2012年3月23日金曜日

原子力安全委員会が原発再稼働を、事実上、承認した日

原子力安全委員会が原発再稼働を、事実上、承認した日

 原子力安全委員会が今日(3月23日)、「臨時会議」を開き、定期検査で停止中の関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の「ストレステスト」の1次評価について、「問題ない」とする確認結果を決定した。これによって大飯原発3、4号機の再稼働の行政的手続きは完了し、あとは野田政権の「政治判断」と「地元合意」を待つのみとなる。(「政治判断」なるものの問題性については、「原発再稼働における「政治主導」とは何か」を参照)。

 安全委が言う「確認結果」は、何とも紛らわしい表現である。委員会としては、一次評価は「福島事故を踏まえた緊急安全対策などの一定の効果が示された」に過ぎず、これによって「何らかの基準に対する合否判定を目的とするものではない」(時事通信)と言いたいらしい。
 つまり、安全委は、1次評価結果を「妥当」とした経済産業省原子力安全・保安院の審査書を委員会としてただ「確認」しただけであって、何らそれは再稼働の「安全・安心」を委員会として保障するものではないのだと。裏返して言えば、仮に野田政権が「政治判断」によって再稼働を承認したとしても、それは安全委の責任ではないのだと。

 おそらく安全委は、規制庁が発足するまで(6月以降まで?)、これと同じ論理によって、伊方原発その他の「ストレステスト」一次評価の「確認結果」を出し、再稼働に走ろうとする野田政権と立地自治体の「政治判断」にお墨付きを与えるのだろう。これが原発の「安全」を保障しない原子力安全委、そして原発の「安全」を「規制」しない原子力規制庁の本質なのだ。
 この「本質」は、これまでがそうであったように、規制庁設置関連法案を抜本的に改訂しない限り、これからも変わらないだろう。少しは、過去から学習することを覚えたいものである。

 政府の「政治判断」のための首相+3閣僚の協議については、「来週前半は難しい」とされている。
 安全委は、「2次評価の速やかな実施と、安全性向上に向けた継続的努力」を野田政権に対して「助言」している。この「助言」が政府の政策決定を法的に拘束するものでないこと、安全委の決定に法的権限が何もないこと、原子力規制庁の「原子力安全調査委員会」も同様であることが問題なのだと昨日書いた。
 で、これからどうするか? 今日、安全委の臨時会議を前に、再稼働に反対する院内集会も開かれたが、〈私たち〉は、この事実を前提に再稼働阻止を求めるこれからの「ローカルなたたかい」を、それぞれの現場で組み直す必要に迫られている。

斑目語録
 「国民の皆さんに理解していただきたいのは、規制を強めれば安全が確保されるのではないということです。現場を預かっている事業者が自主的にきちんと安全に対する取り組みをすることが重要なのです。事業者がいかに自主性を発揮して安全確保に取り組むか、ここにいかに魂を入れるかが最大のポイントだと思っています」(2007年6月)
近藤(原子力委員会委員長)語録
 「私は、この組織[原子力安全・保安院]の設置の際に、規制組織の独立に係る国際ルールに適ったものができたと評価していましたが、5年間の実績は、その判断が間違っていなかったことを示していると思っています。今後は、原子力政策大綱の示しているところに従って行政評価活動として新しい制度の妥当性の検証を行い、改良・改善に努めていただくのがよいと思います」(2006年1月)

「批評する工房のパレット」内の関連ページ
⇒「関西電力大飯3・4号機ストレステスト審査書提出に抗議する緊急声明
⇒「「原子力緊急事態」: 国と自治体の責任を問う、ふたたび

・・・
原発、防災地域30キロ圏に拡大 安全委、指針改定を了承
 原子力安全委員会(班目春樹委員長)は22日、原発事故に備えた防災対策重点地域を原発の30キロ圏に拡大し、原発に大津波が襲来した場合を想定した対策を明文化するなどした原発関連指針の改定案を了承した。
 改定案は規制組織を再編、新設する原子力規制庁に引き継ぐ予定だが、規制庁設置関連法案の国会審議が進まず、当初予定の4月1日発足は困難な情勢。指針改定がいつになるかは不透明だ。 昨年3月に発生した東京電力福島第1原発事故で、現在の指針の不備が露呈し、安全委は6月から見直し作業を進めてきた。 対象は耐震性や防災などに関する3指針。(デイリー東北)

日弁連、原子力基本法廃止を提言 政府に意見書
 日弁連は22日、原子力規制庁の設置に向けた政府の関連法案について、原発推進政策を支えてきた原子力基本法や原子力委員会の廃止などを求める意見書を野田佳彦首相らに提出した。
 意見書では、規制庁の在り方について「直接、間接を問わず他機関の影響を受けない独立機関とすべきだ」と主張。原子力基本法や原子力委員会が存続すれば、原発推進の政策が温存され、規制庁でもこれらの政策の影響を受けることにつながると指摘した。
 また、原発の寿命を原則40年とする原子炉等規制法の改正案についても触れ、「原発の危険性を考えれば長すぎるものであり、(寿命は)30年として例外は認めてはならない」と強調した。(共同)

再稼働不同意要請書が一転不採択 大飯原発で町会「議論不十分」
 福井県のおおい町会は22日の本会議で、原発対策特別委員会では全会一致で「趣旨採択」していた関西電力大飯原発3、4号機の再稼働に同意しないよう求める要請書を、一転して賛成少数により不採択とした。
 要請書は大阪市の反原発団体から出され、「福島第1原発事故の知見を反映した適切な安全対策が取られるまで」との条件を付けた上、議会として同意しないことを求める内容。3月2日の特別委では、この条件は議会の考え方と同じだとして趣旨採択した。
 しかし松井榮治委員長はこの日の本会議で「要請文の内容に関する審査は尽くしたが、要請文の件名や提出団体の詳細について議論が不十分だったことは否めず、慎重に審査すべきだ」と報告。議員からは「要請書提出者は脱原発や原発ゼロを掲げて活動しており、議会の考え方やスタンスと違う」(森内正美議員)「再稼働そのものに同意しないと誤認され、町民の不要な誤解と経済不安を助長する恐れがある」(尾谷和枝議員)などと反対意見が相次いだ。
 一方で「陳情は提出団体の思想で判断すべきでなく、文面を中立的に吟味することが重要で趣旨採択とすべき」(浜上雄一議員)との意見もあった。 採決の結果、賛成5、反対8で不採択となった。
 一方で、町会の原発問題に関する「統一見解」を全会一致で決議した。統一見解は暫定的安全基準の早期提示や安全対策、原発の長期停止による影響を受ける自治体や地域経済への経済的支援などを国に求める内容で、3月6日の全員協議会でまとめていた。(福井新聞)

農から復興の光が見える~有機農業が作る持続可能な社会へ~

農から復興の光が見える~有機農業が作る持続可能な社会へ~

■ 2012年3月24日、25日 福島視察・全国集会の開催
◎開催趣旨
 福島第一原発事故により、福島県は今人類まれにみる苦悩を味わっています。 特に、土に生きる有機農業者の苦しさははかりしれません。  しかしながら、福島のこの現状は、報道のみでは伝わりにくいものがあります。
 私たち福島県有機農業者の一番の望みは、 まず、日本中の方々に福島の現状を見ていただき、正確に知っていただくことです。
 その上で、この福島の地で将来に向かって、いかに「福島に寄り添い」「福島とつながりながら」今後の復興を共に進めていけるか
 そんな出発の機会と場が必要と考えました。

■参加いただきたい団体等の想定・人数
① 農業の実践者・団体
② 農産物流通関連団体
③ 消費者・団体
④ 災害支援関連NPO
⑤ 行政機関
⑥ マスコミ
⑦ 個人
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 福島の有機農業者の呼びかけに応え、私も明日のシンポジウムに参加することにした。
 「農から復興の光が見える」ようにしなければいけない、と私も考えるからである。

2012年3月22日木曜日

原子力規制庁の正体

原子力規制庁の正体


 原子力規制庁の設置をめぐる国会審議が始まらない。今のままでは、余程の拙速審議で法案が通過しない限り、ゴールデンウィーク前の規制庁の発足はありえないだろう。少なくとも、現原子力安全委員会が任期切れとなる4月20日までの発足は絶望的だ。
 けれども、原子力規制庁の発足が遅れたとして、それによって何か既存の原発の「安全・安心」に影響が出るようなことがあるのだろうか? 言葉を換えると、今の体制ではできないようなことがあるのかどうか。私は無い、と思う。

 原子力規制庁に関するこの間の報道や一部脱原発派の人びとの主張をみてみると、論点として提出されているのは、結局のところ次の二点くらいしかない。
 一つは、規制庁が環境省の外局として位置付けられていること、これに対し、自民党が対案として打ち出している「政治からの独立性を高める」ために、いわゆる国家行政組織法第三条に基づく「三条委員会」にすべきだ云々に関するもの。
 もう一つは、規制庁職員のほぼ7割が経済産業省の原子力安全・保安院からの異動によるものであり、これで本当に「原子力の安全」を「規制」する機関になるのかという点に関するものである。「ノーリターンルール」があったとしても不十分、という主張である。
 朝日新聞(3/18付の社説、「原子力規制庁―まずは新組織に移行を」)を始めとする主要新聞メディアについて言えば、仮にそういう問題点があるにしても、「「規制の空白期間」ができるのはよくない、だから国会審議を急ぎ、議論を尽くし、早く規制庁を発足させよ」といった論調が支配的である。(たとえば、朝日新聞は、「理想を追うより(?)、まずは原発推進の経済産業省と一体化していた規制行政を分離し、一元化することを急ぐべきだ」と言う。)


 しかし、私は、原子力規制庁がはらむ問題点を把握するにあたって、上のような議論では決定的に不十分だと考えている。私は規制庁が、「経済産業省と一体化していた規制行政を分離」するものとは考えないし(「分離」すると言える法的根拠がない)、「三条委員会」にするか否かに関しても、環境省の外局よりは相対的に、やや「独立性」が担保されるかもしれないが、これ自体は大した問題ではないと考えている。
 〈問題〉は、設置法そのものの中に存在する。これから何回かに分けて、その根拠を整理したいと思う。読者が原子力規制庁の問題点を考える参考になれば幸いである。


 〈原子力科学と原発推進機関としての原子力規制庁
 原子力規制庁の正体を見破るためには、設置法の条文を分析する必要がある。はたしてこれが「3・11」以前の日本の原子力行政の問題点を抜本的に総括し、その克服を実現する機関になるかどうか。つまりは、原子力規制庁が何のために存在するのか、機関としての理念と存在理由の問題である。
 
 内閣官房に「国会提出法案」一覧がある。その1月31日付のものをみると、原子力規制庁の設置法案を含む「原子力の安全の確保に関する組織及び制度を改革するための環境省設置法等の一部を改正する法律案」がある。
 これらの「法律案」をよく読むと、原子力規制庁が新たに設置されようがしまいが、現行の原子力行政の体制と何らの変わり映えもないことがわかる。なぜなら、原子力安全委員会に代わって設置される「原子力安全調査委員会」なるものに与えられている法的権限が、現在の原子力安全委員会とまったく同じだからだ。

 強調しなければならないが、原子力規制庁を判断するときの基準は、内閣、官僚機構、電力企業に対する「独立性」にあるのではない。、原子力規制庁=原子力安全調査委員会がこれらに対して行使しうる法的権限にある。
 まず、現在の原子力安全委員会の権限から確認しておこう。
・・
原子力安全委員会 (所掌事務)
第三章第十三条  原子力安全委員会は、次の各号に掲げる事項について企画し、審議し、及び決定する。
一  原子力利用に関する政策のうち、安全の確保のための規制に関する政策に関すること。
二  核燃料物質及び原子炉に関する規制のうち、安全の確保のための規制に関すること。
三  原子力利用に伴う障害(!!)防止の基本に関すること。
四  放射性降下物による障害の防止に関する対策の基本に関すること。
五  第一号から第三号までに掲げるもののほか、原子力利用に関する重要事項のうち、安全の確保のための規制に係るものに関すること。
2  委員会は、核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律 (昭和三十二年法律第百六十六号)第六十六条の二第一項 の規定により受けた申告について調査し、関係行政機関の長に対して必要な措置を講ずることを勧告することができる。
第四章 原子力委員会及び原子力安全委員会と関係行政機関等との関係
(勧告)
第二十四条  原子力委員会又は原子力安全委員会は、第二条各号又は第十三条第一項各号に掲げる所掌事務について必要があると認めるときは、それぞれ、内閣総理大臣を通じて関係行政機関の長に勧告することができる。
(報告等)
第二十五条  原子力委員会又は原子力安全委員会は、その所掌事務を行うため必要があると認めるときは、関係行政機関の長に対し、報告を求めることができるほか、資料の提出、意見の開陳、説明その他必要な協力を求めることができる。
・・

 原子力安全員会は、原発の「安全」やその「規制」に関し「勧告」(助言)はできても、それ以上の法的権限がない。東電や経産省・文科省や「原子力ムラ」がどんなに危険な原発を放置し続けても、停止命令や廃炉命令を出す権限がない。仮に委員会で何かを決定したとしても、それを国の行政措置として執行させる法的権限を持たないのである。
 つまり、原子力安全委員会や原子力委員会が、官僚機構の完璧な飾り物に過ぎなかったことが「3・11」を招いてしまった最大の要因の一つなのである。これに関し、私たちはもう復習する必要はないと思う。

 では、原子力規制庁に設置される「原子力安全調査委員会」はどうか。
・・
原子力安全調査委員会設置法案要綱
第一総則
 原子力の研究、開発及び利用における安全の確保を確実なものとするため、環境省に原子力安全調査委員会を置くこと。
第二 所掌事務及び組織等
一委員会の所掌事務を次に掲げるもの等とすること。
1 原子力の安全の確保に関する規制その他の施策又は措置に関し、原子力基本法第二条の基本方針を踏まえ、その実施状況に関する調査を行うこと。
2 1の調査の結果に基づき、原子力の安全の確保を確実なものとするため必要があると認めるときは、講ずべき施策又は措置について環境大臣若しくは原子力規制庁長官に対し勧告し、又は関係行政機関の長に意見を述べること。
3 原子力事故等の原因及び原子力事故等により発生した被害の原因を究明するための調査を行うこと。
4 原子力事故等調査の結果に基づき、原子力事故等の防止及び原子力事故等が発生した場合における被害の軽減のため講ずべき施策又は措置について環境大臣若しくは原子力規制庁長官又は関係行政機関の長に対し勧告すること。
5 原子力事故等の防止及び原子力事故等が発生した場合における被害の軽減のため講ずべき施策又は措置その他原子力の安全の確保を確実なものとするため講ずべき施策又は措置について環境大臣若しくは原子力規制庁長官又は関係行政機関の長に意見を述べること・・・。

第三 原子力事故等調査
一委員会が原子力事故等調査を行うために必要な処分について定めること。
二委員会は、原子力事故等調査を終えたときは、当該原子力事故等に関する報告書を作成し、これを環境大臣に提出するとともに、公表しなければならないものとすること。
三委員会は、原子力事故等調査を終えた場合において、必要があると認めるときは、その結果に基づき、原子力事故等の防止又は原子力事故等が発生した場合における被害の軽減のため講ずべき施策又は措置について環境大臣若しくは原子力規制庁長官又は関係行政機関の長に勧告することができるものとすること・・・。
・・

 要するに、レベル7の福島「原子力緊急事態」の廃墟の中から生まれ、二度と同じ「事態」をくり返さないため、と称して設置される原子力規制庁の「原子力安全調査委員会」なるものは、現行の原子力安全委員会に政府の「事故調」を足したような組織に過ぎないのである。

 これでは、「3・11」をくり返さない既存の原発の「安全・安心」など保障できるはずがない。 ただ、「一元化」の名の元に、安全・保安院と文科省の「原子力ムラ」が、何の責任も問われぬまま規制庁に引っ越すだけの話である。そんな「引っ越し」に血税を費やす必要などまったくないと言わねばならないだろう。
 私の「提言」としては、
①安全・保安院を含む経産省・文科省を筆頭とした官僚機構内の「原子力ムラ」の大体な行革を断行し、
②現原子力委員会と安全委員会に、上に述べた法的権限を与えるよう両者の設置法を改定する。
③どうしても原子力規制庁を作ると言うなら、「原子力安全調査委員会」に同等の法的権限を与える。
 この三点抜きに、レベル7のメルトダウン→メルトスルーの「事態」を必然的に招いた「戦後」の「原子力行政」の抜本的総括などありえないのである。

【参考資料】
●「原子力の安全の確保に関する組織及び制度を改革するための環境省設置法等の一部を改正する法律案」
概要要綱
●「原子力安全調査委員会設置法案」(概要要綱

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原発再開「規制庁発足が条件」 敦賀市長、経産相と会談(朝日)
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 河瀬一治市長は、「原発の安全性を高めたうえで早期に再稼働させること」を枝野大臣に求めつつ、他方で「原子力規制庁が立ち上がらないと判断の土俵にのれない」とも述べたというが、再稼働の是非判断に規制庁の発足如何は何の関係もない。原発の「安全」に関する、国が言う「暫定基準」であれ「真の基準」(→もしもそういうものが策定できればの話であるが)であれ、規制庁発足を待たずとも、現体制でいくらでもかできるからだ。規制庁の発足それ自体は、原発の「安全・安心」を何も保障しないのである。そのことは、原子力安全委員会や安全・保安院が何のために作られたのかを想起するだけで十分ではないか。
 最低限の「市民の安全・安心」を保障する行政責任を負う立地自治体の首長は、国に対して「真の安全基準」の早期策定とそれに基づく具体的措置の実施をこそ要求し、それを首長としての再稼働判断の条件にすべきなのだ。そしてそうなれば必然的に、全国の原発は少なくとも今後数年間は再稼働できないことになるだろう。

原発再稼働見えず 戸惑う地元 どうする柏崎刈羽(上) 消費減り夜の街 閑古鳥 (日経)
 「・・・ ただ、国が再稼働を認めたあと、最終的に判断する泉田知事は10月に知事選を控え、慎重な言い回しが目立つ。「福島での事故の検証がまず先」。再稼働について何度聞かれても同じ発言を繰り返すだけだ。
 柏崎刈羽原発を今後、どうしていくのか問われても「原子力政策は国全体で議論すべきこと」と明確なビジョンを示さない。関西電力大飯原発などを抱える福井県の西川一誠知事が原子力や新エネルギー関連の産業集積を目指す「エネルギー研究開発拠点化計画」の強化を昨年11月に打ち出したのとは対照的だ。
 柏崎商議所は昨年12月にまとめた中期ビジョンに、原子力防災都市の整備や安い電気を非常時にも停電なしで使える電力特区構想など原発との共生を盛り込んでいる。国が再稼働にゴーサインを出せば、県や市に再稼働を働き掛ける考えだ。しかし、国の安全審査、首長判断など乗り越えるべきハードルは多く、早期再稼働への道のりは険しい」
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 新潟県知事が福井県知事と「対照的」かどうかはともかくとして、立地自治他の首長としての責任を果たしていないことは明らかだろう。「国全体で議論」する前に、県全体として「議論すべきこと」も、規制庁とは無関係に県として決定できることも山のようにある。規制庁に対する幻想を払拭すると同時に、規制庁発足の遅れを口実とした首長たちの責任逃れも許してはならないだろう。

<福島県教委>「原発の是非に触れるな」と指示 現場は混乱(毎日)
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 こういう「混乱」が起こることは、すでに「脱原発の「教育学」」で述べている。「現場のたたかい」はこれからが正念場だ。
 私はむしろ、現場の教師たちのたたかいに対し、日本原子力研究開発機構と協定を結んだ福島大学、「放射線医療」の「権威」がいる県立医科大、JAXAと「協定」を結んだ会津大学を始めとした福島の大学人が、どのような「立ち位置」でどのような行動を起こすかに関心を集中したい。ぜひ、現場の教師たちとともに、たたかってほしい。

本格除染作業スタート まず中学校庭で表土すき取り 「実施計画」策定の流山市(千葉日報)

 松戸市の場合、除染費について、約17億1千万円を国からの補助金と、東電からの損害賠償として支払われることを見込んで市が「諸収入」約11億8千万円を計上したが、結局東電の確約が取れなかったという経緯があるが、流山市はどうなのか。また柏市はどうなったのか。市民の税金を除染に使わず、東電に支払わせるのが筋ではないか。福島県外の「ホットスポット」の自治体は、改めてこの点を市民に対して明確にする必要があるだろう。
「放射線不安」転校相次ぐ 柏、流山、我孫子で100人 震災影響、園児68人も(千葉日報)

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PAC3に石垣困惑「自衛隊地ならしか」(沖縄タイムス)

2012年3月20日火曜日

東海村の「原子力センター」構想

東海村の「原子力センター」構想

 茨城県東海村で、「原子力センター」構想なるものが進んでいる。
 この「原子力センター」構想は、東海村の「村おこし」のみならず、茨城県の「災後の地域再生」の振興策の目玉の一つとしても位置付けられたものなのだが、私たちは、いまのこの時期に「原子力センター」の名を冠した地域プロジェクトを立ち上げることの問題性に加え、これが「東海第二原発の廃炉問題には触れない」形で進んでいることを重大視する必要がある。
 昨年来、茨城県では、東海第二原発の廃炉要求を中心とした、脱原発運動がかつてないほど広がりをみせている。この「原子力センター」構想は、まさにそうした運動の広がり、茨城県民の第二原発に対する懸念や不安を顧みず、県内の脱原発の高まりに水をさすものだと言わねばならないだろう。
 しかし、全国的には、この「構想」なるものが十分に認識されているわけではない。だからまずは「構想」に対する理解を深めることから始めたい。

