2013年2月14日木曜日

「3・11」2周年を前に ~健康相談会を通して見えてくる被災者の現実 (橋本俊彦さんインタビュー)

「3・11」2周年を前に ~健康相談会を通して見えてくる被災者の現実
橋本俊彦さんインタビュー

『福島と生きる』メールマガジン特別号No,1
(2013年2月14日発行)


Q1 橋本さんには『福島と生きる』(新評論)に「大災害を生きていくために」を寄稿して頂きました。
 橋本さんが現在の活動を行うにいたった経緯や動機、また橋本さんが実践されている快医学の詳細については本書や橋本さんのウェブサイト(NPO法人ライフケア)、また著書である『自然治癒力を高める快療法 セルフ・ケアと穀物菜食レシピ 』(筑摩書房)『緑のセルフ・ケア 実践快療法と穀物菜食レシピ集 』(博進堂)に譲るとして、最初に橋本さんのご活動の規模についてお聞かせください。
 福島県内と県外に分け、1月末段階で橋本さんたちが開催されてきた健康相談会参加者の延べ人数を教えていただけますか。

橋本  県内ではのべ2千人を超えます。県外では2012年から本格的に始めました。現在は主に米沢に行っています。のべ100人です。震災直後は宮城県の丸森町に行っていましたが、それも合わせると県外では200人です。宮城県はその後フォローできていません。

Q2  県内を浜通り、中通り、会津地方と分けた場合の相談会の延べ回数は何回くらいになるでしょうか。

橋本  健康相談会は中通りでは月に4,5回、計90回ぐらい行っています。相談会という名前でない、小さな集まりなどもあります。会津にはこれまでは行っていません。声は上がっているのですが。
 浜通りは、震災直後は南相馬市、相馬市、飯館に合わせて10回行っています。その後、相馬には足を伸ばせていません。

Q3  これまで福島県外で開催されてきた相談会の場所は?

橋本  3、11直後は宮城県の丸森町、現在は米沢と家族が避難している松本です。相談会というわけではありませんが、昨年12月に京都で茶話会という形で避難者を訪ね、手当てについて話をしました。先月は九州に行ったおり、私の治療室の患者さん数家族か避難しているので生活状況を聞いてきました。


Ⅰ 健康相談会での反応

Q4  『福島と生きる』出版以後の昨秋からの健康相談会を通して、被災者や住民の方々の健康状態や反応に何か特徴的なことはあるでしょうか。まず始めに、県内についてはどうでしょうか。

橋本  身体の変化についてよく質問を受けます。
 相談会には、放射線の影響下で暮らすことがどういうことなのか、ある程度理解している方がほとんどです。こんな症状はもしかしたら放射線の影響か、と感じ取っている人もいます。ただし、それは通常の検査では分からないものだし、訴えていることも不定愁訴なので、気にしているが対処法が分からない。がんや自己免疫系の重い病気を抱えている人は、症状が重くなってきたときに、やはり放射線の影響ではないかと心配しています。

 放射線が今のからだの変調に直接的な因果関係をもっているかどうかは何とも言えません。一連の不定愁訴があり、回を重ねて話を聞いていくと、こんなことがあった、あんなこともあった、という話が出てきて、それらを通じて、放射線の影響があるのかもしれない、ということしか分からない状況です。
 1つだけ言えることは、私たちの快医学健康相談では、ライフ・エネルギー・テスト(筋力テスト)を用いてからだ全体の状態を把握しています。『福島と生きる』のエッセイでも書いたように、3・11後、肝臓,腎臓、脾臓などの主たる内臓に弱っている反応が多くの方に出ていますから、つまり免疫系が弱っていると考えています。なので、からだの手当てを実践してくださいと言っています。

 相談会はほとんどが子ども連れの親子です。私たちも家族単位で来てくださいと呼びかけています。中には中学生もいますが、小学校入学前の子どもがほとんどです。平日の日中に行っていることも関係しています。日曜日開催のときは父親が参加することもあります。とくに白河では父親の参加が多いです。

Q5  橋本さんは県内各地の仮設住宅を回ることにも力を入れてこられてきたわけですが、現在の仮設住宅の状況について、何かお感じになっていることがあればお聞かせください。

