2012年8月11日土曜日

「議論が深まらない社会」(3)--「竹島問題」をめぐって

「議論が深まらない社会」(3)--「竹島問題」をめぐって


 日本政府は今日、李明博(イ・ミョンバク)大統領の竹島上陸に対する対抗措置として、国際司法裁判所に提訴する検討を始めた。
 玄葉外相は、「まずは国際司法裁判所への提訴を含む国際法に基づく紛争の平和的解決のための措置を検討したい」「国際司法裁判所で日本側の主張をより明確に行うことで、国際社会に日本側の主張を理解してもらう必要がある」と強調したという。

 しかし、「そんなに遠くない時期」と外務省が言う国際司法裁判所への提訴が、過去二回にわたる失敗を引き継ぐ「三度目の茶番」に終わることは、ほぼ間違いない。領土問題を抱える当事国のいずれか一方が、国際司法裁判所による裁定を拒否した場合に、裁判所は強制管轄権を持たない/与えられていないからである。

 だから、このブログを注意深く読んでいる人はすでに気づいていると思うのだが、私はこれまで国際司法裁判所の名前を出さなかった。野田政権、というより外務省には、国際司法裁判所への提訴だけでは「竹島問題」の解決にはならない、ということを大前提にした「その先の一手」、しかも「外交交渉を駆使した政策」を打ち出すことが問われているのである。
 この間、「竹島問題」に関しても、「歴史に対する無知」を丸出しにした「論説」や「言論」が横行している。ごく率直に言って、読んでいる方が恥ずかしくなってくるような「議論」があふれているので、少しこの問題に触れておこうと思う。

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 日韓双方が互いに「我が国固有の領土」を主張し合う「竹島」問題が、ここまでこじれてしまったのにはそれなりの理由がある。
 結論を先に言えば、1965年の日韓基本条約において日韓双方が「竹島の帰属」問題を棚上げにし、以降、二国間交渉・対話によってこの問題の解決をはかる姿勢を、双方が示してこなかったところに根本原因がある。

 その間、韓国側は「実効支配」を進め、一方、日本側は「竹島は我が国固有の領土」「領土問題は存在しない」をただ念仏のように繰り返し、それ以上何もしてこなかったという意味において、韓国による「実効支配」を事実上、黙認してきたわけである。「黙認」を外務省用語に翻訳すると「配慮」になるのだが、「配慮」をさらに私たちの常識用語に翻訳すると「無策」になる。

 日本国籍を持つ私たちが「竹島問題」を論じるときには、まず1960年代後半の自民党佐藤政権期から野田政権に至る日本政府・外務省の「竹島問題」の「棚上げ」「先送り」「無策」振りを、歴史的・批判的にとらえ返すという視点が重要である。私は、これと同じ政府に対する批判的視点を持つことを、韓国国籍を持つ韓国の一般市民に対して提起したい。
 いずれにせよ、私たち「日本人」がこの視点を持たず、韓国政府を「民族主義」と差別意識丸出しでいくら批判したところで、日本政府・外務省の無策が変わるわけではないので、結局、韓国による「実効支配」は続き、「竹島問題」の解決には何もつながらないことになる。

 江戸時代から1905年に至る過程で「竹島」がどちらに「帰属」していたのか、また第二次大戦の終結直前・直後にどうだったのか、さらには「サンフランシスコ平和条約」の中での「竹島」の扱いはどうだったのか、をいくら争っても、この問題は双方の見解のぶつかり合いに終始し、決着を見ることはありえない。
 まずこのことを客観的事実として認めること。そして、日韓基本条約とはどういう条約だったのか、歴史を遡行し、学習し直すこと。
 日本国籍を持つ「日本人」にとって、「竹島問題」の解決に向けた道は、そこから始まるのである。

【速報】
韓国「司法裁審理受け入れず」
 玄葉光一郎外相が李明博大統領の竹島(韓国名・独島)上陸への対抗措置として国際司法裁判所への提訴を検討していると表明したことについて、韓国政府当局者は11日、「独島は韓国領土であり、国際司法裁での審理は受け入れられない」と述べた。
 当局者は、10日に金星煥外交通商相と玄葉外相が電話でやりとりした際もこうした韓国政府の立場は伝えていると強調した。
 同裁判所は紛争の各当事国の合意がなければ審理が始まらない仕組みになっている。日本政府は竹島領有権に絡み、1954年と62年に韓国政府に提訴を提案したが韓国側は拒否している。(共同)
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 上に述べた通り、こうなることは目に見えていた。韓国側の拒否を前提に、いかに「平和的」に「竹島問題」を解決するのか。それを市民に提起するのが外務省の使命であり責務である。日韓両外務省の「外交の不在」。それこそが〈問題〉なのだ。