1、「原子力センター」構想とは何か
 3月7日付の毎日新聞の記事。
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原子力センター構想:東海村が懇談会 原発事故収束を先導、大筋合意 東海第2除外に異論 /茨城
 東海村は7日、原子力の人材育成や平和・安全規制基盤研究の推進と地域社会の調和を目指し策定を進める「原子力センター構想」の懇談会(田中俊一会長)を同村のテクノ交流館リコッティで開いた。東京電力福島第1原子力発電所事故収束の「先導役」を目指す方向性について大筋で合意する一方、日本原子力発電東海第2原発を構想から除外する方針に対して異論が出た。
 懇談会には原電、原子力研究開発機構の関係者や茨城大の研究者ら22人が参加。同懇談会の主要メンバーで組織する検討会議で昨秋から議論してきた村の構想素案について意見交換した。検討会議では、東海第2原発を構想から除外することや、世界最高水準の大強度陽子加速器施設(J-PARC)などの原子力関係施設を積極的に活用することなどが大筋で了承されている。
 この日は、原発事故収束の先導役を目指すことについて「廃炉技術の研究に期待が集まっている」(渋谷敦司・茨城大地域総合研究所教授)などと肯定的な意見が出された。一方、東海第2原発を除外する方針に対しては、茨城キリスト教学園の滝田薫常務理事が「東海第2原発を前提にして真剣に議論すべきでは」などと疑問を呈した。田中会長は「議論できる状況、環境にない。構想はもっと幅広いもの」と述べた。【杣谷健太】
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 しかし、これだけでは東海村で何が起こっているのか、よくわからない。同じく、毎日新聞の記事。
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東海村議会:「原発再稼働を容認」 選挙結果で、推進派が村長けん制 /茨城
 東海村議会は(3月)8日、代表質問が行われ、日本原子力発電東海第2原子力発電所の再稼働を巡り、原発推進会派に所属する議員が1月の村議選結果を「再稼働容認」ととらえ、村上達也村長の見解をただす一幕があった。村議選後の新たな会派構成は原発推進派と慎重・中立派で拮抗(きっこう)しており、「脱原発」を明言する村長をけん制した形だ。
 質問に立ったのは鈴木昇議員(新政会)。村上村長に対し、村議選の各候補の得票数に対する評価を尋ねた。村長は「原子力について触れていない人が6人もいた。原発問題の明確な投票行動があったとは思えない」と答弁。これに対し鈴木議員は、吉田充宏(新政会)、越智辰哉(新和とうかい)、武部慎一(同)の3議員の得票数が合わせて約4500票になることを指摘。「東海第2原発の再稼働の方向に向いている村民が多い」と主張した。
 新政会、新和とうかいは村議会内で原発推進寄りとみられている。村議選前には両会派で定数20のうち計11議席を占めていた。選挙後は計10人に減少したものの、議長に新政会の村上邦男議員、副議長に新和とうかいの大内則夫議員が就任した。慎重・中立会派は、村上村長に近い光風会(3人)、豊創会(2人)の2会派のほか、▽共産党(2人)▽公明党(2人)▽無所属(1人)。【杣谷健太】
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 懇談会の田中俊一会長とは、「東海村と原子力の未来を考える有識者会議」の座長でもあり、(財)高度情報科学技術研究機構の会長(前・原子力委員会委員長代理) である。さらに、福島県の「除染アドバイザー」も兼務している人物である。
 座長以下の「有識者会議」の委員は以下の通り。
・上坂充 東京大学大学院工学系研究科 原子力専攻教授(専門職大学院)
・谷口武俊 (財)電力中央研究所 研究参事(前・社会経済研究所長)
・宮正治 J-PARCセンター長
・横溝英明 日本原子力研究開発機構理事・東海研究開発センター長 
・増子千勝 茨城県企画部 理事兼科学技術振興監

 まさに東海村の中の「原子力ムラ」という布陣なのだが、この「原子力センター」構想は、実は昨年12月に策定された、今後10年間を見据えた「東海村第5次総合計画」の中に位置づけられた「構想」なのである。

2、東海村第5次総合計画

 「前期五年間の基本計画」は、その「7 原子力科学・原子力エネルギーと地域社会が調和したまち」において言う。
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 東海村は,これまでの原子力エネルギーと新しい原子力科学 - この二つと東海村との関係を明確にし,これらと調和したまちづくりを推進し,東海村を原子力開発から最先端科学に及ぶ幅広い原子力の拠点として,世界へ貢献する「原子力センター」にするべく,「原子力センター構想(仮称)」を策定しています。
 東海村が目指す「原子力センター」とは,“原子力の拠点(Center Of Excellence)”を意味しています。これは,原子力とまちづくりに関する理念を共有し,優秀な人材と卓越した施設・設備が集約され,世界的に評価される地域という趣旨です。
 東海村の有する歴史,そこで培われてきた風土・土壌を踏まえ,地域主権の考え方に立脚し(???),東海村*の各構成員が自ら協議し,地域としての考え方を自らまとめ,自ら実行に移すとともに,国を含む関係機関へ提言し,理解を得て,協働で実現することにより,世界に類例を見ない21世紀型の「原子力センター」を目指します。
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 こうした「構想」の下で、東海村は①原子力センター構想の実現に向け先導的役割を果たしながら、②高度科学研究文化都市構想をより一層発展させ,原子力センター構想(仮称)の実現に向けた環境整備を進める、というのである。
 とくに注目したいのは、「現状と課題」と題された以下のような「現状」の内容である。
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【 現状】
◇高度科学研究文化都市の形成に向けた環境整備については,主に研究者を対象とした質の高い環境整備,世界に通じる都市空間づくりを目指す「東海村高度科学研究文化都市構想」に基づき,必要な整備を進めています。
◇科学研究環境,文化教育環境の整備については,茨城県整備の「いばらき量子ビーム研究センター」内に,東京大学大学院茨城大学大学院KEK*が入居する形でキャンパスが設置され,併せて,東海村としても「東海村研究交流プラザ」を設置しました。また,茨城大学との「連携協力協定」に基づき,公開講座等の取組みを共同で実施しています。
J-PARCの稼働に合わせ,行政サービスの国際化の視点から,配布物やホームページを多言語化するとともに,商工会及び東海村飲食店組合に対して,村内の飲食店等における英語表記への協力依頼を実施しました。
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 これを脱原発をめざし、東海第二原発の廃炉を求める茨城県民や私たちはどのように考えるべきか。
 私は福島県民でも東海村の村民でもないが、脱原発宣言を発した福島県の「復興計画」や村長の孤軍奮闘だけが伝わる東海村の「第5次総合計画」には強い違和感を覚えている。 次回は、「原子力センター」構想の何に違和感を覚えているのか、具体的な検討を加えながら述べてみたい。

「批評する工房のパレット」内の関連ページ
⇒「東海第2原発の再稼働中止と廃炉を求める署名」(7/14, 2011)
⇒「村上東海村村長が東海第2原発の廃炉を要望」(10/12, 2011)
【参考サイト】
脱原発ネットワーク茨城

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3/23
東海第二廃炉 求める意見書案 県議会が否決
 県議会は二十二日、梶岡博樹議員(みんなの党)が提出した東海第二原発の廃炉を求める意見書案を反対多数で否決した。
 梶岡議員は「東海第二原発が福島第一原発と同様の事態になれば、被害は予想できないほど甚大なものになる」と廃炉を主張、賛同を求めた。採決では出席議員六十三人中、賛成は梶岡議員ら三人にとどまった。公明党の四人は退場し棄権した。 守谷市の市民団体が提出した東海第二原発の再稼働中止と廃炉を求める請願についても、付託した防災環境商工常任委員会の決定通り不採択とした。(東京新聞)

東海第2廃炉求め来月1日集会 ひたちなか笠松運動公園
 東海第2原発の廃炉や自然エネルギーへの転換を求めて、「さよなら原発 4・1大集会inいばらき」(同実行委員会主催)が4月1日、ひたちなか市の笠松運動公園で開かれる。作曲家の池辺晋一郎さんや茨城大名誉教授の田村武夫さんら9人が呼び掛け人となり、県内外の各団体から約5000人が参加する予定。集会後は、同原発がある東海村の日本原子力発電前まで車でパレードする。
 同公園駐車場を会場に午前11時から音楽演奏などの「つながるステージ」、午後1時から「いばらき大集会」を開催。集会では茨城、福島からの発信として、東海村の村上達也村長と福島県浪江町の馬場有町長のメッセージが読み上げられ、子どもの被ばくを心配する母親や福島県からの避難住民のリレートークがある。ほかに交流テントには、子育て中の母親が交流できる「ママカフェ」などを設ける。田村名誉教授は「全国で反原発の声が高まる中、福島第1原発事故から1年を契機に茨城からも東海第2原発廃炉の意思表明をしていく」と話した。(茨城新聞)

東海第2原発:古河市も「廃炉を」 市議会、意見書可決 首相、知事らに提出 /茨城
 古河市議会は最終日の19日、東海村の日本原子力発電東海第2原子力発電所の廃炉を求める意見書を賛成多数で可決した。首相、経済産業相、環境相と衆参両議長、橋本昌知事に提出したという。県などによると、東海第2原発の廃炉を求める意見書はこれまでに土浦、北茨城、取手、つくばの4市と阿見町で可決されている。
 意見書は、東海第2原発について「東京電力福島第1原発と同じ深刻な事態になるところだった」と指摘。東海第2原発から20キロ圏内には、福島の警戒区域の10倍に当たる71万人が暮らしており、茨城県庁も含まれることや、運転開始から32年が経過し、老朽化によるトラブルも頻繁に起きている点を挙げた。  その上で、
①県の原子力防災計画を見直し、安全対策や避難計画を立てること
②住民合意のないままに東海第2原発の再稼働を認めないこと
③東海第2原発の廃炉を国と事業者に求めること--の3項目を求めている。【毎日、宮本寛治】

東海第2原発:廃炉求め新組織 石岡の5団体が発足 /茨城
 日本原子力発電東海第2原子力発電所(東海村)の廃炉を目指す活動に取り組む石岡市内の5団体が18日、市民会館で会議を開き、新たに「東海原発の廃炉を求める石岡地域の会」を発足させた。
 これまで別々に活動を行ってきた団体が連携して活動することで、東海第2原発廃炉への動きを拡大するのが目的。会議には各団体代表や一般住民ら約25人が参加し、署名活動や勉強会開催などの活動方針を話し合った。「原発は我々の生活には合わない」「東海第2原発をなくすことは我々の使命」など活発な意見が交わされた。
 呼び掛け人の一人、「茨城保健生協いしおか支部」の杉本美江代表は「孫、娘のことを考えると、このままでいいのかと切実に感じている。やれることはやっていかないといけない」と話した。【毎日、杣谷健太】

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Dear Kenji Nakano;
We did it! Today the FCC announced the biggest victory for community radio since we led the fight to pass the Local Community Radio Act more than a year ago. The FCC will dismiss thousands of applications for translators (repeater stations) to clear the airwaves for community radio.
Across the country, hundreds of channels that would have gone to giant networks will now be preserved for our communities to use. This victory would not have happened without years of effective advocacy from Prometheus and grassroots activists. And we couldn't have done it without you. Thank you!
Today's announcement will help hundreds of local groups to build their own community radio stations for the first time. But our work isn't over. We still have another fight ahead at the FCC, and we are leading a grassroots campaign to help community groups apply for radio licenses and build their stations. Today's win creates a historic opportunity, but to take advantage of it, we need your help. Will you donate today to help us continue our work?

Electromagnetically yours,
Stephanie Thaw (and the rest of the Prometheus staff collective)
P.O. Box 42158
Philadelphia, PA 19101
United States

原発再稼働と「ストレステスト」をめぐる混乱

原発再稼働と「ストレステスト」をめぐる混乱

 経産省の原子力安全・保安院は、昨日(3/19)、福井県の大飯原発3、4号機に続き、愛媛県の伊方原発3号機の「ストレステスト」(一次評価)の結果を「妥当」と最終判断した。しかし、「ストレステスト」の二次評価と再稼働との関係、また「ストレステスト」の二次評価と国が統一見解をまとめるとされてきた再稼働にあたっての「安全基準」との関係が明瞭でなく、混乱を招いている。混乱の原因はどこにあるのか。問題を整理しておこう。

 今年に入り、枝野経産相を始めとする関係閣僚から、保安院による「ストレステスト」一次評価の「妥当」評価を経て、原子力安全委員会がゴーサインを出せば、あとは「地元合意」が確認できさえすれば、国の「政治判断」によって再稼働に踏み切ることができるかのような発言が続いてきた。実際、1月に一部の政府関係者(官僚)が一部の外国大使館に対し、三月末までに停止中原発の再稼働を行う旨を伝えたといった「風評」が流れ、当初は4月1日に発足予定だった原子力規制庁の立ち上げを前に野田政権が再稼働に踏み込むのではないか、という憶測が飛んだのである。
 しかし、少し冷静になって思い出してみたい。そのそも政府・民主党が、「ストレステスト」をどのようなものとして位置付けていたのか、また再稼働の「政治判断」を下すにあたり、国としてまとめる(と民主党内閣が主張した)「原発の安全基準」との関係はどのようなものだったのか。
 去年の7月にさかのぼり、ポイントを整理し直した方がよさそうである。


「ストレステスト」とは何だったのか?
 すべては、「3・11」以前のこの国の「原子力行政」なるものが、あまりにもひどすぎたことに原因がある。このことをきちんと踏まえないと、菅政権から野田政権へと混乱をくり返す政府の、いわば支離滅裂としか映らない、一貫性のない、場当たり的対応に、こちらまで混乱してしまいかねない。

①「ストレステスト」をめぐる「政官不一致」と「閣内不一致」
 昨年、7月8日の「全原発耐性テスト 再稼働、突然「待った」と題された毎日新聞の記事。
 「政府は6日、全原発を対象に新たに安全性を点検するストレステスト(耐性試験)を行うと発表したが、経済産業省原子力安全・保安院は6月、定期検査中の原発は「安全」と宣言したばかり。
 方針変更の背景には、原発再稼働を急ごうとした海江田万里経産相に対し、脱原発に傾く(?)菅直人首相が待ったをかけたことがある。政府の迷走は立地自治体や国民の不信を高める。九州電力玄海原発(佐賀県)などの再稼働が遅れるのは必至で、夏場の電力不足懸念が一段と強まりそうだ。
 「原子力安全委員会に聞いたのか」。6月29日に玄海原発の地元に再稼働を要請した海江田氏を待っていたのは、首相の厳しい言葉だった。安全委員会の了解を取っていないことをなじる首相に対し、海江田氏は「安全委員会を通すという法律になっていない」と反論。首相は「それで国民が納得するのか」と再稼働に反対する姿勢を鮮明にした」

 翌9日の、「ストレステスト 2段階 再稼働判断」と題された東京新聞の記事。
 「政府は9日、原発再稼働をめぐる統一見解の概要をまとめた。ストレステスト(耐性評価)の実施を明記。
(1)玄海原発など定期検査中の原発は損傷が生じるまでの幅である「裕度」をまず確認
(2)その上で欧州連合(EU)のストレステストを参考に総合的な安全評価をする-の二段階で行う。
 再稼働の可否は第一段階で決定ただ、安全への信頼性を高めるためにより具体的なテストも行うことにした。 原子力安全委員会も安全性の判断には関与し、具体的な裕度を関係自治体に示した上で再稼働への同意を取り付ける方針だ。枝野幸男官房長官が11日に発表する」

②細野発言
 ところが、翌10日に朝日新聞が報じた細野発言で、事態は余計に混乱することになる。
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原発ストレステスト「再稼働の条件」 細野原発相が明言
 細野豪志原発担当相は10日朝のフジテレビの番組で、全国の原発を対象に新たに導入を検討している安全性評価(ストレステスト)について「再稼働の条件になってくる」と述べた。 政権はストレステストを含む原発の新たな安全確認手順について、細野氏と枝野幸男官房長官、海江田万里経済産業相で最終調整しており、11日にも政権の統一見解を公表する。
 細野氏は番組で「ストレステスト自体が明確に定義されていない。欧州でよく使われる言葉だが、先進的な事例を参考にした上で日本流のものをつくらなければならないテストの結果と再稼働が全く別ということは考えにくい。日本版の安全基準を作り、それをクリアして再稼働になる」と述べた。
 テストの対象となる原発は「稼働中のものも当然対象になり得るし、(定期点検などで停止中で)再稼働するものも対象になる」として、運転状況にかかわらず全国の原発が対象になるとの考えを示した。(朝日)
・・

 私は、上の各紙記事を引用した「ストレステスト」と市民の「安全・安心」(7/19,2011)の中で、この細野発言が、「(7月11日に)予定されている「政府統一見解」から明らかに逸脱した、無責任な発言である」と論評を加えているが、一言で言えば、野田政権は、菅政権時代のこの細野発言を清算し、「無かったもの」として処理し、ストレステスト一次評価→原子力安全委員会の「妥当」判断→「地元合意」→「政治判断」の流れを意図的に作り出そうとしてきたのである。マスコミ的に言えば、再稼働を煽る原発推進派の読売新聞や産経新聞の記事が、これに一役買ってきた。

 つまり、私が言わんとしたのは、細野発言は原発を所管する経産省、また内閣としての見解ともかけ離れた「踏み込みすぎた発言」(しかし、それ自体はまっとうな正論)ということであり、この細野発言が以降、再稼働の「同意」を国から要請された(しかし、法的根拠はない)立地自治体側の混乱と反発を招く結果になってしまったのである。


 だから、その意味では、たとえば福井県の原子力安全専門委員会が、大飯原発3、4号機の再稼働判断をまえに、次のように言うのは一理あると言わねばならない。
・・
30項の安全策中心に暫定基準を 県安全委、保安院へ反映要請
 福井県は20日、原発の安全性を技術的に検証する原子力安全専門委員会を県庁で開き、東京電力福島第1原発事故の技術的知見や地震・津波の解析、経年劣化の影響などについて経済産業省原子力安全・保安院がまとめた中間報告の説明を受けた。中川英之委員長(福井大名誉教授)は、事故分析に基づきまとめた30項目の安全対策をベースに、県が求める福島の知見を反映した暫定的な安全基準を明確に示すよう求めた
 保安院は、専門家でつくる五つの意見聴取会での検討内容を踏まえ、外部電源や使用済み燃料プール冷却・給水機能の信頼性向上など30項目の安全対策を中間報告にまとめた。この日の同委員会に保安院の山田知穂原子力発電安全審査課長ら4人が出席して説明した。
 新たな安全対策に関して委員からは、国際原子力機関(IAEA)に提出した事故報告書や日本原子力学会がまとめた教訓などを包括していると評価する(??)意見が出た。
 一方で「事業者が国の規制を守っていれば自分たちに責任がないと思っているとすると危険」「大津波が来るかもしれないという国会の議論を一蹴(いっしゅう)した。(事業者や国の)そういう風土がどうやってできたのかは総括する上で大前提」といった厳しい指摘も出た。 大飯原発3、4号機の再稼働をめぐって中川委員長は「30項目の安全対策を中心に安全のための判断基準を作り上げていただけると思っている」と述べ、各中間報告をベースに県が要請する暫定的な安全基準を策定するよう求めた。
 保安院は、再稼働の判断にはストレステスト(安全評価)の1次評価結果だけでなく、国民理解や地元の了承が必要との認識を示す一方、安全基準をいつまでにどのような形で提示するかは明言しなかった
 22日には「シビアアクシデント(過酷事故)対策規制」の意見聴取会を設置し、30項目の安全対策の重要度などを位置付ける議論を行うとしている。
【県原子力安全専門委員会】  関西電力美浜原発3号機死傷事故後の2004年8月に県が設置した。県内原発の安全性について専門的な立場で技術評価や検討を行い、助言する。電子材料、原子力工学、耐震工学、地質学などを専門とする県内外の大学教授ら委員12人(臨時委員含む)で構成している。東京電力福島第1原発事故後の会合では、日本海側で過去に起きた津波のデータを蓄積するよう提起。3電力事業者が若狭湾周辺の堆積(たいせき)物を採取するボーリング調査に着手する契機の一つとなった。
・・

 ここで、上の「暫定的な安全基準」が、昨年来論議されてきた「安全基準」ではないこと、また保安院が、それさえも再稼働是非の条件に入れていないことを確認する必要がある。保安院は、大飯原発3、4号機の再稼働をめぐって「30項目の安全対策を中心に安全のための判断基準を作り上げ」る意思など、最初から持っていない。
 しかし、この状態が続く限り、仮に立地自治体が再稼働にゴーサインを出したくとも、出しようがない、そういう状況が出来上がってしまった、と言えるのではないだろうか。
 問題は、野田政権にその認識、危機意識がないことだ。「原子力規制庁」なる原発推進機関の設置法の国会審議がいつ始まり、規制庁がいつ正式に発足するかもわからない。

 こうした現状を踏まえるとき、脱原発派に問われていることが、危機アジリ的に再稼働問題を論じることにあるとは私には思えない。これから夏にかけ、じっくり腰を据え、それぞれの地域において、何をもって〈脱原発〉と言うのか、その思想と行動の論理をいっそう深め、少しでも世代を超えた運動と人のネットワークを広げることが、一番重要ななことではないかと思うのである。 そこにおいて、おそらく最も重要な「アジェンダ」とは、〈「地域再生」や「村おこし」の中に脱原発をいかに位置付けるのか〉というこれまでの脱原発運動が素通りしてきた課題ではないだろうか。
 〈災後としての3・11以後〉の日本社会において、このテーマに対する明確なビジョン抜きに、もはや脱原発を語ることはできないのではないか。
 引き続き、考えて行きたい。

「批評する工房のパレット」内の関連ページ
⇒「「ストレステスト」のマヤカシ---2段階で再稼働判断?」(7/11,2011)
⇒「菅内閣は退陣すべきである」(7/12,2011)

・・・
「拙速な再稼働反対」意見書可決 越前市会、大飯原発3、4号で
 福井県の越前市会は19日、関西電力大飯原発3、4号機の拙速な再稼働に反対する意見書を全会一致で可決した。同市議会事務局によると、今回の原発再稼働に関して否定的な意見書を可決するのは県内市町会で初めて。
 意見書は「東京電力福島第1原発事故の真相究明が終わらなければ、新たな原発事故を防ぐための改善策や解決策が見いだせない」とした上で「事故以前と同じ基準で原発の安全性を確認し、再稼働を判断することは到底、国民は納得しない」などと指摘。 政府に対し、事故原因の徹底的な解明や原発周辺の地震の可能性について科学的な根拠に基づく調査などを行い、停止中の原発の運転再開を拙速に進めないよう求めている。
 嵐等議長は報道陣に対し「原発の安全レベルをもっと高くしなければならない。意見書は近く県にも提出したい」と話した。 意見書可決を受けて奈良俊幸市長は「県は慎重に原発の安全性の確認に努めており、市会の意見書の趣旨に沿う形で対応していると認識している。市としても引き続き、原発の安全対策の推進を国などに求めていく」とコメントした。(福井新聞)

<関電筆頭株主>大阪市の「原発廃止」提案に波紋
 関西電力の筆頭株主である大阪市が株主総会で全原発の廃止を含む株主提案をする方針を決めたことに、各方面で波紋が広がっている。市は神戸、京都両市にも同調を求める意向だ。「多くの株を持つ機関投資家の賛同は得られない」という分析がある一方、「橋下徹市長率いる大阪市の提案は個人株主を動かす」と評価する声もある。総会は6月開催予定だが、3分の1に達する個人株主の動きも鍵を握りそうだ。