橋本  いまは福島市にある浪江町の仮設住宅を訪問しています。仮設入居者の多くは年配の方々です。仮設入居以前に3,4回避難所を移っているのが普通です。もともと血圧や血糖値が高いなどの基礎疾患を持っている人が多い。長期におよぶ仮設生活では運動不足、ストレス等の心理的問題などが症状の悪化にじわじわ影響しています。

 仮設の手当て会には特定の人だけが参加する傾向があります。そこは大きな課題ですね。毎回、お知らせのチラシを仮設の自治会の方に配ってもらっているのですが、それでも来る人は同じことが多い。ほとんどが女性です。仮設の自治会は男性中心なので、そういう人たちを巻き込んで、互いに手当てをやり合う雰囲気を作りだしたいと思っています。3,4回目ぐらいから男性たちも少しずつ参加するようになってきました。積極的になってきましたね。アイロンの手当ては気持ちがいいことを分かってもらえますからね。

 私たちは「手当てをします」ではなく「手当の方法をお伝えします」というスタンスを取りながら,アイロンの温熱療法と操体法を生活の中に取入れてほしいと願っています。また、社会福祉協議会(社協)の人たちに体験してもらったこともあります。体験してもらうと「これ、いいかも」という感想でした。何より、社協の人たち自身も被災者であり、担当する方が亡くなる経験もされるなど様々な心労を抱えています。社協の人たちを通して他の仮設に広めたいと考えています。


Ⅱ 県外避難者の状況

Q6  次に県外に避難された方々の状況についてお聞きします。県外避難者については3・11直後の数日間にどこにいたか、またいつ避難したか、子どもと大人の違いや避難後のセルフ・ケアのあり方など、さまざまな条件によって健康状態には著しく個人差や地域差があることを前提にお伺いします。
 県外避難者が直面している問題とは何か。橋本さんがお感じになっていることを、お聞かせください。

橋本  米沢に行くようになったのは昨年後半からなので、それ以前の状況と比べられませんが、行くたびに状況が変わります。揺れていると感じますね。避難したことは良かったと私は思っていますが、今年になって戻ろうかなと考えている家族が増えていて、びっくりしているというか、状況が変化しているなと感じます。

 最大の理由の一つは子どもの教育です。米沢と福島は近いので、友達とも距離が近い。九州のような遠くに行ってしまったら違うかもしれませんが、心理的にも近いと感じているので、高校は福島に行きたいという子どもたちがいます。米沢から通うのは無理なので、戻ることを考えているのです。
 また経済的な問題もあります。借り上げ住宅制度が終わってしまえば、避難の継続が困難になることもあります。避難せざるを得ない状況がぼやけさせられています。せっかく避難してきたのに戻らざるを得ないというのは、大変厳しい状況です。
 借り上げ住宅その他の問題について、もっと国がきちんとした施策をとっていれば、せっかく避難した人が戻らざるを得ないというケースは減ります。

 松本に避難した人から「避難してよかった」という声を聞いています。もちろん就労の問題や母子避難の困難さなど大変なこともあったと思いますが、それでもよかったという人が多い。一方、まだまだ母子避難で大変だという人もいます。よかったと思う理由は、汚染地帯にいないで済むことでほっとできて、それだけで落ち着くということです。九州でもそういう声を聞きました。

 私の家族に関しては、松本は住みやすいと妻は言っています。もちろん、バタバタとし、身体的・精神的、経済的にも大変なこともありますが、ここにきてすこし落ち着いてきました。娘はちょっと別ですけど・・・。娘は娘でいろいろなことを感じているでしょうから、簡単には代弁できません。

 各地に出向き自分の家族は松本に避難している話をすると「松本はいいですね」とよく言われます。それはたぶん市長などに理解があるからでしょうか。他の地域との違い比較していないので何とも言えませんが、市役所はとてもよく対応してくれますし、避難者は上下水道代が無料なのです。毎月一万円近くですから助かります。市の温水プールや温泉施設の使用料も一年間無料になっています。また、市民サポートセンターが避難者の1つの拠り所になっていて、市は避難者を対象にしたイベントに助成金を出しています。私もその助成金を活用して避難者向けの「自然医学・快医学講座」をやりました。