【参考資料】
外務省の「竹島問題」のページ
「竹島の領有権に関する我が国の一貫した立場」
1.竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに我が国固有の領土です。
2.韓国による竹島の占拠は、国際法上何ら根拠がないまま行われている不法占拠であり、韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行ういかなる措置も法的な正当性を有するものではありません。
※韓国側からは、我が国が竹島を実効的に支配し、領有権を確立した以前に、韓国が同島を実効的に支配していたことを示す明確な根拠は提示されていません。
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 日韓基本条約における「竹島問題の棚上げ」=外務省の失策が、見事に隠ぺいされている事実に注意したい。
 自分に都合の悪いことは、自分に都合の良いように隠ぺいする。日本だけに限らないが、しかし日本に著しい官僚機構の特質である。

国際司法裁判所への提訴の提案
1.我が国は、韓国による「李承晩ライン」の設定以降、韓国側が行う竹島の領有権の主張、漁業従事、巡視船に対する射撃、構築物の設置等につき、累次にわたり抗議を積み重ねました。そして、この問題の平和的手段による解決を図るべく、1954(昭和29)年9月、口上書をもって竹島の領有権問題を国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案しましたが、同年10月、韓国はこの提案を拒否しました。
 また、1962(昭和37)年3月の日韓外相会談の際にも、小坂善太郎外務大臣より崔徳新韓国外務部長官に対し、本件問題を国際司法裁判所に付託することを提案しましたが、韓国はこれを受け入れず、現在に至っています。

2.国際司法裁判所は、紛争の両当事者が同裁判所において解決を求めるという合意があって初めて動き出すという仕組みになっています。したがって、仮に我が国が一方的に提訴を行ったとしても、韓国側がこれに応ずる義務はなく、韓国が自主的に応じない限り国際司法裁判所の管轄権は設定されないこととなります。

3.1954年に韓国を訪問したヴァン・フリート大使の帰国報告(1986年公開)には、米国は、竹島は日本領であると考えているが、本件を国際司法裁判所に付託するのが適当であるとの立場であり、この提案を韓国に非公式に行ったが、韓国は、「独島」は鬱陵島の一部であると反論したとの趣旨が記されています。

サンフランシスコ平和条約における竹島の扱い
1.1951(昭和26)年9月に署名されたサンフランシスコ平和条約は、日本による朝鮮の独立承認を規定するとともに、日本が放棄すべき地域として「済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮」と規定しました。

2.この部分に関する米英両国による草案内容を承知した韓国は、同年7月、梁(ヤン)駐米韓国大使からアチソン米国務長官宛の書簡を提出しました。その内容は、「我が政府は、第2条a項の『放棄する』という語を『(日本国が)朝鮮並びに済州島、巨文島、鬱陵島、独島及びパラン島を含む日本による朝鮮の併合前に朝鮮の一部であった島々に対するすべての権利、権原及び請求権を1945年8月9日に放棄したことを確認する。』に置き換えることを要望する。」というものでした。

3.この韓国側の意見書に対し、米国は、同年8月、ラスク極東担当国務次官補から梁大使への書簡をもって以下のとおり回答し、韓国側の主張を明確に否定しました。
 「・・・合衆国政府は、1945年8月9日の日本によるポツダム宣言受諾が同宣言で取り扱われた地域に対する日本の正式ないし最終的な主権放棄を構成するという理論を(サンフランシスコ平和)条約がとるべきだとは思わない。ドク島、または竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐島支庁の管轄下にある。この島は、かつて朝鮮によって領有権の主張がなされたとは見られない。・・・・」
 これらのやり取りを踏まえれば、竹島は我が国の領土であるということが肯定されていることは明らかです。

4.また、ヴァン・フリート大使の帰国報告にも、竹島は日本の領土であり、サンフランシスコ平和条約で放棄した島々には含まれていないというのが米国の結論であると記されています。