【大阪市】全原発廃止、関電に株主提案へ
 橋下市長は、昨秋の市長選の際から株主提案権の行使を明言しており、関電は「事業活動に理解を賜れるよう説明を尽くしたい」(八木誠社長)と対話を求めてきた。ただ、今月18日に大阪府市のエネルギー戦略会議が取りまとめた方針(骨子)には「可及的速やかに全ての原発を廃止」と、原発全廃が明記された。関電は現時点で、原発全廃には応じられないとする姿勢だ。
 これに対し橋下市長は19日、報道陣に「戦略のない原発ゼロという提案ではない。原発ゼロに至るまでの工程を考えたうえで株主提案をやる」と述べ、関電に対して今後の需給見通しなどを示すよう改めて求めた。即時の原発停止は求めていないことから、今後、データに基づく需給議論の中で両者の“歩み寄り”の可能性はある。
 大阪市が保有する関電の発行済み株式は約8.9%。神戸市は約3%、京都市も約0.5%を保有する。橋下市長は、神戸、京都両市も「一緒にやってくれると信じている。僕らは選挙で選ばれ、背後には有権者が控えている。単純な13%の株主として扱っちゃいけない」と述べた。
 ただ、関電の株主には、株式29%を保有する金融機関など機関投資家も多い。大手金融関係者は「機関投資家は経済合理性で判断する。原発事故によって原発に対する見方は変わっていない」と分析し、市の提案に賛同する可能性は低いとみる。
 一方、関電株主の約3分の1を占める個人株主。例年、市民グループらが「原発撤退」を提案してきたが、東京電力福島第1原発事故後の昨年の総会でも賛同は前年比0.1ポイント増の3.9%にとどまった。だが、NPO法人株主オンブズマン代表の森岡孝二・関西大経済学部教授(企業社会論)は「株式約1割を保有する筆頭株主の(大阪市の)提案は重みが違う。一つの大きな流れと受け止め、賛成する株主も多いのでは」と個人株主の動きを注視している。【毎日、横山三加子】

福島第二原発1号機、30年超認める 保安院
 経済産業省原子力安全・保安院は19日、4月20日に運転開始から30年を迎える東京電力福島第二原発1号機(福島県、110万キロワット)について、東電が提出した今後10年間の運転管理方針を認める審査書案を専門家会合で示した。東電は東日本大震災の津波で被災した同原発の原子炉の冷温停止を維持する管理を続ける。  ただし、今後原発を再稼働させる場合は(!!!)、改めて保安院の評価を受ける必要があるという。地元の福島県は、国や東電に対して福島第二原発全4基の廃炉を求めている。
 福島第二原発は昨年3月11日の大震災で運転中だった全4基が自動停止。非常用発電機が津波で浸水するなどして、1、2、4号機が全交流電源を喪失したが、同月15日までに復旧作業で冷温停止になった。福島第一で起きた炉心溶融や水素爆発は免れたが、国内の原発で過去になかった「レベル3」の深刻な事態に至った。 (朝日)
⇒「で、私たちは福島第一5、6号機と第二原発をどうするのか?」(12/14,2011)

2012年3月18日日曜日

自衛隊は何を守り、誰のために戦うのか?--「災後」における自衛隊の機能と役割をめぐって

自衛隊は何を守り、誰のために戦うのか?--「災後」における自衛隊の機能と役割をめぐって


 野田政権は、今通常国会に「国連平和維持活動(PKO)協力法」の「改正」案提出に向けて準備を進めている。その焦点になるのが、自衛隊の「武器使用権限」の解釈の拡大である。 しかし、この問題をめぐっては、賛否両論双方に混乱がみられる(と私には思える)ので、国会での審議が始まる前に論点を整理しておきたい。今回は、解釈拡大に賛成の立場を取る、今日付の読売新聞の社説(「PKO法改正案 「駆けつけ警護」を可能にせよ」)を取り上げてみよう。

 改憲派の読売新聞の主張は以下のようなものだ。
A、自衛隊は、「基本的に正当防衛目的の武器使用しか認められていない」。これを超える武器使用は、「憲法の禁じる他国への武力行使に当たる恐れがある」、という内閣法制局の憲法解釈が政府統一見解になっているからだ。
B、しかし、「国連決議に基づくPKOの武器使用に、武力行使の概念を適用する」政府見解には「重大な疑義」がある。というのも、読売新聞の解釈によれば、
C、仮に、政府の憲法解釈を「尊重」するとしても、内閣法制局が「グレーゾーン」とする部分には、武力行使に相当せず、違憲でない武器使用の事例が多数あるはず」だからである。
(⇒このBからCへと移行する憲法解釈論は、実はアフガニスタンの「国際治安支援部隊(ISAF)」への自衛隊の「派遣」を主張した民主党および小沢一郎氏の憲法解釈論と同じである。)

D、Cの具体例として、読売は次の4つの類型をあげる。
①離れた場所にいる民間人への「駆けつけ警護」、
②他国の軍隊との宿営地の共同防衛を可能にする武器使用、
③他国軍への駆けつけ警護、
④任務遂行目的の武器使用。 読売は、

E、これらを可能にする法「改正」を推進しているのは外務省であるが、防衛省は「消極的」とした上で、「改正」賛成の立場から野田政権に「提言」する。
F、「大切なのは、政治家が官僚任せにしないこと」。
 「改正案作りや国会審議を通じて、政治の意思をきちんと示すべき」・・・。


 歴代の内閣法制局は、「外部」からの「計画的・組織的」な「侵略」行為や武力攻撃事態に際し、自衛隊が「敵」を撃退する=「自衛」のための「必要最小限」の実力行使(事実上の武力行使)をすることは憲法上違憲ではない、という九条解釈を行ってきた。

 問題は、「国防」=「自衛」の範囲を超える海外における自衛隊の武力行使/武器使用の基準をどうするか、にある。国連PKO法(=自衛隊の国連PKOへの参加に関する根拠法)が制定された20年前より、これをめぐり国会内外で、実に不毛な論争が展開されてきた。 ここで「不毛」と言うのは、日米安保条約に基づく安保体制が無期限に存続する限り、自衛隊の海外における部隊展開は、半永久的に米軍の後方支援を担わされるか、それとも自衛隊員が「国際の平和と安全/安定」という「大義」の下で、米軍とNATO軍を中心とした多国籍軍の「戦略的捨て石」になるか、そのいずれかでしかないからである。 国=外務省は、その真実、自衛隊の海外「派遣」の矛盾を「国益」という言葉で覆い隠してきたのである。

 武力紛争=内戦状態にある国や地域に「派遣」された自衛隊が、現在よりも「武器使用」規制が緩和され武装を強化するということは、言葉を換えれば、それだけ武装勢力との攻防局面に自衛隊がさらされ、殺される可能性が高くなるということだ。さらに、「派遣」隊員の「危険手当」の増額、装備品の増加、輸送コストの増大等々、「武器使用」緩和は、単年度ベースの防衛予算そのものも膨張させることになる。だから防衛省は、当然にも、消極的にならざるをえない。

 もっと言えば、「戦争をたたわない自衛隊」が自衛隊の「本分」であり、だからこそ入隊したという自衛隊員の比率は圧倒的に高い。子どもを自衛隊に預けた親や家族が安心できたのもそのせいである。
 さらに、少子高齢化で、一般社会の人口構成よりも「逆三角形」状態になり、それでなくとも自衛隊の存亡が危ぶまれている現下の状況にあって、防衛省としては、続発する隊内の「いじめ」や「綱紀」の緩み、「不祥事件」、一般社会よりも高い自殺者率などはともかくとしても、戦闘で死者を出す、などということは絶対に避けたいことなのだ。「自衛隊=死ぬかもしれない」という恐いイメージが流布されてしまえば、志願者の減少につながるからである。

 読売の社説は、社としての従来の主張の単なる焼き直しであり、内容的に何も新しいものはないのだが、要するに読売は、野田民主党に対し、こうした防衛省の防衛官僚的懸念を、「政治主導」によってねじ伏せる「政治の意思」を示せと、外野席から騒いでいるような主張の典型である。南スーダンであれどこであれ、「派遣」された自衛隊員に、事実上の戦闘行為ができるように法「改正」をしろ、と言っているに過ぎないのである。何のために? 「日米同盟」なるものの「深化」のために? 日本の「国際貢献」なるものの人柱となるために?


〈3・11級の複合惨事と自衛隊〉
 政治家や官僚、マスコミや学者、財界は、末端の自衛隊員が、仮に対テロ戦争や「軍民一体の平和構築」の任務途中の戦闘行為で死んだところで何の責任も負わず、犠牲も払わない。彼/彼女らは、自分が武器を持ち戦い、負傷したり死んだりするわけではないので好きなことを言い放題だ。さらに、自衛隊を外交の駒としか考えない、好き勝手に自衛隊員を引きまわそうとうする外務省もいる。 こうした安保・防衛利権や既得権が磁場となり、様々なアクターによる自衛隊をめぐる様々な言説が飛び交うことになる。

 『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』の中で、私は〈憲法九条の死文化〉論者の立場から、こうした内閣法制局および改憲・護憲論双方の憲法解釈の盲点と、それぞれの政治主張の無責任さについて述べている。ここでそれを繰り返すつもりはない。以下では〈ポスト3・11状況における自衛隊の役割とは何か?〉という観点から、少し考えてみたい。

 「3・11以後」を「3・11以前」と分かつ象徴的言説として、「戦後から災後へ」ということが語られてきた。しかし、すべての事柄と同様に、自衛隊についても「3・11以前」の「既定の方針」を抜本的に見直すことなく、「既定の方針」の上に継ぎ足す形で「防災」における自衛隊の役割が云々されてきたのである。ここに根本的な問題と矛盾がある。 たとえば、昨日付の産経電子版の記事(「医薬品輸送、女性医師が米軍を動かした」)の冒頭は、こんなくだりになっている。
・・
 東日本大震災では米軍による支援活動「トモダチ作戦」が大きな成果を上げたが、その先駆けが被災地への医薬品の輸送だったことはあまり知られていない。東京・本駒込の日本医師会(日医)に医薬品が集まるめどが立ったのに、輸送手段が見つからない。厳しい局面で機転を利かし、米軍に直接交渉したのは、米ハーバード大学の人道支援組織の一員として派遣された有井麻矢(ありい・まや)医師(31)だった。
 震災発生から1週間もたたない昨年3月16日。被災地から「医薬品が足りない」との声が日医に相次いでいた。製薬各社の協力で確保できたが、問題は膨大な量をどう迅速に運ぶかだった。期待した航空自衛隊から色よい回答を得られず、落胆が広がった
 「米軍に協力要請できるかもしれません」。声を上げたのは、たまたま居合わせた有井だった・・・・。
・・

 以下、この記事は、有井医師の奮闘を描写するのだが、しかし産経新聞は、なぜ「期待した航空自衛隊から色よい回答」が得られなかったのかを問おうとしない。なぜなのか?
 「第2の3・11」事態に備える国と自治体の「防災対策」において、自衛隊はいかなる責任と役割をはたすべきか。自衛隊は、「3・11」と同レベルの津波・地震・原発惨事に際し、「国民」を守り、ガレキの山から救出し、迅速に避難させることができるように、全国の各方面・部隊を編成し直すべきか、またそのためにどのような〈装備〉を持つべきか? 

 「3・11」以後、中国・北朝鮮・ロシア脅威論と、米軍の「抑止力」論だけは盛んにキャンペーンされてきたが、、およそこうした観点から自衛隊の「防災=国防戦略」を論じるものが一つとして見当たらないのはなぜだろう。
 自衛隊は、「国民の生命と財産」を守るためにこそ戦うべきではないのか。少なくとも、腐敗した南スーダンの現政権を支えるために南スーダンの武装勢力が戦うことが、今自衛隊に問われていることではないはずだ。自衛隊に求められているのは、海外における武器使用ではなく、国内における「防災」を担いえる装備の拡充と技術の向上なのではないか。
 たとえば、災害時における「膨大な医薬品」を「迅速」に運べる装備と技術。
 あるいは、「トモダチ作戦」なるもので、米軍が「朝鮮有事」を想定した軍事訓練の一環として、福島以外で行ったような「救援・支援」展開を担う装備や技術・・・。

 いかにすれば自衛隊は、「第2の3・11」事態において、他の誰でもない、まず私たちの生命と財産を守る「実力部隊」たりえるのか? 2月からこの間、東京、福島、福井、茨城、鹿児島等々で、自衛隊が参加した「防災訓練」が行われてきた。「武器使用」規制緩和云々以前に、私たちはこれら個々の訓練の具体的分析や検証を通じて、そういう議論を始める/やり直す必要があるのではないか。次回はそういう議論を試みたいと思う。

・・・
3/31
米軍へ役務提供検討=司令官派遣は見送り―PKO法改正
 政府が今国会提出を目指す国連平和維持活動(PKO)協力法改正案をめぐり、自衛隊の任務に、米軍への物品・役務の提供を加える方向で調整していることが31日、分かった。米側からの要請によるもので、日米同盟強化の一環。具体的には、PKOに従事する自衛隊ヘリで、PKO以外の作戦を遂行する米兵の輸送などが可能になる。 (時事)

3/27
南北スーダンが交戦 国境地帯、首脳会談を延期
 ロイター通信によると、南スーダン政府は同国北部ユニティ州の油田で27日、スーダン軍による空爆があったと非難した。26日には南スーダン側がスーダン南部の油田地帯ヘグリグを攻撃、これを受けてスーダン政府は、来月に予定されていた南北首脳会談を延期すると発表した。 双方とも、相手の攻撃に対する反撃と主張しており、報復合戦が激化する恐れもある。フランス通信(AFP)によれば南スーダンのキール大統領は26日、「これは戦争だ」と語った。
 戦闘があったのは主に国境付近で、国連平和維持活動(PKO)で日本の陸上自衛隊が派遣されている南スーダンの首都ジュバからは約500キロ離れている。 南スーダンは昨年7月にスーダンから独立。両国間ではその後、原油収入の配分などをめぐる協議が難航し緊張が高まっていた。 一方、スーダン軍報道官は26日、同国西部ダルフール地方の反政府武装勢力「正義と平等運動(JEM)」が、今回の衝突を利用し、スーダン軍に攻撃を仕掛けていると非難、JEM側はヘグリグ周辺に部隊を配置していることは認めつつも交戦は否定している。【産経、カイロ=大内清】

3/18
北朝鮮、中国の動向「不透明」=首相、防大卒業式で訓示
 野田佳彦首相は18日午前、防衛大学校(神奈川県横須賀市)の卒業式で訓示し、「核・ミサイル問題を含む北朝鮮の動き、軍事力を増強し周辺海域で活発な活動を続ける中国の動向など、わが国の周辺環境は厳しさを増すと同時に、複雑さを呈し、不透明感が漂っている」と指摘した。「このような新たな事態の中においても、(自衛隊は)しっかりとこの国と国民を守らないといけない」と述べた。
 首相は、東日本大震災での自衛隊の活動に触れ、「被災地のみならず、国民の高い評価を得ることができた。長く歴史に刻まれる1年になると思う」と強調。最後に「この国を守ることの責任を自覚し、世界に羽ばたく気概(???)を持ち、常に国民とともにある姿勢を堅持して幾多の困難を乗り越えていただきたい(???)。皆さんならば、それが必ずできると確信している」と語った。 (時事)
 ↓
 このような野田首相の「訓示」が、どのような「立ち位置」から発せられているか、私たちは末端の自衛隊員とともに、よく吟味してみるべきだろう。「戦争を知らない子どもたち」、この国の政治家、「防衛オタク」連中による、「戦争と軍隊のリアリズム」を弁えない観念的論議の典型ではないか。政治家自身が担いきれず、現在の自衛隊の在り方では担いようがないこんなことが「現場を知らない連中」によって上意下達的に強制されるから自衛隊内で精神の疾病が蔓延するのである。

沖縄米軍基地に陸自司令部機能 抑止力を維持 (日経)
●沖縄の米軍基地を自衛隊と米海兵隊で共同使用する検討が開始。
●在沖縄海兵隊の主力戦闘部隊・第31海兵遠征部隊(31MEU)の司令部があるキャンプ・ハンセンに陸自の司令部機能を置く。
 ⇒「指揮通信機能の統合運用」。「米軍再編計画の見直しにより、沖縄の海兵隊がグアムやハワイなどに移転した後、有事への対応能力が低下しないように備える」というのがその論理。
●在日米陸軍司令部があるキャンプ座間(神奈川県)には、12年度末までに陸自中央即応集団司令部が移転。在日米軍司令部などがある横田基地(東京都)には、今月下旬に府中基地(同)の空自航空総隊司令部や関連部隊が移転。
 ↓
 日米両政府は、これらが「自衛隊の[有事]対処能力」を高め、「将来的に基地管理権の移管につなげる狙い」もあるとしているが、逆に言えばそれは、全国の自衛隊基地が米軍の戦略と思惑次第でいつでも「共同使用」できるようになることを意味している。「共同使用」は在日米軍の永久駐留を誤魔化すためのトリックに過ぎない。

普天間補修費は日本負担の明記を 中間報告で米側要求
 在日米軍再編見直しをめぐる日米協議で、4月中に取りまとめる予定の中間報告に米側が米軍普天間飛行場の大規模な補修に着手する方針と日本の経費負担を明記するよう要求していることが17日、分かった。日本側は普天間固定化を印象付けかねないとして難色を示した。複数の日米関係筋が明らかにした。
 中間報告で本格的な補修の着手が明示されれば、沖縄側の反発がさらに強まるのは確実。オバマ政権は普天間継続使用の方針を米議会に示すためにも中間報告への盛り込みが必要との姿勢だ。  日本側は中間報告への盛り込みに慎重な考えを伝え、今月下旬の協議であらためて調整する。(共同)

・・・
大阪府・市、全原発廃止提案へ 関電に、送電は別会社化
 大阪府と大阪市でつくる府市統合本部は18日、エネルギー戦略会議を市役所で開き、関西電力の全ての原発を可能な限り速やかに廃止することや発送電分離に向けた送電部門の別会社化などを柱とした株主提案の骨子を固めた。役員と従業員の削減も求める。
 市は関電株式の約8・9%を持つ筆頭株主。6月に予定される同社の株主総会で、初めてとなる株主提案権の行使に踏み切り、可決を目指す。 だが株主提案で関電の事業などを定めた定款を変更する場合、議決権のある株式総数の3分の2以上の賛同を得ることが必要。他の株主の支持をどこまで広げられるかが焦点となる。(共同)

2012年3月16日金曜日

「原子力緊急事態」: 国と自治体の責任を問う、ふたたび

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 14日の福島県議会において、国と福島県は、昨年の3・11直後から開かれていた「原子力災害合同対策協議会」に協議会構成員たる浜通りの6自治体(広野、楢葉、富岡、大熊、双葉、浪江6町)に会議への出席を呼びかけていなかったことが明らかになった。

 6町の関係者は、「協議会の全体会議が開かれていたことすら知らなかった」(??)という。
 こんな「ありえない」としか思えないことが、本当にありえるのだろうか?

 福島県は、国に6町の会議出席を求めた、と弁明している。これに対し、国は「事故発生直後は、各町とも出席できる状況になかった。その後は、必要な情報は随時提供している」と答えているが、6町が言っていることと矛盾している。さらに問題なのは、国ばかりか県も、6町に対して参加を独自に働きかけなかったことである。

 「原子力緊急事態」の発生時、住民が被曝することなく避難するための最も重要な「初動期」において、現実には原発立地自治体や周辺自治体が「かやの外」に置かれ、切り捨てられてしまう、しかも、そこには国と県の共犯的関係がある・・・。
 何か氷のような冷たい恐怖感が全身を走るというか、思わず身震いしてしまうような、とても信じられない「事態」だ。 原発立地自治体や周辺自治体の責任者が「合同対策協議会」に参加せずして、いったい誰が、どのように住民の避難に責任を取ると言うのだろう。

 問題は、これにとどまらない。実は、昨年3月12日から14日までの「合同対策協議会」の全体会義4回分の議事録が残されていない(!)ことも明らかになった。政府と東電の「統合対策本部」の議事録も残されていないとされているが(→私は信じない)、まさに政治的・行政的責任を事後的に追及されることを恐れた、情報隠ぺい・証拠隠滅の、何とも形容のしようがない「事態」だと言うしかない。(福島民報「国、周辺6町抜きで会議 原発事故後の合同対策協」を参照)

 福島県議会は、この問題の「調査委員会」を設置し、真相を究明すべきではないか。そうでなければ、今回の原発大惨事の犠牲となったすべての人びとの怒り・苦悩・苦闘は、決して報われないだろう。 追い詰められ自殺した者たち、「事故」現場で死んだ者たちの霊を慰めることさえできないのではないだろうか。


 まだある。保安院が「原発防災指針改訂」に、地元住民や「国民」の「混乱を惹起する」という理由で「抵抗」していたという事実も明らかになった。 原子力安全委員会が6年前に国際基準見直しに合わせて改訂しようとしたが、保安院が「強硬に反対」したというのである。朝日新聞によれば、改訂は「防災域の拡大や重大事故に即時対応するための区域の新設をする内容」。

・ 安全委は2006年3月、国際原子力機関(IAEA)が加盟国に示した基準の見直し(07年に最終確定)に合わせて防災指針を改訂しようと作業部会を設置。
①原発から半径8~10キロ圏内の防災対策重点地域(EPZ)を廃止し、半径30キロ圏内の緊急時防護措置準備区域(UPZ)に拡大することが課題に。
半径約5キロ圏に、電力会社が重大事故を通報すると同時に住民が「即時避難」する予防的防護措置準備区域(PAZ)を設置することも検討項目に。

③公開文書によると、保安院から安全委に同年4月下旬、「社会的な混乱を惹起(じゃっき)し、ひいては原子力安全に対する国民不安を増大するおそれがあるため、検討を凍結していただきたい」と申し入れる文書が届いた。財政的支援が増大するという懸念も挙げられていた。

 「財政的支援が増大するという懸念」・・・・。
 「国民の生命・財産」よりも銭勘定を優先させる官僚制の本質?