 避難者同士のつながりがとても重要であると感じています。先日、熊本の水俣に行ったのですが、水俣病の影響でコミュニティがバラバラになってしまった。そこで「もやい直し」と言って、コミュニティのつなぎ直しが行なわれていることを知りました。いま福島でもコミュニティがバラバラになってしまっているところも多くあります。

 一方避難先等で同じ境遇にある人たちが集まると、バラバラにならないでみなで協力し合ってやっていこうという雰囲気が出てくるのです。米沢や京都の避難者を訪ねると、この荒波の中で、行った先々でもバラバラにならないで、協力し合ってなんとか乗り切っていこうという雰囲気をすごく感じます。
 でも、その「もやい」というバラバラにならないロープにたどり着けないで、孤立している方も多いと思います。そういう人たちとつながるにはどうしたらいいか。松本でも話し合いを始めています。


Ⅲ 記録をとることの大切さ

Q7  県外避難者の被爆医療保障に関して基本的なことをお聞きします。
 県内在住の被災者と比べた場合の、県外避難者が県外に避難したが故に受けている医療保障上の差別というものがあるでしょうか。健康手帳の受給、被爆検査、その他について。

橋本  県内・県外の制度上の違いや差別についてですが、県外の人たちが甲状腺検査を受ける場合、私が知る限りでも地域差があります。福岡では地域の医療機関がきちんと対応してくれたと聞きましたが、京都では対応は難しいと言われ、タライ廻しにされたという経験も聞きました。地域というより、医療機関によっても対応は違うのだろうと思います。一概には言えません。

 とにかく大切なのは記録をとることです。日々からだの気になることを書き留めておくことが大事です。水俣では初期から原田正純医師など医療従事者が地域に入って、フィールドワークをして記録を残しました。時間が経てば記録がなしでは判断しようがないということになりかねません。

 福島でも様々な形で調査が行われているわけですが、単に調査研究だけに終わらせることなく、最終的に個人個人に還元されなければ意味がありません。それをつぶさにできるのは地域の開業医など小さな医療機関のはずです。ところが、そうした意識を持つ医療機関があまりにも少ない。鼻血が出ても、関係ないと言うだけです。

 県外避難者の人たちの内部被曝の調査(ホール・ボディ・カウンター、尿検査など)については把握していませんが、尿検査をできる検査機関は限られています。尿検査を広域でやっているところは聞いたことがありません。こうした検査は通常の検査機関ではやっていないので、自己負担になります。1度だけでなく、2度、3度検査するということにもなるでしょう。たとえば子どもが2,3人いたらかなりの負担です。また、検査は甲状腺に特化していいますが、放射線の影響は甲状腺だけではないと考えなければなりません。

 まとめれば、記録をとることが制度として行われていないことと、甲状腺検査に特化している、この二つが制度として問題です。ただ、あまりにも対象者が多く、福島以外でもたとえば茨城や栃木でも内部被曝を問題にしている親たちがいます。

Q8  チェルノブイリの経験が教えているのは、3・11が人体に対するどのような影響を与えたか、その輪郭を私たちが知るためには、やはり最低でも3年から4年程度はかかる、ということだと思います。その意味では、まだ2年も経っておらず、私たちは被曝や健康被害の実態について医学的に確たることは何も言えないし分からない、ということを大前提にして考え、議論する必要があります。

 こうした観点から言った場合に、現在の国と県の医療行政に関し、何かご意見はありますか。「現状はこうだが、ここはこうすべきだ」とか、そうした点があればお聞かせください。

本  今回の過酷事故による災害は、いままでの医療モデルでは到底対応できない問題が山積しています。じゃあどうするか。あまりにも背景が大きすぎてよく分からないところが多くあります。社会的背景や生活、心理的側面、コミュニティの問題などを含めたトータル(と言っては言葉が簡単すぎるけど)な、広範囲なケアという見取り図がまだ描き切れていないと感じます。われわれの活動は現場がすべてなのですが、全体の見取り図を模索しながら、役に立てることがある限り続けていきたいと思っています。

 行政に対しては、水俣と単純に比較することはできませんが、水俣では早期に有機水銀中毒が疑われていたのに具体的な対策を講じることはありませんでした。被害を拡大させた原因は、初期の国や行政の対応があまりにも杜撰であったことは疑いのない事実です。これを福島でけっしてくりかえなさいでいただきたいと強く言いたい。

