネットワークを作り、議論し、それぞれの専門領域の「大学知の「シヴィル・ミニマム」」をとりまとめ、社会に提示・公開すればよい。「アウトソーシング」ではなく「オープンソーシング」である。実に簡単なことだ。日本の大学には、これだけ過剰な、過剰すぎるほどの「教科書」とテキストがあるのだから。そして、今、私たちがそう呼んでいる「大学」ではない、〈ローカル〉な「学問をするための市民的公共空間」を創り、さらにそのネットワーク化をはかってゆく・・・。

 「想像してごらん、大学のない世界を。あなたも仲間になってくれればいいんだけれど・・・」


 ソフトバンクの孫氏が、1990年代の初め、米国のとある大学で「カリキュラム」の「オープンソ-ス」化のプログラムを作り、半ば頃にネット上でそれを実地に移そうとしていたことを知る日本人はそう多くはない、というかほとんどいないのではないか。その後、彼はconvertし、現在の彼になり、「サイバー大学」も開設し、「東北復興」に100億円(?)の「ポケットマネー」を寄付する「博愛主義者」になったわけだが、「社会工学」的に言えば、「大学のない社会のプログラミング」それ自体は、そう難しいことではない。
 結局残るのは、「「原子力工学」を始めとした「ビッグサイエンス」をどうするか?」、この一点のみである。「ビッグクエスチョン」だ。

 しかし、「社会工学」的には可能であるはずの「大学のない社会」を阻んでいるのが、実は「大学という官僚機構」そのものなのである。
 〈問題〉は、「convertしてしまった人たちやテクノロジーを、いかにすれば「大学のない社会」へとinvertできるか」にある。これから何世紀にもわたって続くであろう「末期的資本主義」の「ビッグクエスチョン」の一つである。
 
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<東工大>委託事業で研究者がデータ捏造 燃料電池開発
 東京工業大(東京都目黒区)は24日、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)から委託された燃料電池用触媒の開発研究で、中国籍の男性研究員(35)がデータの改ざんや捏造(ねつぞう)をしていたと発表した。研究者は不正行為を認めており、単独で行ったという。同大は週明けにも研究員と、研究を統括する教授の処分を発表する。
 このプロジェクトは、09~12年度に東工大などが委託を受けた、燃料電池開発に関する2事業(事業費総額約14億円)。より安価で発電効率がいい触媒の研究などを行った。 東工大によると、研究員は発電性能を良く見せるためにデータそのものを書き換えるなどした。研究成果を報告した論文は海外の専門誌に掲載され、特許も出願していた。 昨年8月、プロジェクトに参加する企業から指摘を受け、不正が発覚。研究員は大学側に「世界で行われている触媒技術の成果に合わせるような形で捏造をしてしまった」と話しているという。 NEDOは委託事業費の返還を求めるなどの処分を検討している。【毎日、神保圭作】

学長内定者がまた辞退 東工大の不正経理問題
 東京工業大学(東京都目黒区)の次期学長に内定していた岡崎健教授(62)が、自身の研究室で国の補助金をめぐる不正経理があった責任を取り、就任を辞退した。17日、同大が明らかにした。同大では、昨年7月にも当時の学長内定者が不正経理問題で辞退している。
 同大によると、岡崎教授は16日夜、学長に内定の辞退届を郵送し、「大学に迷惑をかけた」と話しているという。補助金を交付した新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)は17日、岡崎教授の研究室を補助金停止(8カ月間)の処分にし、研究費約208万円の返還を求めた。
 岡崎教授は昨年10月に学長就任予定だったが、研究室が二つの国の補助金を不正に合算して高性能パソコン(約127万円)を購入した問題が発覚し、文部科学省が調査を指示。弁護士なども参加した同大の調査で、業者に架空発注し研究費を不正にプールする「預け金」も約127万円確認された。岡崎教授自身の関与は特定されていない。 (朝日)

核燃料輸送容器の検査:寄付企業に有利な基準 審議主導の東工大教授、1485万円を受領(2/12, 毎日)

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集団的自衛権見直し研究? 外相、イラン問題で言及
 玄葉光一郎外相は17日の衆院予算委員会で、イランの核開発疑惑で国際社会が軍事制裁に出た場合の対応を問われ、「わが国は集団的自衛権を保有するが行使しないという(憲法)解釈に立つが、公海上で米艦を防護するとか、そろそろ超えなくてはいけないのではという議論が行われた」と述べた。過去の政府内の議論に触れつつ、イラン問題を機に憲法解釈見直しに意欲を示したともとれる発言だ。
 新党きづなの渡辺浩一郎氏が「ホルムズ海峡での国際貢献で集団的自衛権の行使が検討できるか」と質問したのに答えた。公海上の米艦防護など「4類型の研究」をしたのは安倍内閣のことで、玄葉氏は「現時点で野田内閣として行使するという解釈に立つわけではない」と補った。 (朝日)
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 「わが国は集団的自衛権を保有するが行使しないという(憲法)解釈に立つ」のではない。そういう「解釈」に「立つ」のは、内閣法制局である。そしてその解釈にタダ乗りしてきた歴代自民党(公明党)政権と、民主連立政権であって〈私たち〉ではない。 

・ホルムズ海峡封鎖を想定、自衛隊派遣の検討着手
 政府は、核開発を続けるイランが米欧の制裁強化に反発してホルムズ海峡を封鎖する事態を想定し、ペルシャ湾への自衛隊派遣の検討に着手した。
 イランが海峡に機雷を敷設する事態を念頭に、掃海艇の派遣などを想定している。 これに関連し、田中防衛相は17日の衆院予算委員会で「今までの経験に照らして、法的な根拠があるかどうか、可能性があるかということは、当然頭の体操としてやっている」と述べた。
 政府が主要な検討対象としているのは、自衛隊による機雷除去と、ホルムズ海峡封鎖時にタンカーなどの護衛や機雷除去にあたる艦船への給油などの後方支援活動だ。  ただ、政府は、自衛隊が機雷除去に参加する場合、イランが交戦状態に陥っている間では、憲法の禁じる海外での武力行使に該当する可能性が高いとみている。このため、日本から掃海艇を派遣するのは紛争終了後になるとの見方が今のところ強い。(読売)
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 「法的な根拠」など存在しない。あるのはただ、その「解釈」のみである。