 上の①と②は、今回の事態を受けて、安全委が再度国に「助言」してきた内容であり、情報としては何も新しいものはない。

 しかし、野田政権が、相変わらず停止中原発の再稼働ばかりか建設中止中原発の工事再開も口にしている以上、私たちはこの国の政府・自治体に原発を持つだけの「ガバナンス」力が本当にあるかどうか、真剣に再考すべき/せざるをえない、と私は強く思う。

 菅内閣の責任を問うのはよい。しかしそれだけはどうしようもない。
 戦後官制と既存の政党・政治家総体の「ガバナビリティ」を私たちがどう査定するかが問われているのである。


 「脱原発と「人間のための医療」」の中で、
 「各自治体の「地域医療」、国立大学や公立・私立大学の「医学部」は、[原発大惨事が起こった時に]ほんとうに私たちを守り、治療し、ケアするかどうか・・・。 福島県と県立医大、また各自治体の医師会が福島県民に対して行ったことは、私たち自身に対しても行われたであろうことだと理解すべきではないのか?」と書いた。

 福島の実情、現実を知らない人は、「言い過ぎではないか?」と思ったかも知れない。私にしても、言い過ぎになるかも知れない、と考えてきたからここまでは書かなかった。しかし、
①国はもとより、県や市町村の自治体も、「事故」直後から昨春を通して、空間線量の正確な情報を隠ぺいし続けていたこと(→私が直接聞いた話の中では郡山市当局が一番ひどい印象を受けた)、
②実際の数値を隠ぺいしながら、「健康に影響はない」を繰り返していたこと、
③高レベルの放射線量が確認されているにもかかわらず、父兄や子どもたちへの被ばく防護の指導もせずに、卒業式や入学式その他の学校行事を繰り返していたこと、
④「データ」を取る内部被ばくの「検査」をしても、県民に対する医療の説明責任を果たさなかったこと(まるで、医療現場末端にまで「緘口令」が敷かれていたのではないかという疑念を、県民に抱かせてしまったこと)、

 等々の現実を知れば知るほど、子どもを持つ親たちの多くは、せめて子どもと母親だけは県内外に「自主避難」させる以外にない苦渋の選択を迫られたわけである。
 そして、避難しない/できない、こうした現実を知る県民の多くも、もはや県も「ミスター・100ミリシーベルト」が副学長をつとめる県立医大も信用できなくなり、検査やカウンセリングを「放射線防護」のために新たに設立された市民組織に、あるいは「代替医療」機関に頼るようになったのである。
 一般の福島県民がいかに県や自治体を信用していない/しないようになったか。福島以外の人間には想像を超えるものがある。


 「3・11」以後の、福島の「地域医療」がかかえる問題に関し、たとえば「医療ガバナンス学会」のメールマガジンや『絶望の中の希望~現場からの医療改革レポート(上昌広)』(JAPAN MAIL MEDIA)などを通して私たちは情報を得てきた。これらに掲載されている論考は、現場を知る専門家によるものだけに、私のような素人には、むしろ学ぶべきところが多いことは事実である。とくに国や県、県立医大などの被災地医療の問題点を指摘し、対案や提言が提出されている場合には、納得させられる場合がほとんどかもしれない。「餅は餅屋」と言うべきか。

 餅屋は、たしかに美味な餅を作ることを常に考えているだろうし、そのための努力は惜しまないだろう。そういう餅屋が少なくなったがゆえに、プロとしての職人意識を持つ餅屋はとても貴重な存在である。けれども、餅屋はいまなぜ餅を作り続けるのか、自分が作る餅そのものを問うことはしない。
 ポスト「3・11」の日本社会は、もはや「餅屋の餅」ではない何か、従来通りの「餅屋」ではない誰かを求めているのかもしれないのである。 餅屋は、欲していない餅を食わされる人間の立場から餅を見ることはできない。

 そうしたことを考えながら、私はいま、これらの論考の「立ち位置」を検証するために、読み直す作業を進めている。「餅屋の中の餅屋」に敬意を払いながら。

・・・
3/21
原発事故直後の放射線予測、福島県は消していた
 東京電力福島第一原発事故で、福島県が国からメールで送られた放射性物質の拡散予測「SPEEDI(スピーディ)」のデータのうち、事故当日の昨年3月11日から同15日までの分を消去していたことが21日、わかった。 県は「当時は次々とメールを受信しており、容量を確保するため消してしまったのではないか」(???)としている。
 SPEEDIは、文部科学省の委託を受け、原子力安全技術センター(東京)が運用。同センターは昨年3月11日夕から試算を開始し、1時間ごとの拡散予測のデータを文科省や経済産業省原子力安全・保安院に送った。県にも依頼を受け、送ろうとしたが震災で専用回線が使えず同日深夜に県原子力センターに、12日深夜からは県災害対策本部の指定されたメールアドレスに送信したという。(読売)
 ↓
 この話は、私が知っている福島の人たちは、すでに知っている話である。真剣な話、国のみならず、3・11直後の県および市町村レベルの行政がとった対応を再検証するために、「真相究明委員会」が設置されるべきだと私は思う。

3/18
放射線、事故後に認識32% 福島の小中学生調査
 東京電力福島第1原発事故で避難し、福島県内にとどまる小学5年と中学2年への共同通信アンケートで、回答した225人のうち72人(32%)が「事故後初めて放射線を気にしながら生活している」ことが18日、分かった。
 「事故前から気になっていた」のは3人(1%)。一方で、今でも放射線を「気にしていない」のは138人(61%)に上り、大人の世代によってつくられた「安全神話」の中で、原発が身近な子どもの複雑な心中が浮き彫りになった。  県外避難への思いとして「仕方がない」(34%)、「戻ってきてほしい」(31%)がほぼ同じ。(共同)

2012年3月14日水曜日

脱原発と「人間のための医療」

脱原発と「人間のための医療」

 先週の土曜から二泊三日で福島をまわった。いわき、郡山、二本松、南相馬、三春に行き、いろんな人びとの話をきいた。 告白をすれば、かなり頭の中が混乱してもいるのだが、今回の小さな旅で考えたことを何回かに分けて書こうと思った。その第一弾である。


 「脱原発・福島県民大集会」が開かれた11日の午前中、「福島での診療所づくりー今、なぜ?どんな?」と題した「テーブルトーク」に参加した。
 参加したのには理由がある。私自身、去年のクリスマスに相馬と南相馬の仮設住宅を回り、「福島での診療所づくり」が必要ではないかと考えていたからである。 「資格社会と専門家の資質--相馬と南相馬で考えたこと(3)」の中で、次のようなことを書いた。

  「[仮設住宅」を回って]わかったことの一つは、こうした諸々の[地域医療の]制度化された「壁」が、いざ今回のような大規模な惨事、しかも「原子力緊急事態」までが併発した大災害の発生時の救援活動や、その後、必然的に長期化する支援活動において、おそろしいほど被災者や被ばく者への〈支援〉を阻害し、人々の「二次被災」「三次被災」を招いている側面がある、ということである」。

 昨秋以降、福島に診療所を作ろうという動きがあることは、脱原発情報に詳しい人なら知っているだろう。
 福島における「地域医療の制度化された壁」が、福島の人々、とりわけ子どもや女性たちへの診療活動を「阻害」してきた現実を含めて、私たちは耳にしてきた。
 しかし、私たちが「耳にしてきたこと」は、私にとっては「にわかには信じがたいこと」でもあった。
 「そんなことは現実にはありえない/あってはならないこと」と、どこかで思い込んでいたところがあったのだ。自分の目や耳で直接確認するまでは、不用意に公言することはできないと考えてきた。
 結論的に言えば、今でも「にわかには信じがたい」ことが、福島では「現に起こってきたこと」だと認めざるをえななくなった。今ではそう考えるようになった。

 しかし、そう考えるようになって頭の中がかなり混乱していることも事実である。それはこういうことである。
 昨日、原子力安全委は、大飯原発3、4号機の「ストレステストなるもの」の結果を「問題なし」と追認する見込みだという報道が流れた。再稼働に向け、あとは野田政権の「地元合意」?を前提にした「政治判断」?を残すのみ、という状況がある。
 こうした現状において、停止中原発の再稼働問題を改めて考えるにあたり、原発災害時におけるこの「地域医療の制度化された壁」を考慮に入れることがとても重要ではないかと私は思う。それ自体が虚構の「原発の工学的耐性」のみによっては保障も保証もされえない、「市民の安全・安心」の制度的保障と保証を含む「原発の社会的耐性」を考える論点の一つとして。

 けれども、もしも福島において「にわかには信じがたい」ことが、「現に起こってきたこと」なのだとしたら、ただの市民、住民たる私たちにどのような「希望」があるだろう? 私は今でも、混乱している。
 以下では、私の「混乱」を述べる前に、まず論点整理をしておきたいと思う。読者自身も自分が生活している自治体や現場に引きつけて考えて頂きたい。


 福島診療所建設委員会はこのように言う。
・・
今、福島で切実に求められているのは、心と健康の拠り所となる診療所建設です。
 福島の子どもたちは放射能汚染による被ばくに日々さらされ、心身ともに息苦しい状況を半年以上も強いられています。お母さんたちの心配も、除染で取り除かれるわけではありませんし、子どもたちをモルモットのように扱う医療機関などとても信頼することはできません。
 今このときに、「ひょっとしたら放射能の影響では?」と不安になったとき、すぐに相談できる診療所が身近にあればどれほど心強いことでしょう。
 チェルノブイリの子どもたちには、甲状腺肥大とホルモン異常、貧血、頭痛、心肺機能の低下、免疫低下、加齢化の加速的進行、そしてガンの発症など、放射能被ばくによる様々な疾病が報告されています。

これまでの近代医学の概念を越えた幅広い総合的な取り組みが必要となります。
 予防医学の原則に立ち、人間本来の自然治癒力を促す代替医療をも視野に入れた総合医療と、防護を念頭においた食卓、暮らしの見直しなど、いわば「生活革命」をも提案できる開かれた場が不可欠でしょう。
 診療所建設は決して簡単なことではありませんが、全国のみなさんの力をひとつにできれば絶対に実現できます。
・・

 「今このときに、「ひょっとしたら放射能の影響では?」と不安になったとき、すぐに相談できる診療所が身近にあればどれほど心強いことでしょう」・・・。
 しかし、「すぐに相談できる診療所」の建設は、何も市民が行うべき性格のことではない。福島県は県として、その医療行政において、こうした診療所の建設を県民に対して保障する行政責任があるからだ。
 県の医療行政を「医学」の側面から担うのが、福島県立医大である。まさにそのために福島県立医大には、「地域・家庭医療学」という名の「講座」が設置されている。福島県民は、その事実を知っているだろうか。
・・
福島県立医大・地域・家庭医療学講座
 2011年3月11日より、大きな使命が福島県立医科大学には課せられました。このような状況だからこそ、家庭医療の力が必要とされており、強い志を持ったメンバーが、福島の復興に少しでも役に立てるように真摯に医療に取り組んでいます。福島で家庭医療が大きく羽ばたくことを願いながら・・・。

 ・・・「家庭医療」とは、どのような問題にもすぐに対応し、家族と地域の広がりの中で、疾患の背景にある問題を重視しながら、病気を持つひとを人間として理解し、からだとこころをバランスよくケアし、利用者との継続したパートナーシップを築き、そのケアに関わる多くの人と協力して、地域の健康ネットワークを創り、十分な説明と情報の提供を行うことに責任を持つ、家庭医によって提供される、医療サービスです。
 よくトレーニングされた「家庭医」は、健康問題や病気の約8割を占める「日常よく遭遇する状態」を適切にケアすることができ、各科専門医やケアに関わる人々と連携し、患者の気持ち、家族の事情、地域の特性を考慮した、エビデンスに基づく「患者中心の医療」を実践できる専門医です。
・・

 「どのような問題にもすぐに対応し、家族と地域の広がりの中で、疾患の背景にある問題を重視しながら・・・」。「患者の気持ち、家族の事情、地域の特性を考慮した、エビデンスに基づく「患者中心の医療」を実践・・・」。
 スタッフが20人以上もいる、しかも「各科専門医やケアに関わる人々と連携」しているはずのこのような「講座」が存在するというのに、福島の人びとはなぜ「子どもたちをモルモットのように扱う医療機関などとても信頼することはできません」と言わねばならないのか?
 その理由は、以下のようなことであるらしい。「にわかには信じられないこと」ではあるのだが。
・・
福島県の横暴、福島県立医大の悲劇(小松秀樹)
3.被ばく者健康管理
福島県・福島県立医大は浜通りの被災者から信頼されていません。この状況で無理に健康管理を県民に押し付けても、さらなる離反を招くだけではないでしょうか。理由を思いつくままに箇条書きにします。 
1)福島県立医大は、原発事故後、浜通りの医療機関から一斉に医師を引き上げた
2)福島県立医大は、被災地で本格的な救援活動をしなかった
3)福島県は、南相馬市の緊急時避難準備区域に住民が戻った後も、法的権限なしに、入院病床を再開するのを拒否し続けた
4)福島県立医大副学長に就任した山下俊一氏は、原発事故後早い段階で、過度に、安全・安心をふりまいた。子供の被曝を助長した可能性があると親たちから恨まれた。被災地の住民の中でリコール運動が起きている。

5)福島県・福島県立医大は、放射線被ばくについての被災者の不安が強かったにも関わらず、健康診断や健康相談を実施しようとしなかった。しびれを切らした市町村が、県外の医師たちに依頼して健診を始めたところ、県はやめるよう圧力をかけた。急がないといけない場所についても、県は除染を開始しようとしなかった。このため、市町村が外部の専門家と一緒に除染を開始した。
6)福島県は、健診に一切寄与しなかったにもかかわらず、地元の市町村が独自に行った健診結果を県に報告せよ、ついては、個人情報を出すことについての了 解を地元で取れと指示した
 県や福島県立医大の職員は、健診場所に来ていない。常識外れの傲慢な行動と言わざるを得ない。

7)地元の病院には、甲状腺の専門家や甲状腺の超音波検査に習熟した技師がいない。そこで、地元の病院の院長が、他県の専門機関の協力を得て、小児の甲状腺がんの健診体制を整えようとした。講演会や人事交流が進められようとしていた矢先、専門機関に対し山下俊一氏と相談するよう圧力がかかり、共同作業が不可能になった。関係者はこれまでの経緯から、福島県が横やりを入れたと推測した。
8)福島県立医大は、学長名で、被災者を対象とした調査・研究を個別に実施してはならないという文書を各所属長宛てに出した。行政主導で行うからそれに従えとの指示である。
9)福島県・福島県立医大は、住民の生活上の問題や不安に向き合おうとしてこなかった。福島県の健康調査について、住民は、実験動物として扱われていると感じ始めている。
・・

 一つ一つに関し、その真偽のほどは私にはわからない。また、単に県と県立医大のみの問題とも思えない。
 しかし、去年の12月そして今回と、私は福島で「仮にすべてそうであったとしても不思議ではない」と思わせるに十分な「証言」の数々を得た。 その中には福島で、とある診療所を開いている人から直接聞いた「証言」もある。
 これをどのように考えるべきか? たとえば、福井県で、あるいは北海道、青森、宮城、茨城、新潟、石川、静岡、島根、山口、愛媛、佐賀、鹿児島で福島と同規模の原発「事故」が起きた時に、いったい私たちはどうなるのか?
 各自治体の「地域医療」、国立大学や公立・私立大学の「医学部」は、ほんとうに私たちを守り、治療し、ケアするかどうか・・・。 福島県と県立医大、また各自治体の医師会が福島県民に対して行ったことは、私たち自身に対しても行われたであろうことだと理解すべきではないのか?
 「テーブルトーク」の場で、参加者を前に、実情を訴えかけるように説明しながら突然泣き出した、ある母親の話に耳を傾けながら、私はそんなことを考えていた。 他人事ではないのだと。

⇒「「原子力緊急事態」: 国と自治体の責任を問う、ふたたび」につづく

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「福島県民の被ばく、回避を」  現地に測定所開設 北杜の岩田さん 身体、食品の線量も検査 (山梨日日)
福島避難母子の会in関東事務所
東京都品川区戸越5-14-17ドゥエル藤博202(※階段を上って2階)
(東急大井町線戸越公園駅徒歩5分/東急池上線荏原中延駅徒歩5分/都営浅草線戸越駅徒歩7分)
お問い合わせはhinanboshi@yahoo.co.jpまで

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福島の教訓生かせず 斜面の全13原発、安全確認できず(産経)

大飯原発、活断層連動でも安全維持 関電、保安院は追加データ要請
 経済産業省原子力安全・保安院は12日、若狭湾周辺などの活断層の連動性について専門家による意見聴取会を開いて審議した。福井県の大飯原発周辺の活断層をめぐり関西電力は連動を考慮する必要はないとあらためて説明する一方、仮に連動した場合でも、ストレステスト1次評価で安全性が保たれるとした基準地震動の1・8倍は下回るとした。保安院は根拠となるデータの追加提出を求め、28日開かれる意見聴取会で見解を出す方針。
 大飯原発周辺には、熊川断層と二つの海底断層がある。前回会合では委員が連動を否定するにはデータ不足と指摘し、再度説明を求めていた。 今回、関電は新たなデータを示し、連動は考えにくいと再説明。ただ、委員は断層同士の間に変動地形があると指摘し、連動を考慮しておくべきだとの意見が相次いだ。 関電は、念のため連動した場合の検討結果も説明。地震動を算定し基準地震動と比較しても1・8倍を下回り「連動地震が発生しても問題がないことを確認した」とした。
 委員からは「暫定的な結論としてはありえる」との意見も出たが、保安院は評価があいまいな点があるなどして追加データの提出を要請。地震動の専門家から意見を聞くなどして28日に最終判断する方針を示した。(福井新聞)

大飯3、4号再稼働なら積極対応を 嶺南議員、県会特別委で意見
 福井県議会は12日、原発・防災対策特別委員会を開いた。全国の原発でストレステスト(安全評価)の手続きが最も進んでいる関西電力大飯原発3、4号機をめぐり、嶺南選出の議員から「再稼働するのなら夏場に間に合うようにしてほしい」(吉田伊三郎委員=自民党県政会)などと県の積極的な対応を求める声が上がった。一方で、中川平一委員長が「百パーセントの安全はない。慎重の上にも慎重に対応を」と指摘するなど、安全性を厳格に見極めるべきだとの意見も出た。
 敦賀市の石川与三吉委員(自民党県政会)は、原発の長期停止による地域経済の悪化などを挙げ「(再稼働に向けた)福井県の思いを伝え、国にイエスかノーかを迫るべきだ」と主張。若狭町の吉田委員は、東京電力福島第1原発事故の知見を反映した暫定的な安全基準が国から提示されれば県は迅速に審議を進めるよう促した。 安全基準が示された場合の対応について石塚博英安全環境部長は「(基準の)中身次第。原子力安全専門委員会や議会の意見を聴くが、期間は決めていない」と述べた。
 嶺北の議員からは「国の安全規制の体制に問題があった。4月に発足する予定の原子力規制庁で担っていけるか、県としても見極めていかないといけない」(石橋壮一郎委員=公明党)などと慎重な意見も出た。 中川委員長は、暫定的な安全基準で再稼働を判断する県の姿勢を支持した上で「どんな対策を取っても(過酷事故の)可能性はゼロではない。福島で起こった事故は(他の原発でも)起こる可能性が必ずあるということを前提に今後の原子力行政を進めてほしい」と強調。再稼働を慎重に判断するよう県に求めた。(福井新聞)
 ↓
 福島で「現に起こったこと」は原発の「安全規制」や「原子力規制庁で担っていけるか」云々のレベルの問題ではない。いわば厚生労働省の管轄事項、「所掌事務」に関する事柄である。
 より正確に言えば、原発災害時における被災・被爆者医療という観点に照らし、国に自治体側の「医療行政の不在」に対して「行政指導」を行う法的根拠および制度そのものが存在しない中で、市民の側からいかにすれば国と自治体による被災・被爆者切り捨て・遺棄の共犯関係を告発→提訴することができるか、と同時にいかにすればそうした現実を克服することができるか(そんなことが果たして可能か?)という〈問題〉として提起されているわけである。
 われわれは、ただひたすら逃げるしかない?

2012年3月10日土曜日

「3・11」一周年を前に

「3・11」一周年を前に

 今日、「数値に翻弄される社会」が「フクシマ」と呼ぶ福島に向かう。
 「これからどうするか」。〈現場〉を見て、友人や知人、人びとの話をききながら、じっくり考えようと思う。
 被害者を加害者にしない。
 犯罪者扱いしない。
 福島を忘れない。
 これが「3・11」一周年にのぞむ、私自身の「立ち位置」である。

・・・
福島6基、10年停止前提に計画 東電、廃炉の公算大
 東電が福島第1原発5、6号機と福島第2原発1~4号機の計6基について、21年度まで10年間の運転停止(!)を前提に電力供給計画を策定することが9日分かった。政府に3月末提出する。福島県が6基についても福島第1の1~4号機と同様に廃炉を求めており、再稼働を見込んで計画をつくる(!)のは困難と判断した。
 月内に取りまとめる総合特別事業計画にも反映させる。6基が10年停止した場合、第1原発5、6号機は営業運転開始から40年を超え、第2原発1~4号機も34~39年に達する。政府は運転期間が40年を超える原発は原則廃炉にする方針を示しており、6基が廃炉に向かう公算が大きい。
⇒「廃炉は脱原発に非ず

プルトニウム241を検出 「豆類蓄積の恐れ」と警告
 放射線医学総合研究所(千葉市)は、東京電力福島第1原発から北西や南に20~32キロ離れた福島県内の3地点で、事故で放出されたとみられるプルトニウム241を初めて検出したと、8日付の英科学誌「サイエンティフィック・リポーツ」の電子版に発表した。 人体に影響のないレベルだが、プルトニウム241は他の同位体に比べて半減期が14年と比較的短く、崩壊してできるアメリシウム241は土壌を経由して主に豆類に取り込まれやすい。放医研は「内部被ばくを避けるためにも 原発20キロ圏内での分布状況を確かめる必要がある」としている。
 昨年4~5月に採取した福島県飯舘村、浪江町の森林の落ち葉と、スポーツ施設で現在事故対応拠点となったJヴィレッジ(広野町など)の土から検出。他の同位体プルトニウム239(半減期2万4千年)、240(同6600年)も検出 、同位体の比率から今回の事故が原因と分かった。 濃度は、過去に行われた大気圏内核実験の影響により国内で検出されるプルトニウム241よりも高い。ただ半減期が短く、1960年代当時に核実験で飛来した濃度よりは低いレベルという。 プルトニウムは天然にはほとんど存在しない放射性物質で、原子炉では燃料のウランが中性子を吸収してできる。 (共同通信)

女性も福島第1原発で勤務へ 屋内のみ、線量低下で東電
 東京電力は9日、福島第1原発の放射線量が事故当時に比べて低下したことから、屋内で女性従業員の勤務を開始すると経済産業省原子力安全・保安院に報告した。保安院は同日、了承した。
 東電によると、昨年3月の事故直後、免震重要棟1階の線量は毎時47マイクロシーベルトだったが、同11月には7・2マイクロシーベルトに低下。女性の線量限度は3カ月で5ミリシーベルト(5千マイクロシーベルト)と男性に比べて低く定められているが、1日8時間、1カ月で20日働いた場合、3カ月で5ミリシーベルトの上限を守れるとしている。東電は、3カ月で4ミリシーベルトを目安に管理する。【共同通信】

構造や線量考慮、各校判断でプール授業再開
 福島市教委は、新年度の市立小中学校、特別支援学校の屋外プールの授業を再開する方針を固めた。同市の3月議会で8日、市教委が明らかにした。
 プールの構造や空間放射線量などが各学校で異なるため、一律の再開とはせず、最終的には各学校の判断となる見通し。 また、子どもたちへの放射線の影響を考慮して、水着でプールサイドにとどまる時間をできるだけ短くし、体操や休憩を屋内で行うことを検討。定期的な水のモニタリング検査も行う。飲料水の新基準値1キロ当たり10ベクレルが一つの判断指標となるとみられる。(福島民友)