 いま福島県内は、町を歩けば普通に見えますが、みな揺れています。ちょっとした会話にそれが現れるんです。震災直後から1年ぐらいの間は、避難させようかどうかと悩んでいた人たちのうち、いまでも悩んでいる人もいれば、家族間でその話題を遠ざけている人たちもいます。

 先日、東電から4万円の賠償金が出ましたが(注‐文末参照)、そのときの東電の通知に解釈によっては、請求書に記載された損害額を超える損害について、東京電力に対して請求する権利を放棄するとの意思表示と受け取られかねない文言が記載されていました。私は問題であると考えていましたが、一方では「これ以上請求すると、ひどい汚染地域に住んでいることを自ら証明するようなものだからこれ以上なにも言わない」という声も私は直接聞きました。みなすごく揺れているし、だんだん関心の温度差がどんどん広がっている。

Q9  健康相談会以外に、橋本さんはこれまで全国各地で講演もされてきました。 非常に雑駁な分け方になるのですが、仮に東日本と西日本と分けた場合に、参加者の反応や質問などに何か違いを感じるようなことはありますか。

 事態の深刻さの受け止め方、あるいは原発を止めねばならないことに対する切迫感と言いますか、参加者全員から醸し出される空気のようなもの。その辺で何かお感じになることがあればお願いします。

橋本  その点についての違いはあまり感じません。たとえば熊本での講演会では、背景に水俣の経験があります。「やはり水俣と福島の構造は同じだ」と人々は感じています。
 静岡は焼津でした。焼津は第五福竜丸の母港です。町の真ん中に資料館があっていまも語り継がれています。今回の事故を身近な問題として捉えています。もちろん、浜岡原発を抱えているということもあります。資料館を見学して当時、いかに人々が魚の汚染を心配していたかがよく分かりました。

 鳥取に行ったときには、ウラン鉱山(人形峠)の被曝問題を知りました。そういう背景を抱えた人たちが講演会に来てくれました。今回の福島の問題を自分の事として捉えている人が多くいます。


Ⅳ 自然医学をきっかけに、互いに手当てし合う関係を

Q10  最後に、これも詳しくは橋本さんのサイトや著作を読み、今後の健康相談会や講演会に参加して頂くしかない、ということになるかも知れませんが、被曝に対する自己防御とセルフ・ケアを通じた健康管理に関し、何かメルマガ読者にアドバイスがあればお聞かせください。

橋本  こういう過酷な人災は人の生活のすべてを狂わせます。私は人の健康は呼吸(息)、食べ物(食)、身体を動かすこと(働)、思い悩むこと(想念)、自然環境と人と人との関係(環)、それらのバランスが大事だと考えてきました。

 ところが今回の事故で、いみじくもそれらのバランスがいっぺんに吹き飛んでしまったのです。安心して呼吸ができないし、食べられなくなり、外で身体を動かすのがままならず、震災後のストレスが加わります。そしてコミュニティが分断されました。まるで八方ふさがりですが、健康に暮らすためにはこれらの修復とバランスの回復が必要なのです。

 気持ちよくからだを温め(温熱療法)、気持ちよくからだを動かして歪みを治す(操体法)、という実に単純な方法がからだの免疫力を高めてくれます。日々の生活の中で実践するからだを気持ちよくしてあげることが病気を予防し、健康の自立への第一歩になります。自分の身体が最後の拠り所です。この自然医学をバランスを回復させるための一つのきっかけとして使ってほしいと思います。

 今回の災害以降に自分の身体に目を向け始めた人は多いですね。手当てを予防医学として使ってほしいですね。「手当で予防できますか」「これをやればここにいていいんですね」「避難した方がいいですか」と聞かれます。私は避難する、しないはどうこう言えません。しかし、現実として今、ここにいるんだから、手当てはやってほしいと言っています。やれば絶対とは言えませんが、やらないよりやったほうがいいよ、と言っています。検査だけではけっして病気は予防できないのです。自分と家族の身体を自ら守ってほしいと願っています。