甲状腺被曝、最高87ミリシーベルト 50ミリ超も5人
 東京電力福島第一原発事故で、放射性ヨウ素によって甲状腺に90ミリシーベルト近い被曝(ひばく)をしていた人がいることが分かった。弘前大学被ばく医療総合研究所の床次眞司(とこなみ・しんじ)教授らが、事故の約1カ月後に行った住民65人の測定結果を分析した。被曝した人の約半数が10ミリシーベルト以下だったが、5人が50ミリシーベルトを超えていた。  甲状腺被曝はがんのリスクがあるが、ヨウ素は半減期が短く、事故直後の混乱などで、きちんとした計測はされておらず、詳しい実態は分かっていなかった。
 床次さんらは昨年4月11~16日、原発のある福島県浜通り地区から福島市に避難してきた48人と、原発から30キロ圏周辺の浪江町津島地区に残っていた住民17人を対象に、甲状腺内の放射性ヨウ素の濃度を調べた。この結果、8割近い50人からヨウ素が検出された。
 この実測値から、甲状腺の内部被曝線量を計算した。事故直後の3月12日にヨウ素を吸い込み、被曝したという条件で計算すると、34人は20ミリシーベルト以下で、5人が、健康影響の予防策をとる国際的な目安の50ミリシーベルトを超えていた。  最高は87ミリシーベルトで、事故後、浪江町に残っていた成人だった。2番目に高かったのは77ミリシーベルトの成人で、福島市への避難前に同町津島地区に2週間以上滞在していた。子どもの最高は47ミリシーベルト。詳しい行動は不明だ。  国が昨年3月下旬、いわき市、川俣町、飯舘村の子ども1080人に行った測定では、35ミリシーベルトが最高値と公表されていた。 (朝日)

双葉町、東電に総額192億円賠償請求 「役場など使えず」(河北新報)
賠償完全実施を要望 福島、いわき、二本松市(福島民報)
フクシマ後も途上国で加速する原発建設(WSJ)

2012年3月9日金曜日

廃墟となったJAXA(宇宙航空研究開発機構)?――あるいは、「戦後官制」による「大学革命」がもたらしたもの

廃墟となったJAXA(宇宙航空研究開発機構)?――あるいは、「戦後官制」による「大学革命」がもたらしたもの


 『大学を解体せよ――人間の未来を奪われないために』を出版した後、何人かの大学関係者から、「大学なんて、もうとっくに解体されているよ。何を今さら・・・」といったような「批評」をいただいたことがある。そこには、「こちらは現場でたたかっているのに、背中から銃を向けるようなことをするな」といった苛立ちが込められていたかもしれない。「意地の悪いヤツだ」と。
 ある関係者とは、「論争」みたいなことにもなった。だが、どうしても、
①小泉政権時代の〈官製版〉大学解体に対して、さらに「大学を解体せよ」と私が言う根拠とその必要性、
②小泉「革命」路線の下での〈官製版〉大学解体が、「戦後官制」にとっての「大学革命」でもあったこと、
 この核心的な2点についての理解は得られなかったように思う。
 それはたぶん、私の責任である。「慙愧に堪えない、忸怩たる思い」がある。

「戦後官制」にとっての「大学革命」
 小泉「革命」路線の下での「大学革命」と言っても、小泉元首相が考案したのではない。この国には、いまだに「小泉ファン」が多くいるが、誤解は禁物だ。 「行政改革」という意味では、小泉「改革」は完敗した。その後の安倍・福田・麻生内閣も後退戦を強いられ敗北した。
 政権交代以降の民主党、野田政権に至っては「目もあてられない」状況だ。ほとんど、「レイプ(凌辱)」である。(→理由は、後で述べる。)
 ともあれ。「大学革命」の政策・企画立案は、すべて「橋本行革プラン」を「粉砕」し、「骨抜き」にした「戦後官制」によるものである。


 国立大学の(独立行政)法人化とは、その「戦後官制」の文字通りの延長組織としてあった既存の独立行政法人系の研究機関の再編・統合と一体のものとして推進された。
 重要なのは、「大学革命」の「主格」が、大学ではなく独法系研究機関であること、このことをしっかり理解することである。
 文部科学省・経済産業省・外務省官僚の「鉄のトライアングル」を中核とする「戦後官制」(財務省はその「大蔵」省)は、
①日本の大学院(博士課程)における「研究」と「教育」の統合、そしてその「実質化」を通じ、
②再編・統合した独法系研究機関への「循環型」人材供給機関として、
③旧帝大系を軸とした日本の大学院(博士課程)を「モジュール化」することに成功したのである。
 何のために? グローバル軍産学複合体に日本のそれをplug in(接続)するために。
 そのための「システム・デザイン」、それが小泉「大学革命」だったのである。

 今日、議員会館でJAXA For Peaceが呼びかけた「宇宙の軍事利用」とそのための「研究・開発」に反対する集会が開催された。それは、「宇宙研究のモラル」を問う人々による、この「大学革命」がもたらした必然的帰結に対するプロテスト、とも言うべき行動である。
 私も支持する。が、あまりに「遅きに失した」観が否めない。「軍事利用」に対して「平和利用」を対置するだけでは、もう止めようがないところにまでJAXA(宇宙航空研究開発機構)は来てしまった
 「宇宙研究のモラル」にとって、JAXAはすでに、廃墟と化している。異論のある人はいると思うが、私にはそう見える。だから廃墟に「 」はいらない。


 私は、「「宇宙基本法案」に反対するアピール」には、その周縁でコミットし、署名もした。小さな研究会(公開講座)も開き、自分なりに学習もした。しかし、今回は署名をまだしていない。自分の中で、どこか躊躇させるものがあるからだ。それはおそらく、自分の「立ち位置」に関係することなのだと思う。

 JAXA For Peaceの署名は、次の5点の内容を骨子としている。
1. 憲法の平和原則に抵触する
・宇宙開発戦略専門調査会の報告「宇宙空間の開発・利用の戦略的な推進体制について」(2012年1月13日)が、「JAXA法の平和目的規定を宇宙基本法と整合的なものとするべきである」としていることに関し、「本来、宇宙基本法のほうが上位法である日本国憲法と整合的なものでなければならない」こと。
 つまり、「JAXA法が宇宙基本法と整合的ではないという理由で平和目的規定を削除するのは、憲法の平和原則に矛盾する本末転倒」であること。

 これは、「日本には戦後憲法と並び、日米安保条約という名の「国のかたち」を決定する「憲法」が二つある」という立場ではなく、「日本の憲法はたった一つ、日本国憲法のみ」という立場に立つのであれば、原則的に「正しい」議論である。

2.宇宙の軍事利用のさらなる拡大につながる
①2008年5月に成立した宇宙基本法が、「第2条で宇宙開発利用を「日本国憲法の平和主義の理念にのっとり、行われるものとする」と規定する一方、第14条で「我が国の安全保障に資する宇宙開発利用を推進するため、必要な施策を講じるものとする」と規定して、宇宙の軍事利用への道を開いてしまい、その結果、
②「日本は宇宙の軍事利用の道へと踏み出し」、「2009年に制定された宇宙基本計画では,自衛隊による偵察衛星の利用が国家戦略として位置づけられ」、さらに「経団連などの財界は、宇宙を軍事・商業目的のために積極的に活用する要求を強めて」いることなどから言って、
③今回のJAXA法の改定が、「宇宙基本法で危惧された宇宙の軍事利用の拡大のさらなる具体化」であること。

 補足は必要だが、これも正しい。

3. 科学の公開性・民主性の原則が侵される
①「JAXAで軍事研究が行われるようになると、「安全保障」を理由に研究成果の公開や、研究の交流や、自由な議論が妨げられる恐れが生じ」ること。
 「日本の情報収集衛星は、大規模災害・・・の被災地上空からの写真撮影を行ってい」るが、「撮影画像は「必要に応じ、関係省庁にその結果を配布・伝達した」とされているものの、「秘密について保全措置を講じる者以外には非公開」を理由に公開されてい」ない。

② さらに、第180回通常国会に、いわゆる「秘密保全法」も提出されること。
 「公務員のみならず、大学などの研究施設や民間企業で働く従業員にも懲役10年の刑罰を科する秘密保全法の目的は、軍事機密を守ること」にある。そうなれば、「軍事に関わる研究はますます公開が妨げられ、国民が必要とする情報はますます入らなくな」る。

③野田政権は、「宇宙開発戦略専門調査会の報告に基づき、文部科学省宇宙開発委員会を廃止し、JAXAの所管を文部科学省と内閣府の共管に改正し、関係省庁(防衛省・経産省なども含む)が一体となって宇宙開発を進めるよう体制を整備する」としている。

・「情報保全隊を使って国民を監視してきた防衛省や、「やらせシンポジウム」を行い原発の安全神話を振りまいてきた経産省などが何を秘密にしてきたかを考えれば、JAXA法改定と秘密保全法制定によって何が起こるかを想像することは難く」ない。そうなれば、
・「宇宙開発の分野に国民の目が届きにくくなり,重大な税金の無駄遣いや政官学の癒着の温床となります。これでは、宇宙開発の利益共同体(第2の「原子力ムラ」)が形成されることも大いに懸念」される。

4.研究の自由の侵害につながる
①「JAXAで働く科学者・技術者が業務命令で軍事研究に従事させられる恐れ」があること。
・「これまで軍事とは無縁であったからこそ、「はやぶさ」の快挙に見られるような、自由な発想で挑戦し世界的に優れた成果をあげてきた科学者・技術者を軍事に動員することは、研究の自由や思想・良心の自由を侵害することとなり、日本の宇宙開発研究にとってむしろ障害となるに違い」ない。

5. 一部の人たちの議論だけですすめられており,当事者であるJAXAの研究者・技術者,および国民の声が反映されていない
①JAXA法改定のブレーン、「宇宙開発戦略専門調査会は大学の学長・教授,民間企業経営者など14人で構成」されているが、「JAXAの関係者は上杉邦憲氏(JAXA名誉教授)と向井千秋氏(宇宙飛行士・JAXA特任参与)のみ」。
 すなわち、「JAXAの科学者・技術者を排除し、宇宙開発利用に利害関係を有する人たちだけ」。
②「報告が提出された直後に、当事者であるJAXAの研究者・技術者や国民の議論を経ずにJAXA法に重大な改定を加えることは、極めて拙速」。

 すべて原則的に正しい。正論だと思う。署名する意思はあるし、それ自体は簡単なことだ。
 しかし。まず「JAXAの研究者・技術者」の「意思」がわからない。JAXA自身が、機構としてのこの問題に関する声明なり見解なりを表明する(表明するよう要求する)のが先決なのではないだろうか。もう少し、考えてみたい。


 上にある、野田政権が、「文部科学省宇宙開発委員会」を廃止し、JAXAの「所管」を文部科学省と内閣府の「共管」に改正し、関係省庁(防衛省・経産省なども含む)が一体となって宇宙開発を進めるよう体制を整備」したという表現に注目したい。一見、回り道と思えるかもしれない、しかし事の本質を捉えるためには近道になるであろうこの問題から考えてみよう。ここでのキーワードは「共管」。そしてその主格は内閣府である。

 小泉「革命」以降、内閣府は「焼け太り」症候群の病に冒されてきた。もう、手も足も「パンパン」である。 なぜ、こうなってしまったのか?
 「中央省庁の改革」路線の敗北の結果、新たに設置された内閣府が、小泉政権以降のこの10年余りの間に、「自己革新」を通じた「自己増殖」をくり返してきたからである。 それはまるで、大日本帝国を支え、統治した戦前の官制の幹細胞が、「再生医療」によって霞が関に移植され、戦前の官制が蘇生したかのような勢いである。

 だから、いま、私たちが見ている霞が関は、たとえば『官僚たちの夏』が描くような、「古き良き時代」のかすかな名残があった、「あの頃」の霞が関ではない。「ニュータイプの、アンドロイドのような霞が関」である。

 要するに、「人間性」(humanity)とか「人文」(humanity)とかが通用しない/通じない、グローバル軍産学複合体に操作される「マシーン」(機構/装置)のような霞が関である。 これは、とても危険だ。ルネッサンス以降の「近代的理性」や「人間のモラル」を鼻で嗤うような「マシーン」なのだから。
 それは個々の官僚の人間性や人格とは無関係の、「システムとしての霞が関」の問題である。 いまだ初期の兆候であれ、まるで『時計じかけのオレンジ』や『博士の異常な愛情-- または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』に憑依されてしまったかのような世界。「平和利用」とか、そういうレベルの問題ではないのではないか? 霞が関の隠喩として、そう語っているのではない。ただ現実を描写しているだけである。


 「宇宙戦略室」
 いま、内閣府の総「職員」が、どれくらいいるか、ご存知だろうか? 「官邸」の「職員」数を含めると、3000人を超えている。
 内閣府は、いまや文部科学省(2400人前後?)を超える、それ自体が日本の官僚機構から自律化し、「官僚機構内の官僚機構」として、「省庁縦割り」行政の政策の「統合・調整」マシーン=各省庁の「司令塔」としての機能と役割を担っているのである。 

 自公政権時代に、この内閣府に新たな官僚機構を設置することが既定の方針として確定する。その一つが、この4月に環境省の「外局」として設置される「原子力規制庁」とともに内閣府に設置される予定の「宇宙戦略室」である。

 「宇宙戦略室」は、「宇宙開発・利用に関する国家政策を一元的に所管し、宇宙政策の企画・立案、安全保障政策、各省庁にまたがる政策の調整権限」を持つものとされ、今通常国会への設置法提出がなされている。さ決まっている。これと同時に、「有識者」による「宇宙政策委員会」も内閣府に設置されることになっている。

 一方で、「公務員制度改革」⇒「天下り根絶」を、内閣府の「焼け太り」によって回避しながら、その内閣府を「各省庁にまたがる政策の調整権限」を持つ「司令塔」とし、霞が関そのもの再編を行う・・・。
 こうしてできあがったのが、「ニュータイプの、アンドロイドのような霞が関」「グローバル軍産学複合体に操作される「マシーン」(機構/装置)のような霞が関」である。
 東大全共闘にコキ下ろされ、精神に失調をきたした丸山真男の後を継ぎ、東大法学部長になった辻清明がいみじくも60年前に語ったように、霞が関は「まことに、強靭な粘着力の所有者」だと言うほかはない。

 〈問題〉は、JAXAの研究者・技術者である。どのような未来を、世界と日本にもたらそうとするのか、一研究者・技術者として熟慮し、「JAXA法改正」問題に対する自分の「立ち位置」を考えてほしい。
 「機構」がどうであろうと、最終的にはそれぞれの研究者・技術者の「主体性と責任」がモノを言うはずだ。 少なくとも、いまはまだ、そこに希望(if any)を託したい。それが先決だと思う。

【参考サイト】
●「宇宙開発特別委員会 中間報告」(主題:新たな宇宙開発利用制度の構築に向けて -副題:平和国家日本としての宇宙政策/2006年4月 自由民主党政務調査会 宇宙開発特別委員会)

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<NATO事務総長>災害即応力の強化目指す 
 北大西洋条約機構(NATO)のラスムセン事務総長は東日本大震災から1年を前に毎日新聞との単独インタビューに応じた。世界各地の脅威に速やかに対応する「NATO即応部隊」の訓練強化を通じて、災害への対応能力を高める意向を明らかにした。即応部隊の訓練強化はNATOが取り組む機構改革の一環。 インタビューはブリュッセルで5日に行われた。

 事務総長は東日本大震災の被災者に「深く共感」し、日本人の「不屈の精神を称賛している」と述べ、「日本人の力なら災害から立ち直れるはずだ」とエールを送った。 NATOの災害対応では05年のパキスタン地震や米ハリケーン・カトリーナで即応部隊が救援物資の輸送などにあたったケースを成功例に挙げた。物資輸送や食糧確保などの後方支援機能が役立つことから、「24時間対応できる仕組みと能力を災害対応で使うのは当然だ」と述べた。 また、災害対応を通じて「救援を待つ人のために軍備が平和目的に使えるということが多くの人に理解される。信頼の醸成になる」と指摘、NATOに対する各国民の理解促進という副次効果がある点も強調した。

 金融・債務危機の影響でNATO加盟国の財政事情は厳しく、NATOは無人偵察機の共同購入など装備を共有化する「スマート防衛」構想に取り組んでいる。軍備などハード面の共有化を進めるには兵士の交流や教育・技術の共通化などソフト面の対応も欠かせない。 事務総長は機構改革には「兵力の(ソフト面での)融合を進めることが必要だ」と述べ、災害対応に実績のあるNATO即応部隊において「各国が訓練を強化することで、どう協力していくかを学ぶことができる」と指摘した。
 一方、事務総長はアフガニスタンからNATO部隊が撤退する14年末以降も、アフガン国軍を支えるため「日本の貢献が続くことを期待している」と述べた。7月に東京で開かれるアフガン支援閣僚級会合には「NATO代表が出席することになるだろう」との見通しを示した。 また、国防費を拡大している中国との「定期的交流が必要」と指摘。「中国と対話の枠組みを持つことは利益であり、強く希望する」と述べ、対話の枠組み作りに意欲を示した。 【毎日、ブリュッセル斎藤義彦】

「批評する工房のパレット」内の関連ページ
⇒「惨事と軍隊(Disaster Militarism)

・・・
東電の電力料金値上げ、都が受け入れへ(読売)

2012年3月7日水曜日

橋下流「憲法9条の国民投票」論?--あるいは、「日本国憲法の大日本帝国憲法的運用」について

橋下流「憲法9条の国民投票」論?--あるいは、「日本国憲法の大日本帝国憲法的運用」について


 この間、大阪から聞こえてくるさまざまな喧騒は、「地方公共団体」における「政治と行政」の、市民に対する(「生活保護」を受けている人々を含む)①「透明性」(transparency)、②「情報公開」、③「説明責任」(accountability)の問題として整理し、「市民に開かれた政治と行政」のための制度改革をすれば、だいたいはカタが付く問題である。
 つまり、大阪の「仁義なき戦い」の直接的要因には、
①大阪市と議会の情報公開制度の未確立が、
②「大阪のメディア」も含めた「市民の監視」に揉まれない議会と行政を温存させ、それが、
③議会と行政の市民に対する「説明責任」のなさ/低さとなって現れ、
④「泥の河」というか道頓堀川のような透明性がきわめて低い、大阪の政治と行政の「腐敗と汚職」を生み出してきた、という問題群がある。
 そしてこの①から④が、とても長い間、自治体の税収実態に応じた行政機構と行政サービス、議会の規模とその役割とは何か、という公的な議論の開始を市民/納税者から遠ざけてきた。(注1)

 その意味では、国と地方、どこの自治体にも見られる問題の「大阪的現象」に過ぎないもの、と言うこともできる。だから、「東京のメディア」や「大阪の人間」以外の者が、唾を飛ばして必要以上にスキャンダラスに取り上げ、「報道」したり論じたりするような性格のことではない。みんな、まず「自分の足元」をみつめ、その改革や変革のためにエネルギーを割き、論陣を張り、行動すべきなのだ。(注2)


 けれども、私が〈問題〉にしてきたのは、上の①から④の制度設計とそれに基づく制度的改善のみによっては解決しない、〈そもそも「公の下僕」たるべき官僚が、国と地方の政策を立案し、その立法化と運用・執行までの実質的な権限を握り、「公に君臨する官吏」になっている現実である。 「戦後官制」の「官僚主導」の政治と行政の在り方、つまりは国と地方の官僚制の〈権力〉論に関する問題である。それは「公務員制度改革」や「天下り廃絶」問題一般とは本質的に違う問題である。

 そこで今日は、「維新の会」の国政進出をにらみながら、橋下市長が「憲法9条の国民投票」を語りだしたので、「戦後官制」と憲法問題(護憲/改憲論争)との関係を考える第一弾として、「日本国憲法の大日本帝国憲法的運用」(戦後憲法の明治憲法的運用)という表現を紹介したいと思う。

〈戦後憲法の明治憲法的運用〉
①戦後憲法と明治憲法を、「国のかたち」=統治機構の在り方から対照すると、「天皇主権」か「国民主権」かを除外すれば、両者の間にさしたる違いはない、英語に翻訳すればほとんど同じ、ということは昔からよく言われていることだ。「そんなことはない」と考えている人は、まずは両憲法の文言をしっかり読むことから始めてほしい。それ抜きに「護憲か/改憲か」を主張したり、論議したりすることほど無意味なことはない。

②ここで重要なのは、戦後憲法の「象徴天皇制」の下で、「戦後官制」の確立を通じ、「戦後憲法の明治憲法的運用」ができるのであれば、官制=「天皇の官吏(しもべ)」としての日本の官僚機構にとって、統治論上、改憲の必然性/必要性などない、ということだ。

③いま、橋下市長が「国民投票」を言いだした憲法9条に関して言えば、「日本には戦後憲法と日米安保条約という二つの「憲法」がある」という、かつては結構語られていた命題を、今一度、現役の大学(院)生や若い世代の人々は考えてみてほしい。
 つまり、日本の「国のかたち」=統治=「主権」の在り方を、憲法よりも政治的・法的に上位に位置するものとして(まるでそうであるかのように)外的に規定する日米安保条約が存在する、という問題である。

 外国=米国が国際条約としての安保条約を通じ、日本の「外交・安全保障」の在り方を、外部/上部から規制し、決定してしまっている現実。それをこの国の政権や官僚機構が、能動的・主体的に推進してきたという現実。「戦後官制」が1951年9月8日に、それを「OK」としてしまったのであるが、私たちは「ほんとうにそれでOKかどうか」を、もう一度考え直す必要に迫られているのではないか? それが『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』の論点の中心である。
 かつて、日本の一部大学の「憲法」や「法学」の授業では、このようなことが語られていた時代があった。しかし、歴代内法制局官僚による、憲法上の法的根拠なき外国軍の永久駐留と実質的「軍隊」たる「自衛隊」の創設の「合憲」解釈が、「日米同盟という欺瞞」の定着によって制度化されてしまえば、安保と自衛隊の「合憲性」を前提とした憲法解釈が権威化され、通説化するのは必然である。

 改めて指摘するまでもなく、この「権威化」と「通説化」に、国と地方の官僚養成機関としての東大を始めとした国立大学や一部公立・私立大の法学部(教員)が果たしてきた機能と役割は、きわめて大きい。もしも読者の中に国と地方の公務員試験をめざしている人々がいるとしたら、ぜひ「教科書」を読み直してみてほしい。「傾向と対策」を丸暗記するような頭では、「戦後官制」流の憲法解釈の罠から抜け出すことはできず、いつまで経ってもこの「現実」は変わらないからである。 そういうことを全部ひっくるめて、「戦後」と「ポスト戦後」の総括が必要なのではないか。それなくして、「ポスト3・11」のこの国の展望など切り拓けないのではないか。

 ところで、橋下氏の専門職は弁護士である。上に書いたようなことを彼が知った上で、「憲法9条の国民投票」を主張しているのであれば、とても頭の切れる「曲者(くせもの)」だと私は思う。が、その評価も、いまはまだ下せる段階ではない。「とても頭の切れる「曲者」か、それとも・・・。
 今年か、遅くとも来年にはその評価を下せるだろう。

【補足】
 霞が関中枢が改憲を承認することは、当面、まずありえない。それには二つの理由がある。
 一つは、自民党と民主党主流の改憲論をはじめ、改憲論は「天皇条項」と憲法9条の条文改定を中心としたものにならざるをえず、「天皇元首化」や「自衛隊の国際法上の軍隊化」は旧連合国+中国で構成される国連安保理常任理事国が現状、絶対に認めないからである。「サンフランシス-日米安保体制」が続く限り、私たちは「軍令部」を頂点とする戦前の官制の亡霊に、「呪われ」続けるのである。

 二点目は、改憲は、改憲後の「新憲法に基づき、改憲前の国内法体系との整合性をいかに担保するか」という現行法体系の改定や調整などの膨大な「事務作業」を伴うことになる。そのため、官僚は、少なくとも自分の代で(ということは半永久的に)、「そんな煩雑で消耗なことは御免蒙りたい」と考えるからである。
 こうしたきわめてリアルな問題を考えずに、「改憲か/護憲か」を「戦後官制」の確立以降、60年以上にわたり云々してきた/いるところに、戦後日本の新旧右翼/左翼/保守/リベラルが「戦後官制」の「手の平」に乗ってきた根拠と、「ただの市民意識」からの離反の根拠がある。それは、おそらく橋下市長が言いたかったのであろう、「戦後市民」の「平和ボケ」の話とは、まったく位相の異なる問題である。

 1970年の「安保の(永久)自動延長」以降、ほぼ10年サイクルで改憲/護憲論議が行われ、その軌跡と一体化するかたちで既存政党からの小党分離・政党内派閥の再編→「政界再編」⇒与野党の布陣再編が行われてきた。それが、「戦後政治」なるものの実態である。「大阪維新の会」が、今回のそれの「台風の目」となることは確実である。
 問題は、その過程において、結局は「官僚主導」に先祖返りした民主と、元祖「対米追随」たる自民(公明)に対し、「橋下イズム」が「いかに一線を劃せるか」にある。 すでに私には結論が見えているように思えるが、ここでもまだそれを断言できる状況にはない。個々の問題に引きつけ、引き続き、検討を加えて行きたい。


(注1) ①橋本流の地方公務員の「服務規律」強化は、冒頭の①から④とは「別問題」という人がいるかもしれない。しかし、本来、公務員の「規律」は「行政サービス」を受ける側=市民/納税者との関係を中心に考えるべきである。その観点から言えば、上の①から③を高めてゆくことが「行政サービスの質の向上」につながり、そのことが公務員の「業務規律」を高めることにもなる。

 私は、公務員は「公の奉仕(サービス)を提供する労働者」という基本性格を、法的にはっきりさせるべきだと考える者の一人である。そうすれば、首長や管理職、組合に対して「首」を向けるのではなく、あくまでも市民に対して「首」を向けるという規範と、「上に対する服務規律」ではない「市民に対する業務規律」を議論する「公共空間」が広がるはずである。 橋下市長は、「合理化」をやるだけで、冒頭に述べた①から④の「制度設計」をやろうとしない。そこに「上からの統制」しか考えない「橋下イズム」の問題の一つがある。

②より本質的には、スト権スト→労働三権の「奪還」を通じた、①「キャリア・エリートと死なばもろとも」の国家行政組織法・国・地方の公務員法および号級システム、②虚構の「公務員の政治的中立性」論、③擬制の「国民の奉仕者」論の解体、④「中央からの地方公務員の独立」を通じ、行政機構内部から「戦後官制」を突き崩すことが、今後、時を経るにつれ、より痛切で切迫した「アジェンダ」となるだろう。欧米の公務員労働者が、すでにその「道」に踏み出していることに目を向けるべきなのだ。

(注2) 阪神淡路大震災をめぐる「報道」以降、「大阪/神戸の人間」はそんな「自分の足元をみつめない東京のメディア」の「大阪/神戸・関西の取り上げ方」を問題視してきたところがある。
 たとえば、「東京のメディア」には、「橋下イズム」をいまの石原都政の「政治と行政」の在り方に引きつけて捉え返してみる、という発想がない。要するに、どこか「他人事」として報じる姿勢が抜けきれていないのである。

・・
橋下市長「平穏な生活には努力必要」憲法9条めぐり
・「平穏な生活を維持しようと思えば不断の努力が必要で、国民自身が相当な汗をかかないといけない。それを憲法9条はすっかり忘れさせる条文だ」(?)
・[被災地のがれき処理の受け入れが各地で進まない現状に対し]、「すべては憲法9条が原因だと思っている」(?)
・「9条がなかった時代には、皆が家族のため他人のために汗をかき、場合によっては命の危険があっても負担することをやっていた」(?)。
・「平和を崩すことには絶対反対で、9条を変えて戦争ができるようになんて思ってない(→really?)。9条の価値観が良いか悪いかを、国民の皆さんに判断してほしい」(産経)
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 詳細な説明を省略した上で言えば、私は「憲法9条の国民投票」に賛成である。橋下氏が、単なる思いつきに終わらず、その実現に向け、何をする/しないか、注目したい。

大阪市「4年で職員半減」 民営化など徹底、方針表明
 大阪市は7日、政令指定都市で最も多い約3万8千人の職員を新年度からの4年間で半減させる方針を明らかにした。市営地下鉄やバス、ごみ収集などの民営化や、水道事業を大阪府や他市町村と統合するほか、市事業への民間参入を進めるなどして人員削減を進めるという。
 橋下徹市長や市最高幹部が7日の市戦略会議で削減方針を確認した。半減が達成されれば、職員数が2万5千人規模の横浜、名古屋両市を下回る
 戦略会議で示された方針によると、現在、市の本庁舎や24区役所、市教委などの職員や教員約2万1600人(11年10月現在)については、年に900~450人ペースで削減し、15年10月時点で約1万9350人規模を目指す。一方、地下鉄、バス、市立病院、上下水道、ごみ収集、保育園・幼稚園の分野で勤務する職員約1万6400人については、民営化や独立法人化などの経営形態の変更で公務員から民間の事業体に移ることを想定している。 (朝日) (⇒大半は、市の「独立(行政)法人」や「民営化」した企業体に移行するのは目に見えている)

戦後官制版『蜘蛛の糸』
国家公務員新規採用、09年度比4割超減へ
 政府は6日、「行政改革実行本部」の会合で、13年度に新たに採用する国家公務員の数を、09年度に比べて4割以上減らす方針を確認した。 野田首相「まずは自ら(???)身を切ること、政治改革と行政改革を実行することが、国民の皆さまの納得と信頼を得る上で不可欠」
 岡田副総理は会合で、「今までの削減を大幅に上回る削減をお願いする」と全ての閣僚に協力を要請し、13年度に新たに採用する国家公務員の数を、自公政権時代の09年度に比べ、4割以上減らす方針を確認した。4割削減なら、5000人程度の新規採用となる。 一部の閣僚からは削減に慎重な意見が出たが、岡田副総理は「状況を見極めながら、大胆に、少し乱暴にやらせていただく」(⇒誰に「乱暴」なのか?)と述べたという。野田首相としては、行政改革に力を入れる姿勢を示すことで、消費税の増税に向けた理解を広げたい考え。(NNN)
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 「・・・ところがふと気がつきますと、蜘蛛の糸の下の方には、数限りもない罪人たちが、自分ののぼった後をつけて、まるで蟻ありの行列のように、やはり上へ上へ一心によじのぼって来るではございませんか。 かん陀多はこれを見ると、驚いたのと恐しいのとで、しばらくはただ、莫迦のように大きな口を開あいたまま、眼ばかり動かして居りました。自分一人でさえ断きれそうな、この細い蜘蛛の糸が、どうしてあれだけの人数の重みに堪える事が出来ましょう。もし万一途中で断きれたと致しましたら、折角ここへまでのぼって来たこの肝腎な自分までも、元の地獄へ逆落としに落ちてしまわなければなりません。そんな事があったら、大変でございます。
 が、そう云う中にも、罪人たちは何百となく何千となく、まっ暗な血の池の底から、うようよと這い上って、細く光っている蜘蛛の糸を、一列になりながら、せっせとのぼって参ります。今の中にどうかしなければ、糸はまん中から二つに断れて、落ちてしまうのに違いありません。
 そこでかん陀多は大きな声を出して、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己おれのものだぞ。お前たちは一体誰に尋きいて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」と喚わめきました・・・。」(芥川龍之介、『蜘蛛の糸』より)

退職給付:国家公務員 民間より400万円上回る…人事院(毎日)

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PKO:法改正を検討 武器使用基準緩和、念頭に--政府
 政府は国連平和維持活動(PKO)に自衛隊が参加する際の武器使用基準の緩和などに向け、PKO協力法改正の検討に入った。自衛隊の宿営地外で襲撃された文民の防護や、他国部隊との宿営地の共同防衛が可能かどうか、法制面の課題の検討を急いでいる。
 現行法は自衛官が武器を使用して守れるのは、自己やその管理下にある者に限定。宿営地の外で活動する国際機関や非政府組織(NGO)の職員や、自衛隊と宿営地を共同使用する他国部隊は「自己の管理下」にないため対象外とされている。
 政府は、PKOへの参加拡大には自衛官と文民との連携強化が必要と判断。宿営地外にいる文民がゲリラなどに襲撃された場合、武器を使用することを認めたい考えだ。自衛隊と他国部隊が共同使用している宿営地が襲撃された場合の武器使用も検討しているほか、現地の警察官らに治安維持の訓練を施すなど「平和構築支援」をPKOの業務に加えることを目指している。
 ただ、他国部隊が襲撃されている現場に行って武器を使用する「駆けつけ警護」が憲法が禁じる「海外での武力行使」に該当する恐れがあるなど、武器使用基準の緩和には法制面で慎重な検討が必要。政府は今国会中にも改正案を提出したい考えだが、民主党内の護憲派や公明党などの反対も予想され、提出のメドは立っていない。武器使用基準の緩和などを巡っては、「PKOの在り方に関する懇談会」が、課題を検討する必要性を指摘する中間報告をまとめていた。【毎日、朝日弘行】

改憲案の今国会提出目指す=一院制議連
 超党派の「衆参対等統合一院制国会実現議員連盟」(会長・衛藤征士郎衆院副議長)は7日、衆院議員会館で役員会を開き、国会を一院制とする憲法改正原案を今国会に提出する方針を決めた。議連原案によると、国会を衆参両院で構成することを定めた憲法42条を「国会は、一院で構成する」と改める。 (WSJ日本版)

改憲原案に修正要求相次ぐ=自民、意見集約に着手
 自民党は6日、憲法改正推進本部(保利耕輔本部長)の全体会合を党本部で開き、起草委員会が作成した改憲原案を基に意見集約に着手した。出席者からは、「自衛権の発動」を盛り込んだ9条改正案などに対し、修正を求める意見が相次ぎ、結論を持ち越した。
 会合には安倍晋三元首相や石破茂前政調会長ら30人超が出席。「天皇は国の元首」とした1条改正案に賛同する意見の一方、「天皇は世俗の存在なのか」「元首と書けば他国の元首と同格になってしまう」(???)などの異論も続出した。 (⇒こういう「化石」のような人々が自民党にはまだ存在する)
 9条については「集団的自衛権の行使を明記しなければ意味がない」(⇒意味不明)との声が上がり、「原案通りでも解釈で行使できる」とする意見と対立。「自衛軍ではなく国防軍や防衛軍とすべきだ」(⇒意味不明)「国旗は日の丸、国歌は君が代と明示すべきだ」(⇒意味不明)などの声も出た。 (時事)

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「秋入学」突出に懸念の声 国立大学協会総会
 全国86の国立大などでつくる国立大学協会は7日、東京都内で総会を開いた。会長を務める東京大の浜田純一総長が、導入をめざしている秋入学への全面移行について説明。ほかの学長からは、秋入学の議論が突出することを懸念する意見も出た。協会としては「教育改革の一つの手段」として秋入学を議論することで一致した。
 京都大の松本紘総長は「教育改革こそ命だと思う。入学の時期はその中の一つのオプション」と、学力だけに頼らない入試や教育内容など包括的な改革が必要との考えを示した。大阪大の平野俊夫総長は「秋入学の問題はグローバル人材を育てる一つの手段」と述べ、「(教育の)中身の問題よりも入学時期の問題に議論が非常に集中している」と懸念を示し、東大と距離を置いた。  浜田総長は総会後、「秋入学は学事日程の調整だけではなく、大きな教育改革なんだと共通認識として得られた」(???)と述べた。4月から始まる東大が呼びかけた主要11大学の協議会とは別に国大協でも議論を進めるという。 (朝日)
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 国立大学版「蜘蛛の糸」=「主要11大学」その他大学による、たとえば鹿児島大や高知大など、「地方」の国立大や公立・私立大の取り込みと切り捨ては、今後加速化するにちがいない。

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3/9~14 「イラクと福島のこどもたち 絵画と写真展(東京・日比谷)」((JIM-NET)

2012年3月5日月曜日

僕が「ハシズム」と言わない理由--あるいは、「戦後官制の確立」について

僕が「ハシズム」と言わない理由--あるいは、「戦後官制の確立」について


 現実の戦争の場面では、突撃が「玉砕」になってしまうことや、援護射撃のつもりが味方を撃ち殺してしまう場合もある。悲惨だ。誰の責任だろう? それと似たようなことが、政治の場面でも起こる。 「橋下イズム」をめぐる「攻防」において、まさに今、そういう「悲惨な、汚い戦争」がたたかわれている。
 戦争がそうであるように、政治の世界でもこういう攻防の犠牲になるのは、ただの市民、民衆、「ただの大阪の人間」である。 「突撃」を命令したり、「援護射撃」をしているつもりの「連中」は、そのことがわからない。このままでは悲惨な結果に終わってしまうだけだ、ということがわからない。
 私のような「ただの大阪の人間」がすべきことは、一つしかない。「維新の会」内部、「外人・傭兵部隊」にしろ、「義勇軍」にしろ、大阪の「仁義なき戦い」に参戦している「連中」が放つ言説・政策が、どのような立ち位置から、誰の利害を代弁するものかを、しっかり見極めることである。


 橋下「改革」路線を指して、「ハシズム」と呼ぶ人々がいる。橋下市長の「強権」的な「政治手法」を批判するために、「ファッショ」的/「独裁」的という表現を使い、「ファシズム」を連想させるためだ。ここでは「ファシズム」が「橋下イズム」の隠喩となる。
 たんなる政治的風刺として使われる場合でも、「ハシズム」はよくない。なぜなら、、「ハシズム」には「ファシズム→いつか来た道→戦前への螺旋的回帰」という意味合いが込められており、実際にそのように使われているからである。 しかし、これは「橋下イズム」を分析する視点、批判する方法において誤っているだけでなく、〈問題の所在〉を隠ぺいする機能を果たす。

 「橋下イズム」を評価/批判する視点は、「大阪都構想」がほんとうに「中央からの自律としての大阪の自治」を実現しうるかどうか、にある。もっと言えば、それが「地方公共団体」としての「大阪の行政サーヴィス」にどのような変化をもたらすか、にある。


 戦後、1952年まで続いたGHQ占領統治のさなか、大阪、名古屋、横浜などの「政令指定都市」において、「分離独立運動」が起こったことを知っているだろうか。その事実を知らない人は、「戦後史」をどうかひも解いてほしい。
 この、全国の「政令指定都市」における「分離独立運動」の挫折と敗北、それが「橋下イズム」の戦後的源流である。
 
 自治労(府/市職労)や日教組(府/市教組)の〈問題〉で言えば、60年以上前の分離独立運動の敗北が、その後の自治労の「自治」の解体や「教育の自治」の解体につながってきたこと、そこからもう一度「戦後」を総括しないかぎり、組織の再生はありえない。そのことを「執行部」は知る必要があるのではないか。「橋下イズム」を「ハシズム」などと呼んで、「小さな既得権」防衛に走っている場合ではない。

 では、なぜ戦後「分離独立運動」が挫折し、敗北したのか? その理由はただ一つ、「戦後官制」の確立にある。


 ここで、もう一度、「行政改革会議」の「最終報告」を読んでみたい。
 「行政改革会議」の「最終報告」は、歴史的文書であると同時に、日本の官僚機構の特質および「戦後官制」の確立、さらにはその一般的傾向をとてもよく捉えている。
 たとえば、「Ⅰ行政改革の理念と目標~なぜ今われわれは行政改革に取り組まなければならないのか~」の
「2 「この国のかたち」の再構築を図るため、まず何よりも、肥大化し硬直化した政府組織を改革し、重要な国家機能を有効に遂行するにふさわしく、簡素・効率的・透明な政府を実現する」では次のようなことが書かれている。
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 限られた資源のなかで、国家として多様な価値を追求せざるを得ない状況下においては、もはや、価値選択のない「理念なき配分」や行政各部への包括的な政策委任では、内外環境に即応した政策展開は期待し得ず、旧来型行政は、縦割りの弊害や官僚組織の自己増殖・肥大化のなかで深刻な機能障害を来しているといっても過言ではない。
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 簡単に言えば、「官僚専制」とは、与党が「行政各部」へ「包括的な政策委任」(政策立案作業の丸投げ)をするような体制のことだ。そして、「戦後官制の確立」とは、霞が関=「東京」=中央にその権威と権限、〈権力〉が集中したことを言う。

 与党が官僚機構に政策立案を「委任」しているのであるから、必然的に与党は官僚機構の「手の平」に乗ることになる。官僚は「行政サービスの充実」の名のもとに自らの身分・待遇の改善・向上、影響力の拡大をはかる「政策」を「立案」し、内閣を通じて立法化する。その結果、「官僚組織の自己増殖・肥大化」が起こる。 中央においても、「自治」をはく奪され、霞が関への「隷属」状態に置かれた地方(大阪、名古屋、横浜、札幌、仙台、京都、神戸・・・・)においても。

 この「隷属」状態において、「ふるさとを捨てた/売った連中」のconversionが起こる。精神/アイデンティティが「根こぎ」にされてゆく者たち。「戦後的市民」の誕生? たたかわない/たたかえない自治労に日教組。そして(国立)大学・・・。リストははてしなく続く。「裏切りの精神現象学」。
 ジリ貧的に後退戦を強いられ、「大衆」からの離反をきたし、「組織率」の低迷と「既得権」の防衛戦に走る/走らざるを得なくという「悪魔のサイクル」・・・。
 関係者の誰もが「慙愧にたえない」「じくじたる思い」を内面化してきたと思うのだが、これが「戦後官制」がもたらした2012的現実である。


 『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』は、安保問題において、この「戦後官制」がもたらした現実=「永遠の安保、永遠の米軍基地」の政治的・法的根拠を解明しようとした。この書に、「安保問題」を論じる他の書にない「価値」があるとしたら、その一点のみである。そしてそのことが一番重要であり、決定的なことだと私は考えている。

 この書の「まえがき」に、「戦後行政学」の古典的テキスト、辻清明(東大法学部教授)が書いた『日本官僚制の研究』の「戦後の統治構造と官僚制」の一節が引用されている。

・・
 終戦以後、わが国の国会や政党は、果して、官僚の機構に対して、どれだけの努力と成果を示しているであろうか。この点に関するかぎり、見るべき成果をほとんど挙げていないといっても、決して誇張の言ではない。現に、かれらが、選挙の際に仰々しく並べ立てる公約には、常に美辞麗句に充ちた政策内容が盛りこまれているが、それを何人がいかなる方法で実現してゆくかという肝腎の政策遂行の過程の問題になると、ほとんど口を緘して触れようとしない。

 占領期間中、なんらかの意味で、官僚制の民主化を匂わせてくれた政策は、地方自治であれ警察であれ、公務員制であれ、ことごとく、占領軍当局のイニシアチーブに基づいていた。党の化石化した命脈と硬化した中枢を、絶えず隠退高級官僚の多年にわたる専門能力と職権網によって輸血し、頻繁な更迭を通じて、無冠の陣笠議員に大臣や次官の栄職を大量に分配して、かれらの官尊意識を充たしながら、既成の官僚機構と密着している自由党や自民党の保守政党ならいざ知らず、進歩政党を標榜して政権を獲得した片山内閣ですら、当時の西尾官房長官の告白によれば、戦前の官吏制度に対する改革は、なにひとつ考慮に上っていなかったという不甲斐ない状態であった……。

 明治以来のわが国統治構造の中枢は、占領政策の唯一の代行機関となることによって補強され、あたかも利用されたかのごとき外観の下に、逆に一切の政治勢力を利用できたのである。戦前と同じく、戦後の国会も政党も、華々しい衣裳は纏っていても、けっきょく精緻な官僚機構の舞台で、踊っていたといえるであろう。
 まことに、わが国の官僚機構は、強靭な粘着力の所有者であった。(二八〇〜二八一頁)
・・

 辻がこの論文を書いた一九四九年の大晦日、連合国軍総司令部(GHQ)はPolitical Reorientation of Japan(日本の政治的再方向づけ)と題された「戦後改革」に関する総括文書を発表している。
 『〈官制〉の形成』(日本評論社、一九九一)の著者、赤木須留喜によれば、総括文書は、
「封建的・全体主義的日本のとりでのなかで、官僚制は無傷のまま存続している。この官僚制は、しっかりと占領期を生きぬいていくことであろう。そして日本の将来の形成にさいして決定的な役割を果すであろう」
と述べ、さらに、
官僚制構造には改革の兆しは見られない」「現存する官僚制がその制度を改革しようとすることはないし、また、改革する能力もない」と戦後四年を経た官僚制国家日本の「診断」をしていたという(四八四頁)。

 辻の「戦後の統治構造と官僚制」とGHQの総括文書がともに、サンフランシスコ平和条約と旧安保条約(「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」)の締結(一九五一年九月八日)の二年前に書かれ、しかもいずれの文書も、戦前の日本の統治構造を支え、担った「官制」が戦後においてもGHQの「民主化」に抗し、延命したと指摘していることに着目したい。
 赤木の『〈官制〉の形成』によれば、その最大の根拠は「各省庁設置法が、国会制定法という形をとって、行政官庁ごとにその縄張りを固守してきた法令の枠組を承継・承認する形を守りきったこと」により、各省庁が「旧制度の系譜のうえに自らの再生と拡大の道を探りあてた」ことにあった(四八三〜四八四頁)。
・・

 霞が関の「各省庁が「旧制度の系譜のうえに自らの再生と拡大の道を探りあてた」こと、それを許してしまったことが、日本各地の「自治」が霞が関=「東京」に奪われ、壊されてきた根本要因である。 この意味でも、「橋下イズム」の「根」は、とても深いのである。 「ハシズム」などと言って、政治的遊戯をしている場合ではない。

 「橋下イズム」については、いまはまだ「評価」が下せる段階ではない。評価のための「結果」が、何も出ていないからだ。 しかし、霞が関による「取り込み」はすでに始まっている。それが「橋下イズム」をみる、私個人の分析の視点である。
 「まことに、強靭な粘着力の所有者」、霞が関を甘くみてはいけない。

「批評する工房のパレット」内の関連ページ
⇒「廃墟なった大学
⇒「廃墟となった大阪」?
⇒「壊疽化する社会--橋下流?