 三つ子の魂じゃないけど、いまのうちに子どもたちに伝えておけば、将来きっと役に立つときがきます。いつの日かそういえば、いつもお母さん、お父さんがやっていたな、と思い出して自ら実践する時期がきます。もちろん、子どもなのでそれを拒否するときも出てくるでしょう。うちもそうです(笑)。でも、お互いに手当をし合う関係が大切だと思います。もやい直しではないですが、分断された中にアイロン一つもっていくと、「あ、そうなんだ」という共通理解ができる。それができたらいいな、と思いますね。

 事故以前には猪苗代湖のきれいな砂に埋まる砂浴(すなよく)を主宰していました。その合宿にはいろんな人が参加していて、中に、バリバリの反原発の活動家がいました。六ヶ所村まで行っている人で、名前は言えないけどその世界では有名な人(笑)。一方、同じ合宿に国際原子力エネルギー機関(IAEA)の職員が参加していたんです。そこで二人が激論を戦わせるわけではないですが、「あ、そういうことをやっているのか」といった反応です。でも砂に埋まって温まると、お互い一人の人間として、対話が始まるんです。やはり身体は正直です。
 私たちのセルフ・ケアの活動は、そういう人と人をつなぐツールの一つかもしれないと思います。

(文責: 『福島と生きる』メルマガ編集部。インタビュー日: 2013年2月2日)
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注 自主避難地域の賠償を延長 東電、今年1~8月分 (朝日新聞 2012年12月5日)
 東京電力は5日、福島第一原発事故の賠償で、事故当時、自主避難地域である福島市やいわき市など福島県内23市町村に住んでいた人のうち、今年1月1日~8月31日に妊娠していた人や、18歳以下だった「子ども」に、精神的損害として1人8万円の賠償金を支払うと発表した。
 また、同じ時期に白河市など福島県南部の9市町村と、宮城県丸森町に住んでいた妊婦と子どもにも、1人4万円を支払う。さらに、避難の交通費や生活費として、これら33市町村に住んでいた人すべてに、1人4万円を支払う。
 自主避難地域の妊婦や子どもにはこれまで、昨年3月11日~昨年末までの賠償金として最大で1人60万円が支払われていたが、今年1月以降の分をどうするかは決まっていなかった。対象は約150万人で、12日から順次、請求書類を送る。問い合わせは東電福島原子力補償相談室(0120・993・724)。

橋本俊彦さんプロフィール
1956年福島県生まれ。鍼灸師。鍼灸学校時代に東京ホビット村で快医学に出会う。
1995年福島県郡山市にはしもと治療室を開設、その後三春町に移転。東北、首都圏を中心に快医学講座を開催してきた。震災以降、福島県内各地で健康相談会をはじめる。2011年11月、自然医学放射線防護情報室を立ち上げる(2012年9月よりNPO法人ライフケアに改称)。
著書に『自然治癒力を高める快療法』(共著、ちくま書房、2011)など。

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『福島と生きる』メールマガジン特別号No,1(2013年2月14日発行)
※『福島と生きる』メールマガジンは、『福島と生きる--国際NGOと市民運動の新たな挑戦』の共同執筆者の団体や活動の関連情報を発信していきます。

発行人=中野憲志・藤岡美恵子
(『福島と生きる--国際NGOと市民運動の新たな挑戦』共編者)

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福島、新たに2人が甲状腺がん 放射線による影響否定
 東京電力福島第1原発事故による放射線の影響を調べている福島県の県民健康管理調査の検討委員会が13日、福島市内で開かれ、18歳以下(震災当時)の2人が新たに甲状腺がんと確定したと報告された。昨年9月に判明の1人と合わせ、3人となった。
 福島県立医大の鈴木真一教授は「甲状腺がんは最短で4~5年で発見というのがチェルノブイリの知見。今の調査はもともとあった甲状腺がんを把握している」(???)と述べ、福島第1原発事故による放射線の影響を否定。一方で「断定はできない。これからきっちり検討していく」とした。鈴木教授によると、3人とも手術を受け、経過は良好という。(共同)
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 こういういい加減な発言が、福島県民や県内外避難者の県立医大や県の「医療行政」に対する不信をいっそう助長する。ということを鈴木教授は知るべきである。 甲状腺がんの原因が福島第一原発にあるかどうかの判断は、がんが発見された3人が原発爆発直後から現在までどこに居住し、どの程度被曝したと類推できるかに規定されるからである。 この問題は、機会を改めてじっくり論じることにしたい。