【参考文献】
●『琉球独立への道-- 植民地主義に抗う琉球ナショナリズム 』(松島泰勝、法律文化社)
●『アイヌ民族の復権-- 先住民族と築く新たな社会』(貝澤耕一他、法律文化社)

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●橋下市長
 「僕が強い批判をしている相手は、具体策を出さない人達に対してです。そして公のメディアを用いて、そのような具体策のない批判をしてくる人達。僕もメディアで仕事をしていましたけど、メディアを介して発言する人は、ある種準公人です。メディアはもの凄く影響力が大きい」
 「やっぱ『批評家』って最悪。批評家でありがちなのは、(1)自分が成果出してないのに他人を批判する、(2)批判するだけで具体的な提案がない、(3)批判するくせに自分は大志をもっていない。こんなヒトは百害あって一利なし」

 元府知事、現大阪市長、政党の人格的代表という立場をわきまえず、ツイッタ―で問題・差別発言を乱発する橋下氏は大阪弁で言う「アホ」である。だから私の「大阪の友人・知人」のほぼすべては橋下氏を生理的に受け付けない。しかしそこに「橋下人気」の源泉があり、そこだけを攻めても「玉砕」するだけだということを知らねばならないだろう。と同時に、ここで彼が言っていることが基本的に正しいことを「私たち」は、まず認める必要がある。

●「援護射撃」をしているつもりで、実は「大阪の自治」をさらに破壊し、「大阪の人間」を「殺して」(friendly fire)いる「連中」
 3月2日付の朝日新聞朝刊(大阪本社版)の「『ハシズム』人気のわけは? 口撃受けた4氏が分析」という記事。
 「記事には、橋下市長から「口撃を受けた」北海道大大学院の山口二郎教授(政治学)ら4人が、橋下市長の「人気の理由」を分析し、取材記者も感想を署名入りで書いている。

 取材記者は、「『既得権益』があると見なした人を『敵』に仕立て、時に口汚いと思えるほどの言葉も使いながら徹底的にやりこめる。橋下氏お得意の手法には、違和感を持っていた」と冒頭で指摘し、最後の段落は、
「4氏に共通していたのは、そんな攻撃的な手法をとる政治家が全国的に受け入れられる現状への危機感だった。中島(岳志・北大大学院准教授)氏は『行政サービスを受けている以上、あらゆる国民が既得権益者』と指摘した。橋下氏に拍手喝采を送っている人が、ある日突然、『敵』にされるかもしれない」と締めくくっている。
 ↓
 なんで二人とも「北大の人間」やねん? 国立大学の研究者は、自分の足元を顧みず、いったい何をしているのか?
 北大や北海道の学者は、「アイヌの〈独立〉を含めた北海道の自治」のためにこそ、たたかうべきではないのか?

「朝日新聞・橋下番」ツイッターに載った「太田(同志社大)教授の話」
 『労使関係は互いの信頼の上に成り立っており(!)、橋下市長のように一方的に敵視して強引に進める手法は健全でない。業務用メールを極秘に調査したことも含めて、違法ではないということと、組織マネジメントとして適切かは別だ』」
 『今回の調査は短期的な組織の引き締めにはなるかもしれないが、長期的には職員のモチベーション低下や人材流出などの弊害を招きかねない。職員のやる気を引き出し、住民サービスの向上につながるかは疑問だ』
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 まったく、「的外れ」の「話」である。「橋下流大阪の行財政「改革」」についての分析をする際に、触れたいと思う。(以上、J-CASTニュース「橋下市長ツイッター・ウォッチ」より)

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<AIJ問題>旧社保庁OB600人天下り 厚生年金基金に
 投資顧問会社「AIJ投資顧問」の企業年金消失問題に絡み、旧社会保険庁(現日本年金機構)幹部23人の厚生年金基金への再就職が判明したが、ノンキャリアを含めると05年当時、全国約500の厚生年金基金に600人以上の同庁OBが天下っていたことが、毎日新聞の入手した資料で分かった。その約7割は資産運用の責任者を務める常務理事だった。AIJは同庁OBのネットワークを営業に利用したとされ、小宮山洋子厚生労働相は実態を調査する方針を示しているが、その大枠が判明した。 社保庁OBらでつくる親睦団体が05年12月に作成した内部資料を毎日新聞が入手した。
 05年度末時点で厚生年金基金は全国に687あったが、内部資料によると、このうち約500の基金に旧社保庁職員600人以上が再就職。その約7割が、通常は基金の運用責任者を務める常務理事、約2割は事務長や事務局長で、複数のOBが同じ基金に再就職していたケースもあった。 厚労省は、天下りの社保庁職員が退任した後は公募に切り替えるよう厚生年金基金に指導しているが、強制力はなく、現在も相当数のOB職員が在籍しているとみられる。
 AIJの企業年金消失問題では、10年度末時点で同社に運用委託をした企業年金84基金のうち74基金が厚生年金基金だった。また、99~10年に旧社保庁幹部23人が全国の厚生年金基金の常務理事などに就いていたことが明らかになっている。 旧社保庁職員は資産運用経験がない場合がほとんどとされるが、中小の同業者でつくる「総合型」の基金では年金の実務や制度に詳しい人材が必要になるため、運用経験が乏しくても旧社保庁OBに頼らざるを得ない面もあったとみられる。【毎日、石川隆宣、松田真】
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柏市周辺の子どもから末梢血リンパ球異常
 2012年3月4日、「放射能健康相談.com」にて、千葉県柏市周辺(柏市、三郷市、東葛地域周辺)の乳幼児から大人までの血液検査の結果が発表された。その結果、乳幼児から小学生までの17人中8人に「末梢血リンパ球異常」が発見されたと公表している。比較対象のため調査された他の地域では「末梢血リンパ球異常」の発見はゼロである・・・。(ベスト&ワーストへ)
 「国からも行政からも見捨てられている東京近郊の高汚染地域に住み続ける子供たちから、将来健康被害が高率に出る事を心配しています。親に意見を求められた時には、避難を進[勧]めています」

2012年3月3日土曜日

脱原発の「教育学」

脱原発の「教育学」


 ポスト「3・11」の、「隠喩としての被曝」に呪縛される社会は、原発問題が「放射能/放射線問題」に突然変異する社会である。 そして、「原発を考えるべき教育」が、原発を「横に置いて」、「放射線教育」となって子どもたちに行われる社会である。
⇒「放射線等に関する副読本の作成について」(文部科学省)
⇒「大学教員が「放射線」を指導 ~都内4大学と港区教委の連携事業で~」(日本教育新聞、2/21,「らでぃ」より)
・・
 「・・・[子どもたちは]放射線の飛跡が現れると、「すごい」「見えた」と歓声を上げた
 まとめとして森田氏は、「この実験のように、測ったり見たりできるものと知ったうえで、放射線と向き合ってほしい」とメッセージ。生徒からは、「いままで目を向けていなかったが、今後は放射線に関するニュースを注意して見たい」といった感想が出ていた。
 4大学と港区教育委員会では今後の連携について検討している。来年度は、「大学教員の指導で放射線の指導を含む質の高い授業づくりの研修も考えたい」
・・
 これはいったい何だろう?

 一方、「放射線教育」に反対する教師たちもいる。
・・
「放射線教育」に関する福島県教組の見解
福島県教職員組合
中央執行委員長
竹中柳一

 2012年度中学校学習指導要領の完全実施と福島第1原発事故を受け、文部科学省は2011年10月、小学校から高等学校の児童・生徒を対象とした放射線副読本を公表しました。また福島県教育委員会も文科省副読本に「準拠」した「平成23年度放射線等に関する指導資料」を11月に公表しました。
 これら「副読本」および「資料」は、原発事故によって苦しむ「フクシマ」の人々の現状や思いについて全くと言っていいほど触れておらず、学習指導要領に記されている学習のねらいである「エネルギー資源の利用や科学技術の発展と人間生活とのかかわりについて認識を深め」るための教材としては、あまりに一面的すぎると言わざるを得ません。

 3・11福島第1原発事故以降、「フクシマ」の苦しみの元凶「放射能」を生成する「原子力エネルギー」は、「エネルギー資源」として最低・最悪なものであることが明らかになりました。 さらにICRP(国際放射線防護委員会)とわが国の主な原子力関係者の基本理念である「リスク・ベネフィット論」(※後述)は、ぼう大な「フクシマ」への賠償・復興経費からも破綻しています。

 破綻した「エネルギー資源」の総括なしに、細分化された「放射線」「放射線利用」にのみ視点をあて、教材化することは、「フクシマ」の苦しみを無視しながら、従来からの原子力施策を正当化し擁護し、推進するための教育を継続することに他なりません。さらに文科省副読本の作製が電力会社の経営陣らが役員を務める財団法人「日本原子力文化振興財団」であることを見れば(毎日新聞2011・12・9福島版)、この副読本に準拠した「放射線教育」は、3・11以前と同様の理念に基づく原子力施策擁護・推進にあることは疑う余地がありません。

 最近、福島県内で教育行政が教職員に対し行う研修会の中で「原発には触れない」「原発に関しては中立的立場をとる」等の教育行政関係者からの「指導」がありました。これは、「中立」を装いながら、従来どおりの核利用施策の黙認を教職員に強いるものです。原発事故に今なお苦しみ、脱原発を願う県民からすれば、許し難い「政治的」立場です。原発事故で拡散した放射能が、子どもたちに全く心身への影響を及ぼさないという、科学的な「安全の証明」があるのでしょうか。

 福島県教職員組合は、原子力発電を含む核利用を、現社会の差別と抑圧のもとに成立する象徴的事象であるととらえ、3・11以前から一切の核利用廃絶を主張してきました
 私たちは「フクシマ」県民の苦しみに直面し、まさに「フクシマ」の未来そのものである子どもたちに対し、その苦しみの元凶である従来同様の「核利用教育」を推進することはできません。
 今後、11月に発足した福島県教組放射線教育対策委員会での分析・検討にもとづき、文科省副読本準拠の放射線教育に対する問題を明らかにしながら、望ましい「フクシマ」の子どもたちの「学び」を追求・検討し、発信していきます。

「リスク・ベネフィット論」
 すなわち、核兵器・原子力開発から得られる利益を受けようとすると、その開発に伴うなんらかの放射線被曝による生物学的リスクを受け入れることが求められる。許容線量値を、その利益とリスクとのバランスがとれるように定めることが必要である。
 社会的・経済的な利益と生物学的な放射線のリスクとのバランスをとることは、目下のところ限られた知識からは正確にはできないが、しかし欠陥は欠陥として認めるなら、現時点で最良の評価を下すことは可能である。そのような意味で低線量被曝のリスクを評価するなら、このリスクの大きさを決める要因である公衆の許容線量を、人類が歴史を通じて曝され続けてきた自然放射線のレベルと関係づけて考えるべきである。
 リスクと利益(ベネフィット)のバランスをとった公衆の許容線量は、自然放射線の年間100ミリレム(1ミリシーベルト)をあまり大きく超えないようにすべきである。(中川保雄「増補放射線被曝の歴史」明石書店2011)
※高校版副読本P20「コラム」には、「リスクとベネフィット」という題名で趣旨が掲載されている。
・・

 「放射線教育」が「一面的すぎる」から、また「リスク・ベネフィット論」が「破綻した」から、「放射線教育」に反対するのだろうか?
 福教組、というより日教組は、本当に、あるいはどれだけ「原子力発電を含む核利用を、現社会の差別と抑圧のもとに成立する象徴的事象であるととらえ、3・11以前から一切の核利用廃絶を主張してき」たのだろうか? 私は小・中・高、すべて公立の学校を出たが、学校現場で「一切の核利用」を「廃絶」すべきという「教育」を受けた記憶がない。そういう「教育」がなされたのだとしたら、きっと私が高校を卒業してからの話に違いない。
 

 福島市の子どもたち3万4千人が、昨年9月から「被ばくした積算放射線量を計測する小型線量計」を持たされることが決まった6月半ば、こんなことを書いた
・・
 「・・・「線量計」を子どもに持たせたとして、「基準値」を上回ったとして、どういう「健康管理」を市が子どもにするのかが、私にはイメージできない。そのことが違和感を増幅させるのである。
 もう一つは、福島の「大人たち」(教育行政)が、原発問題を子どもたちにどのように説明しているのか、という問題である。何のために毎日マスクをするのか、教室の窓を閉め切るのか、校庭で遊べないのか、寄り道してはいけないのか、「線量計」を持ち歩かねばならないのか。 「原発のせい」ということは、子どもだって分かっている。で、そこから何を「大人」は子どもに語るのか? 「線量計」を持たせることより、持たせるからこそ、もっと大切なこと。
 福島の学校教育は、教師たちは、これまで原発をどう子どもに教えてきたのか、これからどう教えてゆくのか。教科書はどうする? 補助教材は? 国の方針が決まってから? 日本はこれから原発について、子どもに何をどう〈教育〉するのか? 
 子どもたちは、これから決まるであろう(何も決まっていない)福島第一原発の5、6号機の廃炉問題、7、8号機建設計画問題、第二原発の廃炉問題について、何の決定権も持たない。それを決めるのは子どもに「線量計」を持たせる大人たちだ。福島の大人たち、県・市町村、学校/高校/大学教師たちは、この問題をきちんと子どもに説明し、考えさせる義務がある。大人が何を決めるにせよ、その決定を一生背負っていかねばならないのは子どもたちだからである」
・・

 上の「?」に対する国(文部科学省)と県、自治体の回答、それが「放射線教育」である。
 「脱原発宣言」を発した福島県、市町村は、「脱原発宣言を発した福島の人間」を育てるために、どのような「教育」をこれからするのだろう。それが少なくとも「放射線教育」(のみ)ではないことは、誰の目にも明らかではないか。
 ところが。自治体や教育委員会にとっては「明らか」ではなかった。 だから、福教組が声明を発したのである。
 〈現場〉の教師と子どもたちの「たたかい」が始まっている。

 「隠喩としての被曝」に呪縛される社会の、脱原発の「教育学」のカリキュラムとそのコンテンツとは何か?
 私たちが未来に背負ってしまった、重い、重い宿題だ。
 改めて、脱原発の〈思想〉と〈科学〉が、(国際)NGOどころではない、大学という制度と大学研究者の役割や責任が問われている、と痛感する。
 
・・・
福島2号機温度計また異常値 第1原発、監視対象外に
 東京電力は3日、福島第1原発2号機の原子炉圧力容器底部で、温度計の一つの値が異常に上昇し、正しい値を示していない可能性があるとして監視対象から外したと発表した。 東電によると、原子炉内の湿度が高く故障したのではないかといい、参考値(???⇒何と「参考」するのか?)として監視を続ける。
 2号機では、2月に圧力容器の別の温度計の値が上昇、燃料を冷却できなくなったのではないかと懸念されたが、東電は故障と判断。その後も故障などが相次いで判明し、現在使用できるのは15個。(共同)
⇒「数値に翻弄される社会」(2/13)

放射線教育 福島の実践に学びたい
 子どもたちに放射線をどう教えるか。
 学習指導要領が改訂され、来春から中学の理科に放射線教育が約30年ぶりに復活する。東京電力福島第1原発事故を受けての授業となるだけに、教師たちの間には戸惑いも広がっている。  いち早く取り組みを始めた福島県郡山市の明健中学校の公開授業を取材し、放射線教育の在り方を考えてみた。

<屋外活動は3時間に>
 公開授業を行ったのは、理科を教える佐々木清教諭と1年5組の生徒たちだ。  学習指導要領では放射線は3年理科で学ぶことになっている。1年生から始めたのは、放射線のことを知りたいという生徒たちの強い声があったためだ。  佐々木教諭は毎年、新聞記事を材料に環境をテーマにしたリポートを課してきた。身の回りの環境問題に関心を持ってほしいとの願いからである。  今年は1年生145人のうち、6割強が放射線を選んだ。
 3月11日。郡山市も強い揺れに襲われ、部活などをしていた生徒が校庭に避難した。原発事故後は放射性物質により校庭が汚染され、除染作業が行われた。  生徒たちは積算線量計を常に身につけ、屋外活動は1日3時間に限られる。放射線リポートは、こうした日常を反映したものだ。
 佐々木教諭は事故直後から独自のネットワークを使って、事故の実態や影響を調べていた。何度も東京に足を運んで専門家のシンポジウムや研究会に参加し、授業案を練っていたところだった。生徒たちの関心の高さに驚き、1年生の授業を決めたという。  伊藤幸夫校長や市教委とも相談し、今月18日の公開授業に踏み切った。県内外から約30人が訪れ、関心の高さをうかがわせた。
<自分で判断する力を>
 佐々木教諭の授業の特徴の一つは、データを示し何が読み取れるかを考えさせる点にある。
 例えば、除染後の校庭の放射線量を数カ所で測ってグラフにし、一カ所だけ高くなっている理由を生徒たちに聞く。グループで話し合った結果、除染後の土が一カ所にまとめられているから、との推論が導かれるといった具合だ。
 特徴の二つ目は、生徒が自身の調査を発表し、それに基づいて考えを述べることにある。  山川莉沙さんは、郡山、南相馬、二本松、いわき市の放射線量の変化を1カ月ごとに調べてグラフにした。「4月から少しずつ減少しているが、大幅な減少は見られない」「このままでは私たちは長い間、放射線と向き合わなければならなくなる」。これが山川さんの判断だ。  そのうえで「福島県から離れることを考えている人もいると思います。でも、福島県はとてもいいところです。福島を復興させるのは私たちです」と訴えた。
 戸上拓人君は、市内の11河川の放射線量を川底、河原に分けて測定した。そのデータをもとに「11河川の川底の放射線量の値はあまり大きくない。今後も安心して継続して水質調査を行っていきたい」と報告した。  授業終了後に話を聞くと、こんな答えが返ってきた。「僕は自分の生まれた土地から離れるつもりはありません。将来は医者になって、限りある命を救っていきたいと思います」
 福島の生徒たちにとって、放射線を学ぶことは切実な課題なのだと痛感させられた。  佐々木教諭は、内部被ばくと外部被ばくや原発の仕組み、福島第1原発の事故などについても授業を進めていくという。「データを読み取り、自分で判断し、考え、活用する力をつけさせたい。それが、3・11以後を生き抜く力になると思っている」

<原発をどう教えるか>
 授業後に県内外の参加者たちが論議を交わすなかで、さまざまな課題も浮かんできた。  とくに問題なのは、原発をどう取りあげるかである。
 「原発関連の仕事をしている人も多く、扱い方が難しい」といった悩みが出された。一方、社会科の教師からは「歴史、地理など幅広い教科のなかで、原発を推進してきた歴史やエネルギー問題などを取りあげていく必要がある」との提案があった。 難しさはあるにしても、原発に踏み込まない限り、説得力ある授業は展開できないだろう。
 文部科学省は10月に小、中、高校生向けの放射線の副読本を公表したが、原発事故についての記述は極めて薄い。教師たちが文科省の副読本を中心に授業を進めるとすれば、福島県が置かれている重い現実が抜け落ち、通り一遍の知識に終わる心配がある。
 長野県教委によると、放射線教育はこれからだ。教師向けの講習会なども準備しているという。
 現実を踏まえた授業が必要だ。福島発の教師や子どもたちの実践から学ぶ—。そんな姿勢を大切にしたいと思う。(信濃毎日 2011/11/24)
 ↓
 「東京の子どもたち」と「福島の子どもたち」の反応、また「授業」に取り組む側の姿勢の「落差」は何を物語っているのだろう?

・・・
〈「原発いらない 地球(いのち)のつどい」参加企画>
【被曝労働の実態 切り捨てられる下請労働者】
--映画『原発はいま』上映と斉藤征二さん講演会 
・日時:2012年3月10日(土) 10:00開場
・場所:郡山市労働福祉会館 第4会議室
〒963-8014 福島県郡山市虎丸町7-7
http://www.bunka-manabi.or.jp/kaikan/
・参加費:無料
■プログラム
10:30 映画上映:『原発はいま』
11:30 質疑と情報交換
(12:00-13:00 昼休み)
13:00 講演:斉藤征二さん(元・原発下請労組分会長)
     「被曝労働の実態 切り捨てられる下請労働者」
14:00 質疑・討論(これからの取り組みについて)(15:00 終了予定)
■講師・上映内容紹介
斉藤征二さん
 元・原発下請労組「全日本運輸一般労働組合原子力発電所分会」分会長。81年、敦賀原発で汚染水の漏洩事故隠しが発覚し問題となったことがきっかけで、やはり自分たち原発下請労働者のおかれた労働環境は異常なのだと認識し、20項目の要求を掲げて労働組合を結成。200人弱の下請労働者を組織して運動を展開した。3.11以降、全国各地で原発下請労働の実態を伝える取り組みを精力的に続けている。
記録映画『原発はいま』 1982年/49分/カラー
企画・制作:運輸一般関西地区生コン支部、映像集団8の会
 「第三の火」と呼ばれた原子力。そのエネルギー源としての未来はバラ色であろうか。原子力発電の安全神話は原発事故によって脆くも崩れた。その原発を支えている「被曝要員」と呼ばれる下請け労働者たち…。匿名の証言、極秘資料、隠し撮りなどによって、彼らの恐るべき労働実態を明らかにしてゆく。
 日本で唯一結成された原発下請労働者の労働組合の取り組みと地域社会の姿から、原発の実態を告発し私たちのあり方を問う。
主催:被ばく労働を考えるネットワーク(準)・自治労郡山市職員労働組合・全国一般いわき自由労働組合・全国一般ふくしま連帯ユニオン連絡先: tel 024-973-6794  fax 024-973-7529
※詳細は以下のサイトをご参照ください。
http://2011shinsai.info/node/1820
http://onna100nin.seesaa.net/article/251821076.html

★★★ 震災とジェンダー ★★★
3月10日(土)13~17時 郡山市労働福祉会館
◆映画上映「Labor Women」
性別や人種などに対する差別、長時間で重労働・低賃金などの悪条件に対し、その改善をめざして労働者たちが連帯し、たたかう姿、労働運動を描く。2003年/監督:レニー・タジマ/アメリカ/36分/字幕:日本語
◆避難母子支援活動報告 
しんぐるまざあず・ふぉーらむ 理事 大矢さよ子さん
◆震災と女性労働
ペイ・エクイティ・コンサルティング・オフィス(PECO) 屋嘉比ふみ子さん
◆福島での取組みと今後の展望    
女性の自立を応援する会
◆脱原発の運動と女性たち
原発いらない福島の女たち 黒田節子
◆全員参加型で自由に意見交換をしましょう!
共催:全国女性シェルターネット、しんぐるまざあず・ふぉーらむ、女性の自立を応援する会
連絡先:024-983-9558  E-mail peco-08@ares.eonet.ne.jp

隠喩としての被曝

隠喩としての被曝

 放射能汚染による被曝は隠喩ではない。現実である。
 だが、放射能汚染がどのような現実を、身体と社会の未来にもたらすか、誰にもわからない。
 人々が怖れるのは放射能や放射線ではない。被曝である。放射能や放射線が隠喩になると書いていた人がいるが、そうではない。 隠喩になるのは被曝である。
 被曝は、「数値に翻弄される社会」を支配する隠喩/「記号」となり、私たちの他者とモノに対する知覚/認識作用を触発する。
 私たちは、「数値」に怖れ、おののく。私たちは、「数値」に安堵し、胸をなでおろす。

 あの子/あの人/あの家族は、
 「フクシマ」の子/人/家族だ。
 だから(?!)、
 厭だ/怖い/おぞましい/可哀そう・・・。
 だから(?!)
 来ないでほしい/出て行ってほしい/・・・。
 「弱い者たちが夕暮れ、さらに弱い者を叩く」?

 この米/桃/しいたけ/車のナンバー/製品/・・・は、
 「フクシマ」のモノだ。
 だから(?!)、
 厭だ/怖い/おぞましい/・・・。
 だから(?!)
 買わない/入荷しないでほしい/ボイコット(!)せよ/・・・。

 猪苗代湖/裏磐梯/白河温泉郷/・・・は、
 「フクシマ」にある。 
 だから(?!)、
 行かない。ピリオド。
 (あれほど学生時代/家族・グループ・個人/旅行で、サマー・キャンプ・スキー合宿・温泉で楽しんだ/楽しませてもらったのに?「数値」は自分の目で見た?)

 これを私たちは「風評被害」と呼んでいる。
 ほんとうにそうだろうか?
・・
<風評被害>福島から避難の子供、保育園入園拒否される 人権救済申し立て/山梨
 福島県からの避難者が東京電力福島第1原発事故による風評被害を受けたとして、甲府地方法務局に救済を申し立てていたことが分かった。福島から避難してきたことを理由に、人権を侵害されていた。同法務局が2日発表した。
 同法務局によると、申し立てた避難者は、自分の子供が住宅近くの公園で遊ぶのを自粛するように、近隣住民から言われた。更に、保育園に子供の入園を希望したところ、原発に対する不安の声が他の保護者から出た場合に保育園として対応できないことなどを理由に、入園を拒否されたという。
 同法務局は、避難者が相手への接触・調査を希望せず、地域への啓発を強く希望したことから、風評に基づく偏見や差別をしないよう呼びかけるポスターを掲示。また、自治体広報紙への広告掲載や自治会でリーフレットの回覧を依頼するなどの啓発も実施した。【毎日、水脇友輔】
・・ 

 去年の4月初旬、「放射能難民」と「放射能差別」という文章を書いた。
・「放射能によってふるさとを追われた人々が、放射能によって差別される。いわゆる「原発難民」と呼ばれている人々に対する、放射能「感染」の「恐怖」に基づく社会的・個人的差別のことだ。」
・ 「ほとんど全て、と言って差し支えないと思うが、「風評被害」に関する報道は、「風評加害」を与える側/組織と人間の問題を論じない。 原発「事故」と放射能汚染に何の責任も負わない、負いようがない犠牲者に対する「放射能差別」(「風評被害」?)は、それ自体が人権侵害である。その自覚を、福島の「外側」に生きる〈私たち〉がしっかり持ち、それを身の回りで広めることが「放射能差別」を考え、なくす出発点になるだろう。」
・「誰もが自然に持つ放射能汚染に対する「一般的恐怖」と、放射能汚染および感染に関する「犯罪的無知」は区別しなければならない。また公的機関や企業体、そこで働く公務員・労働者の犯罪的無知と、個人のそれも区別しなければならないだろう。そしてそのいずれに対しても差別を受けた者は、自らと家族、他者が同じ目に合わないように行動を起こすしかない/起こすべきなのである。」
・・

 「あれ」から、一年が過ぎようとしている。
 「数値に翻弄される社会」の「隠喩としての被曝」。
 私たち自身の、他者とモノに対する知覚、そして行為を否応なく支配し、呪縛する「隠喩としての被曝」。
 「隠喩としての被曝」は、内省することを知らない。

・・・
●「隠喩としての病い・エイズとその隠喩【新装版】」(スーザン・ソンタグ/訳・富山太佳夫)

 「・・・人間の体に起こる出来事としての病いはひとまず医学にまかせるとして、それと重なりあってひとを苦しめる病いの隠喩。つまり言葉の暴力からひとを解放すること・・・」(「訳者あとがき」)より。

 これに対し、私たちの置かれている状況はもっと複雑だ。
 私たちは、「自己の体に起こる出来事としての〈被曝〉を「医学」にまかせることはできず、〈受苦〉として引き受けることを強いられながら、それと同時に、他者を苦しめる〈隠喩としての被曝〉とその暴力から自己と他者とをともに「解放」すること」が問われているからだ。

 ソンタグは「英語という病」に囚われ、死んだ。これについてはひとまず批評の専門家にまかせるとして、私たちの社会がはまりこんでしまった「病」を自己診断するために、今、必読の一冊と言えるかもしれない。

・・・
千葉・柏 焼却施設を一時的に再開へ
・ごみを燃やしたあとの焼却灰から高い濃度の放射性物質が検出され、ことし1月から運転を停止していた千葉県柏市の焼却施設で、燃やさずに保管していた草木を焼却するために、今月13日から、運転が一時的に再開されることに。
・柏市南増尾にある「南部クリーンセンター」では、去年6月以降、一般ごみを燃やしたあとの焼却灰から国の埋め立ての目安を超える高い濃度の放射性物質の検出が続き、灰の保管場所が無くなったことから、ことし1月に運転を停止。
・高い濃度の放射性物質を出すおそれのある枝や落ち葉は、燃やさずに処分場で保管してきましたが、2000トン近くに達してこれ以上置くことができなくなったため、市は今月13日に施設を再開させて焼却することを決定。
・焼却は草木を一般ごみに混ぜて少しずつ行うが、焼却灰を置くスペースに限りがあるため、運転はおよそ45日間という一時的なものになる見通し。このため、灰を保管するための鉄筋コンクリート製の建物を敷地内に設けることも検討。
・柏市では、市内で出るごみの大半を、もう1つの焼却施設だけを使って処理する状態が続き、市は、「安定したごみ処理を進めていくために、灰の保管場所の確保を急ぎたい」としている。(NHK)

2012年3月2日金曜日

資格社会と専門家の資質--相馬と南相馬で考えたこと(3)

資格社会と専門家の資質--相馬と南相馬で考えたこと(3)


 3月になってしまった。はやい。
 「3・11」が何もかも変えてしまった、そんな思いがする。

 去年のクリスマスの連休、相馬と南相馬に行っていろんなことを考えた、と書いた。 その中に、「「医療」とは何だろう?」という〈問題〉がある。
 非常に抽象的な話で申し訳ないが、書きかけのことにも絡めながら説明するよう心がけたい。 少し、聞いてほしい。

 「イスラーム教徒の医師」の一行とまわったと書いた。
 その医師が、仮設にいる人々の「話を聞きながら、診てまわった」という表現をした。

 これには理由がある。県や地元の自治体であれば、大学(東大医学部であったり福島医大であったり)を通さない、また地元の医師会であれば地元の病院や診療所を通さない、外部からの「医療ボランティア」を、あまり「好まない」という背景がある。昔ながらの、「棲み分けの論理」が強力に作用しているわけである。

 これは「大人の話」というか「業界の都合」というか、そういう複雑な、しかし「ボランティア」の前にたちはだかる、現実の大きな「壁」の問題である。だからその医師は、血圧を測る程度のことはしたが、一般に言うような「医療活動」はしなかった/できなかったのだ。医師は、人々の「話をききながら、診てまわった」のである。

 どこの地域でも、どの業種でもこういう話はある。だから、それ自体が問題だということを言いたいのではない。ただ、わかったことの一つは、こうした諸々の制度化された「壁」が、いざ今回のような大規模な惨事、しかも「原子力緊急事態」までが併発した大災害の発生時の救援活動や、その後、必然的に長期化する支援活動において、おそろしいほど被災者や被ばく者への〈支援〉を阻害し、人々の「二次被災」「三次被災」を招いている側面がある、ということである。


 もうひとつ考えたこと。それは、医者にしろ何にしろ、「専門家」っていったい何で、どういう人のことを指すのか、ということである。
 日本の大学は、医者なら医者、教師なら教師、(医療)カウンセラーならカウンセラーと、国と地方の二重の行政縦割りで、国と地方の官僚機構の「天下り」・利権・汚職の温床にもなっている「資格試験制度」を通じ、様々な階層化され序列化された「専門家」という職業・職種を輩出し、育成している。だが、そもそも「専門家」っていったい何なのか?
 「話をききながら、人々を診てまわった医師」の姿をみながら、私はそんなことを考えていた。
 
 これまで社会を社会として、かろうじて成り立たせてきた「骨組み」の骨が「スカスカ」になり、社会の末梢部から「壊疽化」が徐々に広がってゆくような、これからの時代と社会において、人間の社会と人間そのものを相手にする「専門家」に問われる「資質」「資格」とは何なのか。
 「生きること、働くことが「資格」がなければ成立しない社会」、しかも「大学(院)教育を受けねばその「資格」が得られない社会」とはどういう社会なのか・・・。ポスト・リーマンショック、ポスト「3・11」の世界において。「医療崩壊」「学校/学級崩壊」が、久しく叫ばれる現代社会において。

 「話を聞いてもらうこと」そのものが癒しになり、「話を聞くこと」そのものが人を「診る」ことになるとき、両者の間に「医師国家試験」という制度など、必要ないはずだ。
 また、仮設の子どもたちに何かを教えるのに、教職大学院を出る必要なんて、ゼロだ。まして子どもを教える人々を「教育」するための大学院も必要ない。教師は、常に、子どもから学ぶのである。

 何かが根本的に間違ったまま、「開発」され「発展」してきた社会。その社会の中で、自分と人が持っている資格、経歴、学歴に囚われ、「コンプレックス」を一生内面化しながら、借金を背負いながら大学(院)へと駆り立てられてゆく社会。それが今の社会なんだな・・・。 つくづく、そう思った。

・・・
●「避難の権利」確立と避難者・居住者の長期的な救済に向けて
 低線量被ばくによる健康被害を巡る議論は決着を見ません。クロとの証明は十分でないが、シロであるとも言い切れない。そうしたグレーゾーンの問題に直面したとき、国家は市民の「自己決定」を尊重すべきです。
 避難を選択した人には避難先での生活の保障を。
 継続居住を選択した人には十分な防護と健康の保障を。
 原子力発電は国策で推進されてきました。ですから被害者の生活保障、健康保障について、国家が責任をもって行うべきです。原発被災者への恒常的な対策立法(日本版チェルノブイリ法)を求める市民の声の高まりを受けて、院内集会を開催いたします。 (FoE Japan)

院内集会『原発事故被害者支援法(仮称)』市民提案(岩上安身氏のブログより)
 「「福島では今、在留者、避難者が引き裂かれるような空気があります。これは、個々の心の問題だけではありません」主催者団体の一つ、子どもを放射能から守る福島ネットワークの中手氏による、冒頭での発言。避難を選ぶのか、または継続居住を選ぶのか。放射線のリスクを高いと考えるのか、低いと考えるのか、または無いと考えるのか。認識や生活環境の差異で、県民の間に軋轢が生まれている状況は未だに続く・・・」

●「100万Bq,見ざる 聞かざる 調べざる御用学者と南相馬市」(南相馬市市議 大山弘一氏のブログより)
「3.11大震災・検証」アーカイブ」(福島民報)

【補足】
①東大医学部、福島県立医大に対する被災者からの批判、たとえば「被災者をモルモットにしている」といった内容について知る人は多いと思う。私自身も直接耳にした。要するに、「検査し、データは取るが、診察をしない」ということだ。「研究」のために人間を利用している、としか当事者には感じられないという在り方。最悪のケースでは、外部と内部両方の被ばくについて被災者を「安心」させると称して、現実を過小評価する(と、どうしても被災者には映ってしまう)「医療」の在り方、である。なぜ、そうなってしまうのか?
 「原子力ムラ」の一角を占める、としか思えない「専門家」だけではない。「地域医療の再生」を主張してきた人々が、被災者や患者、もっと言えば「現場」を知る一部の医療関係者からもそう思われているところがある、というところが深刻である。

②上の「院内集会」の映像は、時間のあるときにぜひ、観て頂きたい。
 「福島の大学の人間」が「電力のために原発は必要でしょ?」と住民や子どもたちに、いまだに「教えている」こと、飯館村に「経産省の人間」が入って眼を光らせていること、その飯館村の「除染」の実態などが報告されている。それが「南相馬の問題」ともつながっている「可能性」があることも。 突然、泣き出した女性の話にも耳を傾けてほしい。
 (福島において、文科省が検定した、あの「放射線教育」のテキストが学校現場において使用されるのは大問題である。脱原発宣言を発した福島の教育者は、この問題をめぐり、もっと学習し、議論を深めるべきではないか。)

③もうひとつだけ。それは、①や「制度化された「壁」」とも関係するが、「百年に一度の国家的危機」、東日本大震災・「原子力緊急事態」に対する支援活動において、日本の大学(研究者)が果たした/果たさなかった役割、責任の問題である。
 個々の研究者レベルのことではない。検証すべきなのは、「大学の社会貢献」をモットーとしてきた日本の国公私立の大学が、大学としてまた制度として果たした/果たさなかった役割、責任である。

 私は、国際NGOの周縁にコミットする者の一人として「NGOの役割・責任とは何か」を考えてきた。が、大学が制度として「果たした/果たさなかった役割、責任」はNGOのそれとは比較にならないほどの影響力を行使する。プラスの意味でもマイナスの意味でも。
 実は、「原子力ムラ」どころではない、得体の知れない「大学ムラ」がこの国には存在するのではないか? そんなことを感じさせる空気、眼に見えない〈力〉がある。 「3・11」1周年を迎えようとする中、そろそろそういう「研究」が大学研究者内部から出てきてもよいのではないか。
 忘却と隠ぺい、沈黙と無関心に抗う、長いたたかいが始まる。

●「原子力科学技術委員会(第3回) 議事録」(文部科学省)
・「東日本大震災、特に福島第一原発の事故を踏まえまして、現在、原子力政策を含みます全体的なエネルギー政策の方向性が検討されておりまして、特にエネルギー・環境会議におきましては、「革新的エネルギー・環境戦略」策定に向けた検討が進められるとともに、原子力委員会におきましても「新原子力政策大綱」の策定に向けた検討が再開されまして、今後1年をめどに新大綱を取りまとめることとされております。
 このような状況を踏まえまして、・・・、第4期基本計画におきましても、高速増殖炉サイクル等の原子力に関する技術の研究開発については、我が国のエネルギー政策や原子力政策の方向性を見据えつつ実施し、核融合の研究開発については、エネルギー政策や原子力政策と整合性を図りつつ推進していく・・・」

・「特に、今回の事故を踏まえまして重点的に進めるべきもの、あるいは、エネルギー政策等を踏まえながらやるもの、原子力の安全確保の観点から取り組むべきもの、また、国際競争力や技術基盤の維持の観点から、継続しないと国益を損ねると考えられるもの、あるいは国際約束に基づくものや国際社会において責任を持って取り組むべきもの、また、オールジャパンとして、府省間あるいは産学官で連携して取り組むべきもの、あるいは、人材の育成という観点ですとか、活動拠点の形成・増強に向けてという観点、あるいは、課題解決に向けての分野間の連携のあり方や、また地域との連携のあり方、こういった観点について留意しながら整理をさせていただいております・・・」

・「課題領域のマル2、環境・エネルギーというところに移らさせていただきます。
 まず、1つ目といたしまして、核融合研究開発を挙げさせていただいております。こちらにつきましては、現在、国際約束でございますITER計画BA(幅広いアプローチ)活動に加えまして、国内の重要施設としまして、トカマク方式、あるいはヘリカル方式レーザー方式並びに炉工学の推進等を図っているところでございますけれども、長期的視野に立って、引き続きこれらを着実にやっていくことが必要である旨を書いております・・・」

・「課題領域マル3といたしまして、医療・健康・介護ということで、1つ目のマルといたしまして放射線被ばく医療研究ということでございまして、放射線安全研究を挙げさせていただいております。
 現在も今回の事故を踏まえていろいろな取組等も行われておりますけれども、今回の事故を通じて得られた教訓を生かしながら、安全規制の科学的合理性を高めるために利用可能な知見を蓄積することが重要である旨を書いております。
 特に、小児をはじめとしました放射線感受性の定量的評価に関する研究、あるいは低線量・低線量率長期被ばくの影響解明に向けた研究等の取組が必要である旨を書いております。また、緊急被ばく医療研究といたしましては、専門的な診断と治療に関します医療技術の向上ということ、特に、このため、外傷等を伴います放射線障害に対する線量評価や基礎研究の総合的な実施の必要性をここにも書いておるとともに、その人材育成についても、重要な課題として挙げさせていただいております・・・」

・・・
福島第1原発:避難の特養高齢者死亡2倍 環境急変背景に
 東京電力福島第1原発事故で避難した、原発周辺の特別養護老人ホームで、避難後死亡した入所者が前年同期(10年3月1日~11年1月1日)の死者の2倍近いことが福島県の調査で分かった。長時間移動による心身への負担や、受け入れ先での介護環境の急変が背景にあるとみられる。
 調査は、事故後に避難指示や屋内退避指示が出された原発30キロ圏内とその周辺にある特養13施設が対象。入所者計931人の状況を調べたところ、今年1月1日までに少なくとも206人が死亡していた。10年同期の107人(総数は13施設931人)、09年同期の86人(同12施設895人)を大きく上回っている。県は「入所者の現状はすべて把握できているわけではない」としており、死者数は今後増える可能性がある。

 原発の約23キロ北にある特養「福寿園」(福島県南相馬市)。原発事故後の3月15日、政府による「屋内退避指示」が出た。放射能汚染の不安から職員が相次いで避難。物流も滞り、入所者に提供する食事や薬は1週間足らずで底を突いた。「このままでは餓死者が出てしまう」。19日早朝、入所者96人全員を観光バス6台に乗せ、約10時間かけて横浜市内の老人福祉施設に運んだ。寝たきりのお年寄りは座席をぎりぎりまで倒して寝かせた。
 同日夜、施設に到着したが全員に十分な介護は難しかった。再び受け入れ先を探し、多くを東京、大阪、山形など10都府県の施設に運んだ。山形県に移動した人の中には、症状に応じた介護を受けるためさらに同県内の施設に移動した人もいた。  福寿園によると、96人中26人が避難先で死亡した(2月末現在)。「例年、亡くなるのは年間14~15人だが、震災後は顕著に多い。長時間移動の負担に加え、避難先での介護が変わって体調を崩し、回復できなかった人も多くいた」と言う。
 同施設は昨年末、南相馬で再開した。「遺族から『なぜ避難させたのか』と詰め寄られたこともあるが、避難させなければ餓死者が出ていたかもしれない。どうすべきだったか、今も分からない」と打ち明ける。  県によると、事故後、原発30キロ圏内にある介護福祉施設ではほとんどの入所者が避難した。特養より要介護度の低い人が入所するグループホームや養護老人ホームなど15施設でも、避難後の死者数は前年同期を上回った。
 南相馬市内の介護施設での避難状況を独自に調べている東京大医科学研究所の坪倉正治医師は、死者急増と避難の関連を認めた上で「介護職員が避難し、入所者の命を守るためやむなく避難を決断した施設もあり、残るべきだったと一概には言えない。当時の避難状況を徹底的に検証して今後に生かすべきだ」と指摘する。【毎日、神保圭作】

落ち葉に高濃度セシウム 森林土壌の測定結果公表
 林野庁は1日、福島県内の森林391地点で実施した落ち葉や土壌の放射性セシウム濃度の測定結果を公表した。最も濃度が高かったのは、浪江町入北沢の1平方メートル当たり856万ベクレル。同町や双葉町など、東京電力福島第1原発から北西方向の地域で高濃度のセシウムが検出され、地面に落ちた葉や枝の方が土壌より濃度が高い傾向が見られた。
 環境省によると、これまで河川など水源の調査では、セシウムはほとんど検出されていない(⇒再調査すべき)。豪雨などで落ち葉や土壌が流出した場合は汚染が拡大する恐れもあるが、通常の雨や雪解け水は地中にしみこむため、落ち葉などに付着したセシウムは流出しにくいという。(⇒そう断言できるかどうか)
 林野庁は住宅地などとの境目に近い森林の除染対策は示してきたが、全体の除染は手付かずになっている。落ち葉や土壌の流出を防ぐ柵の設置や、間伐などによる除染の効果を検証しており、4月をめどに結果をまとめる方針だ。 土壌の放射性セシウム濃度では、文部科学省が昨年約2200地点で実施した調査で、最大2946万ベクレル(福島県大熊町)が検出されている。 (共同通信)

汚染灰保管場所で千葉県が説明会 10日か11日に我孫子市議会向け
 千葉県・東葛地域のごみ焼却施設から出た放射性物質を含む焼却灰の一時保管場所として、千葉県が我孫子市と印西市にまたがる手賀沼終末処理場を提案している問題で、県は2日、我孫子市議会に10日か11日に同市内の県有施設で説明会を開催したい意向を伝えた。
 同市議会は条件付きで説明会に応じることを決めており、5日に臨時の議会運営委員会を開いて条件の内容を協議する。印西市議会も説明会開催を了承している。(産経)

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国家試験の時期変更を 東大学長、秋入学で要請
 秋入学への移行を検討している東大の浜田純一学長は2日、古川元久国家戦略担当相と内閣府で会談し、医師など国家試験の時期変更や、秋入学移行に伴う費用を国が負担(???)することなどを要請した。 これに対し、古川国家戦略相は「国の仕組みを産業界に先駆けて変えていく検討をしたい」と前向きな姿勢を示した。
 浜田学長は会談後に記者団に、計12校の予定で秋入学を話し合う協議会について「他のやりたいところと一緒にできるかどうか、幅広く考えていった方がいい」と述べ、拡大を検討する方針を明らかにした。(共同)

Student Debt Week of Action Feb 27 – March 2
1) Stop robbing us of our futures: Forgive student debt after five years of repayment and eliminate all interest on student loans. This would end the student debt crisis, allow millions of students to obtain a college degree, reset the housing market, pump billions of dollars back into the economy, and create jobs.
2) Pay your fair share: Stop draining government of revenue. Pay the statutorily required 35% corporate income tax instead of gaming the system through off-shore tax shelters, loopholes, and scams.
3) Get your money out of my democracy: Disclose corporate money in elections to date and pledge to keep all corporate money out of the 2012 and future elections. This includes an end to lobbying on public policy issues, such as Pell Grant and Trio Programs.
4) We need to talk. Albert Lord, will you meet with United States Student Association and Student Labor Action Project representatives on March 26th?